556 簫を吹く女

 ずっと昔、楊という長者がいた。夫婦には満貫の財産があったが長く子供に恵まれていなかった、ところが妻が五十歳になって女の子が生まれ、玉鳳と名づけ、幼い時は鳳と呼び老夫婦は“広い畑に一本の苗”を育てるように、口に入れても頭にのせても痛くないとまるで手のひらの珠のように可愛がった。

 鳳は小さい時から利巧で人に好かれて育ち、七歳から老師について字を習い、本を読み、十歳には五経四書を暗誦するまでになった。それに簫も習い上手に吹き、十四歳には池に咲く蓮の花ような美しい娘になった。ところが十五歳の時に水疱瘡に罹り命は取り止めたものの顔一面にあばたが残ってしまった。それでもう二九十八歳になろうというのに嫁ぎ先がなかった。資産家の息子たちは不器量な娘を娶らないし、貧乏な家でも好きな娘を選ぶから家柄が高くても低くても縁がまとまらない。楊長者老夫婦の心配の種はこの娘の結婚であった。玉鳳は老父母の前では何気ないように振舞っていたが、心では密かに縁が薄いのを嘆いていた。 

 ある年の暮れの十二月のある日の午後、鳳は居間の中から鵞鳥の羽のような雪が舞う外を眺め、物思いに耽っていると外から下女が息をはずませて入って来て「お嬢様、塀の外に一人の書生さんが凍えて死にかかっています」と告げた。鳳が下女を連れて行って見ると若い賢そうな書生が塀の角に身を縮めて倒れている。鼻に手を当ててみると息がわずかに暖かい、急いで召使に書生を抱えさせ家に入れ、鳳は自分で生姜湯を作り、一匙一匙飲ませてやった。
 楊夫婦も布団をかけてやったり、火鉢を用意させたりした。やがて書生は気がついて目を覚ました。そして、長者の家の優しい声の娘があばただらけの醜い顔だったのは驚いたが身を起こして「お嬢様、長者様ありがとうございました」と命を救ってくれた礼を言った。長者は「書生さん、お礼には及びませんよ」と言って書生の身の上を尋ねた。 

 書生は名は王升といい山東済南に住み、北京へ国家試験を受けに行く途中、強盗に遭い旅費を奪われて病気になり、宿屋の主から宿賃を払わないと追い出されてしまったと話した。それを聞くと鳳はすぐ老父母に「困っている書生さんを助けて上げて」と言った。すると長者は笑って「鳳や、わしは誰でも困っている人は助ける。“人の困難な時は助け、馬は難所で鞭を打つ”と言うではないか」と言い、召使に一間の部屋を掃除させると、そこで王升を休ませ、花の咲く春になって病気が治ってから試験を受けに行けばよいと勧めた。王升はただ感謝するばかりであった。
 楊老夫婦は善良な人だが鳳は両親より百倍も優しい娘であった。鳳は王升の病気が一日でも早くよくなるようにと毎日薬を煎じて王升に飲ませ、王升が卵焼きが好きだと聞くと作ってやり、王升がふさぎ込んでいれば簫を吹いて慰さめてやった。やがて河の氷がとけ、雁が飛来して清明の季節になり、王升もすっかり病気が治り元気になった。楊長者は王升に清明節が終わったら、北京へ行けばよいと言った。

 清明節の前夜、鳳の老母が楊長者に「王升は人柄もいいし、まだ二十歳の若者だから鳳を嫁がせるとちょうどいい」と言うと、楊長者は溜息をついて「わしもそう思うが“好漢と美貌の才女の縁”と言うから鳳は無理だ」と嘆いた。すると老妻は「鳳には文才があるし、王升にも鳳に義理がある筈だから、王升の気持ちを探ってちょっと聞いたっていい」と言った。楊長者は老妻の言うのも尤もだと思い、王升の部屋へ行って王升の気持ちを聞いてみた。するとそれを聞き終わった王升はしばらく考えていたが婚約を承知した。

