552 豚を盗む
旧暦十二月二十六日深夜、伏牛山地区の家々の灯は消え音もしない。一軒の家からこっそり黒い影が出て来て真っ直ぐ万元戸の李法娃の家の豚小屋へ行った。黒い影は息を殺しじっと耳をすまし、前後左右を窺い李の家族が寝静まっているのを確かめると、油まみれの汚いコートのポケットから強い焼酎の匂いがプンプンする饅頭を出して“ポトン”と豚小屋へ投げ込んだ。しばらくして豚小屋から焼酎に酔った豚の鼾が聞こえてきた、黒い影はニヤリとして素早く豚小屋に飛び込むと腰をかがめ百何斤もする肥った豚を肩に担ぎ急いで村の外へ出て行った。
この豚泥棒の黒い影は村の無頼漢の万富である。万富は賭博好きでもうすぐ春節(旧暦の正月)だというのに肉や正月用品を買う金がない、そこで李法娃の家の豚を盗んだのである。首尾よく豚を盗み出した万富は村はずれまで来ると少し安心して、これから夜を通して親戚の家へ行き、豚を殺し、半分は売り半分は取っておけば、金はできるし肉も十分だ、そうすりゃあ、楽に年が越せるとソロバンをはじいていた。すると、前からトラックの音が聞こえてきた。
こりゃあまずい、山を削った道は一方は岩の壁、足の下は深い谷の崖で身を避ける場所がない。車のライトは遠くまで照らし、走って逃げても間に合わない。万富がどうしようと戸惑っているうちにトラックは目の前に迫って来た。慌てた万富は汗びっしょり、コートの袖で汗を拭きながらふと妙案を思いついた。
万富は肩に担いだ豚を背中にずらして負ぶい、コートを豚の上にしっかりと被せて歩き出した、少し歩いてから後ろを見ると豚の鼻が肩の上に出ている、万富は被っていたビロードの帽子を取って豚の鼻に押し付けてまた歩き出した。すると豚は食べ過ぎて気持ちが悪くなったのか喉の奥を鳴らして、食べた物を万富の首に吐き出した。万富は身動きできず豚が吐いた酒臭い酸味のネバネバした物が背中に流れ気持ちが悪くて息もつけない。でも我慢して前に進むと、トラックは万富の前で“キイー”とブレイキをかけて停まった。アッ! 李法娃ではないか。会いたい人には会えず、会いたくない人にはよく会うものだ。万富は避けることも逃げることもできず冷や汗を流しながら、この場をどう切り抜けるかと頭を絞った。
李法娃はエンジンを切って「万富、何処へ行くんだ?」と聞いた、万富は何も答えられない、すると李法娃は万富の背中を指して「お前、誰を負ぶっているんだ?」と聞いた、万富は何と答えたらいいかと頭がカアーとなった、するとまた「万富、お前、誰を負ぶっているんだ」と李法娃が聞いた。万富は脳味噌をグルグル回し、村のみんなの名を誰彼となく考えたが思いつかない。万事休す、あとは身内の名を言うしかない、思い切って「俺の親父だ」と言った。
それを聞くと李法娃はトラックから下りて来てコートに手をかけようとした、万富は慌てて後ろに下がり「風が冷たいからコートをめくるな、めくるな、絶対めくるな」と言った、李法娃は手をひっこめ、万富の背中に顔を寄せると「アレー、馬鹿に酒臭いじゃないか?」と驚いて叫んだ。万富は慌てて「そう、そう、親父は酒を飲み過ぎて……」と言い、歩きながら「親父は年を取って動悸が激しく手足に力がない、半身不随になるかも知れない重病だから急いで行かなくちゃあ……」と言った。「何処へ行くんだ?」万富はでまかせに「県の病院だ」と答えた。すると李法娃は「待て待て、俺が車で送ってやる」と言った、万富は慌てて「いいよ、いいよ、あんたは一日中忙しくて疲れているんだから、気持ちだけ頂くよ。帰ってくれ、俺一人で大丈夫だ」と言ったが李法娃は万富を引き止め、車に乗せようとする。万富は乗りたくないのだが李法娃の言葉に逆らうこともできず、ズルズル押されコートがずれ落ちそうになると、慌ててトラックの後部座席に乗った。
