乾隆買靴子
乾隆年間、盛京城四平街に小さな靴屋があった。この小さな店は老夫婦が開いているもので、夫婦は朝早くから夜遅くまで靴を作っていた。靴のできばえは綺麗で丈夫であったが、あまり売れず、当然暮らしは楽ではなかった。
ある年、暮れの三十日の昼過ぎ、商家は何処でも店を閉め、家々の門に対聨を貼り、にぎにぎしく年を越そうとしていた。だがこの老夫婦は靴の売れ行きも悪いので、年越しも考えず、対聯も貼り出さず、家の中でただ頭をたれて靴を作るだけであった。
乾隆は丁度この年盛京で年を越した。乾隆は詩画が好きで、三十日の午後、庶民の服に着替え、四平街を歩き、一軒々々の対聯を見て、あの家の字はいい、あの柱の対聯はいいと見て回った。“オヤ、どうしてこの靴屋は対聯を貼ってないのだ”と乾隆は戸に手をかけ、隙間から中を覗くと、老夫婦がため息をつきながら靴を作っているところだった。
乾隆はおかしいと思って、戸を推し開き中に入った。爺さんは靴を買いにきたのかと思い、「お客さん、靴ですか」と声をかけた、乾隆は慌てて「そうだ、靴を買おうと思ってな」と言い、靴をみながら「みんな年を越そうというのに、お前たちはどうして対聯を貼らないのだ」と聞いた。爺さんは「ヘェイ」とため息を一つついてから「靴は売れませんし、わたしは字が書けません……」と言った。
乾隆は「お爺さん、隣の紙屋へ行って、赤い紙を買っておいで、わしが一組の対聯を書いてあげよう」と言った。爺さんは乾隆を見て、この人は身なりがよくて上品だから、学者だと思い、手をおき、喜んで「それは有難うございます」と言いながら外に出て、暫くして、紙、墨、筆を持って戻って来た。
乾隆は紙を受けとるとすぐ紙を切った、乾隆はほかの人より紙を幅広く切る。それから筆にたっぷり墨を含ませ、上聯を書き、下聯を書いた。
大*頭小*頭打出窮鬼去(大きな木型、小さな木型で貧乏神を追い出して)
粗麻縄細麻縄引進財神来(ふとい麻縄、ほそい麻縄で福の神をひいて来る)
そしてもう一枚に“内金生”(内に金が生まれる)と書いた。
乾隆は書き終わると御印を取り出して押し、それから老夫婦に聯を読んでやった。老夫婦は喜び、婆さんは「この“内金生”の三字で、わしらこれからきっとお金ができる」と言い、爺さんは急いで持っていって貼った。乾隆は帰る時に老夫婦に買った何足かの靴の代金より多い銀貨を渡し、靴をさげて行った。
老夫婦は本当に有難く感謝し、この赤く輝く対聯で年越しの慶びを増した、なかでも添え書きの“内金生”の三字は堂々と門の中央に貼って、店の屋号のようだった。
翌、正月元旦、文武高官はみんな乾隆に年頭の拝賀に参上した。乾隆は一人一人に福寿果を二個与えた。これは江南産の蜜柑で、大臣たちは皇帝に叩頭の礼を尽くして戴いた。このあと、乾隆は「みなの者、見よ、わしは昨日新しい靴を買った、この靴は軽くて、ぴたりと合い、また暖かくて細工がとても好い」と言った。大臣たちはこれを聞いて、これは皇帝がわれわれにこの店の靴を買いに行けと言っているのだとわかり、「帝、その靴は何処で売っておりますか」と尋ねると、乾隆は「城内の“内金生”という靴屋だ」と言った。大臣たちはもとより“内金生”という靴屋を知らない、けれども敢えて聞く事もできず、「いい靴、いい靴」と言い続けた。
正月六日に商店が開き、大臣はみんな四平街の“内金生”に人を遣わして靴を買った。僅かの間に小さな店の商売は繁盛した。盛京城の人々は朝廷の大臣たちがみんなこの店に靴を買いに来たのを見たり、また門の上に貼った乾隆の書いた対聯を見に来たりして、つぎつぎと靴を買いに来た。一日で靴は全部売り尽くした。老夫婦の喜びは言うまでもない。それから商売はだんだんよくなって、有名になった。
沈陽市巻上 1993・5・15