不到黄河不死心

 昔、若者がいた。名は関財、親も兄弟もなく独り暮らし。天性の優れた喉をもち美しい声で歌う。が、容姿はよくない。
 ある日、関財の歌声を黄長者の娘、黄河が聞き、下女を遣わして関財を屋敷の自分の部屋に呼び歌を歌わせた。関財は天女のように美しい黄河に会って、たちまち恋心が生まれた。けれども黄河は関財の容姿をみて一度で飽きた。

 関財は恋の病となり、体は死んだが心は残った。この関財の心をある人が宝物にしようと瓢箪に入れると、この瓢箪が歌を歌った。昼間は歌ったが、夜は歌わなかった。
 黄河は関財が自分を恋して死んだことを知り、心を痛めて泣いた。涙が瓢箪に落ちると瓢箪は歌をやめた。これはまさに、“関財と会わなければ涙を落とさず、黄河に会わなければ心は死なず”(不見関財不落泪 不到黄河不死心)である。

      姜淑珍故事選                                          1993・4・11  

“死心”の意を“あきらめる”ととり、「(関財の心が)黄河に行くまで(届くまで)関財はあきらめない、(成仏できない)」と解してみたが、どうやらそれは行き過ぎらしい。この昔話は“不見棺材不掉泪”“不到黄河心不死”の二つ成語にかけていて、どちらも「最後までやり抜く」という意味より、人のいうことに耳をかさない頑固な人間を比す意味が強いらしいのである。とすれば、理屈はいらない、二つの成語にかけたユ−モアとすればたりる。  

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