 老夫婦は大喜び、早速鳳にこれを告げると、鳳はじっと考え「自らを知る者は貴いと言います、あたしのこの醜い顔で王升に嫁ぐことはできません、王升が婚約を承知したのは我が家に恩義を感じたからです、恩を施して報いを求めないのが君子です。あたしは受けられません」と答えた。老夫婦が婚約を娘が受けないと王升に伝えると、王升は「私はお嬢様のお姿は承知いたしております、私は姿を望んでいるのではありません、お嬢様の心を愛しているのです。もし私が心変わりしたら河に身を投げて死にます」と誓った。 鳳は王升の誠実な言葉に応じた。王升は先に結婚しょうとしたが、鳳が結婚より国家試験が大事だ、試験が合格でも不合格でもすぐ帰って結婚すればいいと言った。義父となった楊長者は吉日を選んで王升に馬と旅費を用意してやり、鳳は泣いて王升を送った。

 王升は一路北京へ向かい国家試験を受け、第八位で合格、翰林学士に任じられた。合格を報じる書面と王升の手紙が楊長者の屋敷に届けられると、老夫婦は三日の酒宴を開き、婿の合格を祝った。鳳は王升の手紙を何度も繰り返して読んだ。手紙には住居が定まればすぐ鳳、義父母を北京に迎えるから体を大切にして夫婦団欒の日を待っていてくれと書いてあった。
 この便りを受け取ってから鳳は毎日毎日、北京へ続く街道に立って王升の迎えが来るのを待った。待って待って一年が過ぎた、だが三年待っても王升の迎えは来なかった。そしてその夏、大洪水が起こり、楊長者の屋敷は一片の瓦も残さず流され老夫妻も溺死してしまった。残された鳳はただ一人何に頼って生きていけばよいのか?北京の夫の所へ行くしかなかった。鳳はある日北京に着き、あちこちを尋ね歩きやっと王升の屋敷へ辿り着いた。 

 王升はどうしていたか?三年前、鳳に手紙を送ってから間もなく王升は朝廷の兵部尚書の娘を娶っていたのだ。ある日、王升の屋敷の門衛が顔一面のあばたの女乞食が面会を求めていると報告した。王升は思わず鳳が来た!とドッキとした。はじめ王升は構うまいと思ったがこれを妻が知ればきっともめるし、義父の権勢にまで及ぶかもしれないと考え、銀十両を包み、手紙を書いて門衛に鳳に渡すように告げた。

 鳳は門衛が奥に通報したから王升が迎えに出ると思っていたが、いくら待っても王升は出て来ず、門衛が銀の包みと手紙を持って来たので急いで手紙の封を切ると、

  あばたの醜女は花ではない   王升は愚かな瓜ではない   丁重に客にもてなし婿にする   蝦蟇は高望みする   銀十両を恵んでやる   早々に家へ帰るがよい   自分の汚い身なりを知れ   俺の身内と言えば逮捕する

と書いてあった。読み終わった鳳の心は千万の矢に射られ、天地が回る思いに倒れそうになったが静かに手紙を破り、銀十両の包みを捨てて歩きだした。北京城を出て大きな河に来ると、鳳は簫を取り出して奏で、

  花が咲くには根に水を   人の交わりには心を   わが夫王升は   人の恩義を忘れ……

と簫を吹き、歌った。鳳は王升を救ったのに王升は鳳の情を絶ったのだ。鳳は一字の歌に一滴の涙を流し、涙は河辺の石を削り、河辺の水を三尺高く漲らせた。鳳は泣き尽くすと思いを断って河に身を投じた。
その時、天界から人の善悪を正す太白金星が下界へ下りて来て、怨みを抱いて河辺に立っていた玉鳳が身を投じるの見ると、手で鳳を指し河神に鳳の体を水面の浮かべるように命じ、袖を振って一隻の漁船を呼び寄せた。  

 さて、この漁船を操っていたのは人々から“優しい兄”と親しまれている高良という誠実な若者であった。父母を早く亡くし兄弟もない。この日、漁を終え船を岸に着けようとすると、急に強い風が吹いて船はたちまち北京城の付近の河岸まで流されてしまった。見ると、河の中に人が浮いている、慌てて引き上げると若い娘であった。

 鳳は死のうと覚悟を決めて河底へ飛び込んだのに、沈まずに浮き、漁船に引き上げられるとは思いもしなかったので引き上げた逞しい若者に鳳は思わず「何であたしを引き上げたのですか? 」と怨み言を言ってしまった。すると、若者は「命は大切です、どうして生きて良い人生の道を進まないのですか?」と言葉を返した。鳳は溜息をついて涙を流しながら今までの身の上を話すと、高良は「良心のかけらもない王升こそ、死ぬべきで、あなたが死ぬなんて道理に合いません。私は今まであなたのように仙女みたいな美しい方に会ったことがありません」と言った。鳳はそれを聞くと“あばた顔のあたしを見れば誰もが変に思うのに、この若者はどうしてあたしを仙女のように美しいと言ったのだろう”と不思議に思った。

 やがて船は静かな鏡のような入り江に入った。鳳は水面に映った自分を見て驚いた、水に映ったのはもとの若く美しい娘の姿だった。鳳が自分の姿に驚いていると、後ろから笑い声が聞こえた、振り向くと白い髭の老人が立っていて、
 鳳の優しい心   王升は良心を失う   善悪に報いあり   美女に高良を配す
と笑うと清風となって消えた。

 鳳はやっと神様が助けてくれたことが分かり、遥かな空に向かって礼拝した。鳳は誠実な高良に神が娶わせてくれたのだと思い、高良と結婚した。高良は突如として美しい妻に恵まれて大喜びした。
 高良と鳳の若い夫婦は漁をして暮らし三年過ぎた。ある日、高良は捕った魚を市場へ売りに行き、鳳が河辺で洗濯をしていると、ボロボロな着物を着た乞食が鳳のそばで倒れた。鳳が駆けよると、乞食は王升ではないか?と目を疑った。もしかすると王升は官を追われ落ちぶれてここまで来たのではないか? だが誰であっても助けねばと、魚の汁を作って飲ませた。しばらくすると、乞食は気がつき助けてくれた礼を述べた。鳳は乞食が話した身の上話を聞いて確かに王升だと思った。

 王升は鳳を追い返したあと兵部尚書の義父と一党を組み、賄賂を受けて法を曲げたことが暴露し、家財没収追放の聖旨を下された。兵部尚書の娘は大勢を察し再婚してしまった。それから王升は乞食となって流浪し、ここまで来て病気と飢えで眩暈を起こして河辺で倒れ鳳に救われたのだ。だが鳳は今は姿が変わり、王升は目の前の花のように美しい婦人が三年前に追い返した鳳とは知る由もなかった。

 鳳は落ちぶれた王升を見て自業自得だと思ったが、あの時の怨みを解いて王升を休ませ、大きなお碗にうどんと卵焼きを盛って出してやった。王升はそのお碗を持つと大きな口を開けてガツガツと食べた。見ていた鳳が「わたしはあなたがこれが一番好きということを知っています、足りなければまだありますから好きなだけ食べて下さい」と言うと王升はどうしてこの婦人は俺がこのうどんと卵焼きが好きなことを知っているのかと怪しみながら鳳を思い出し、目の前の若い婦人の振る舞いが、鳳にそっくりだと気がついた。しかし鳳の顔には一面のあばたがあったはずだがと思っていた。

 王升が呆然としていると、何処からかよく知っている簫の音が聞こえてきた、あの時、鳳が吹いてくれた曲ではないか?まさかあの婦人が鳳であるとは?と頭を上げ船の上で簫 を吹いている婦人を眺めると正に鳳の後姿であった。王升の心は激しく高まり思わず持ったお碗を落とし、お碗は音を立てて粉々に砕けた。鳳はそれを知ると、王升の前に銀貨の包みと手紙を王升に渡し、何も言わずに船の中に入ってしまった。王升は急いで手紙の封を切ると  
 十両の銀貨と一封の信に   迫られ鳳は河に身を投げ   幸いにも神に救われ   三年の後に相い逢う   吾の容姿は変わり君は零落   人の善悪に報いあり   十両の銀貨君に返す   善人となり好き人生を計れ
と書いてあった。王升は読み終わると、青ざめた顔を赤くし、悔いて恥じると鳳の手紙を懐にしまい、銀貨の包みを地面に置き、両眼を真っ直ぐ前に向け、河辺の大きな岩の上に立ち「鳳よ、来世で再会し恩情に報いる」と叫び河中に身を投じた。鳳はその声を聞いて駆けつけたが一歩遅れて間に合わず王升は河の亀の餌食となった。

 それから鳳と高良は深い愛情に結ばれた幸せな生活を送った。後に鳳は男の子を生み、その子は成人して国家試験を第一位で合格した。                                        (薛天智故事選)