李法娃はトラックの右側から小さな声で「親父さんの様子はどうだ?お前、親父さんの手を伸ばしてみろ、俺が脈を診てやるから……」と言った。李法娃は以前、生産隊の衛生係りをしていて多少医学の知識があったのだ。万富は李法娃が脈を診ると言うと(豚を見られてはいけないと)背中を後ろ向きにして「さっき俺が脈を診たがしっかりしていた、ただ親父は喋りたくないんだ、あんた心配しないでくれ、俺がいるんだから。それより早く行ってくれ、早いほどいい」と言った。李法娃も「そりゃあそうだ、病気の手遅れはよくない、早く行こう」と言った。トラックはやっと走り出した。
万富は病院に着いたらもっと面倒になるとトラックの上で気が気じゃないのだが今は李法娃のトラックの上なんだからどうしようもない、なるようになれ。その時はその時だと能天気に考えているとトラックは“キイー”とブレイキをかけて停まった。見ると村の委員会の前だ。しまった!神様!逃げ場がない、李法娃の奴、こんな所に停めやがってどうするつもりだ!すると、李法娃はトラックから飛び下りて駆け出し、衛生所のドアーを叩き人を呼んだ。万富は慌ててどうしていいか分からない、おまけに背中の豚が糞と小便をしてコートは濡れ、臭くてたまらない、しょうがないからコートを拭こうとすると、衛生所ののドアーが開き、医者の劉が上着をひっかけ、靴を引き摺りながら出て来て「誰、何処にいるんだ」と言った。
万富は自分の耳を引っ張り頬を抓り、劉は気が小さくて人の信頼を気にする質だったと思い出し、大声で「李法娃!俺の親父は劉に診て貰わない、劉の薬じゃ治らないんだ」と叫んだ。それを聞くと劉は「チェッ」と言ってドアーを閉めてしまった。李法娃は駆け戻って来ると「俺は医師の劉さんに先ず注射を打って貰えばいいと思ったんだが、劉さんに診て貰いたくないと言うなら仕方がない」と言ってまたトラックを走らせた。万富は頭の冷や汗を拭きながら、そっと、「神様、一難去ってまた一難、つぎはどうなりますか?」と祈った。
トラックが村を出て三里ほど行った処で万富は停めてくれと叫んだ。李法娃は運転しながら「何だ?」と聞いた、万富は泣き出しそうに「路東に親類がいる、そこへちょっと寄りたい、こんなに寒くて風が強くては県の病院へ行くまでに親父は凍えてしまう」と言った。李法娃はそれでもトラックを停めずに真っ直ぐ前へ走らせるので万富がまた言おうとすると、目の前に黒い物が飛んで来た、何だと見るとまだ李法娃の体のぬくもりがある綿入れの上着だ、見ると綿入れを脱いだ李法娃が寒さで震えている。万富は瞼が熱くなり一筋の涙を落とし李法娃の優しさが心に沁み「俺はこんな事して面目ない」と思い、万富は本当の事を話してしまおうかと思ったが、駄目だできない、俺は李法娃の豚を盗んだのに、逃げるために李法娃をあちこちに走らせてしまった、それを知ったら李法娃は俺を許すだろうかと思い直し、ああだこうだと考えた挙句、やはり李法娃からうまく逃げる法を考えることにした。
万富はいろいろ考えた末、また妙案を考えて「停めてくれ」と叫んだ。李法娃は振り向いて「何だ、また?」と聞くと、万富は「慌てて金を持ってないのを思い出した。親父の病気は軽くないからきっと直ぐ入院だ。入院は先に金を払うのに俺は一銭も持っていない、どうしよう」と言った。すると、李法娃は強くアクセルを踏みながら「それは大丈夫だ、俺が七十円持っている、それを使え」「薬は高いから七十円では足りない」それを聞くと李法娃は「金勘定の小心者、人の命が大事だ、足りなければトラックをカタにする」と怒った。万富は弱気になってもう何も言えなかった。そのうちにトラックは病院の前に着いた。
二人の間の気まずさが消え、万富は「本当に有難う、今日はあんたにすっかり助けて貰った。もう晩い、あんたは明日また仕事だ、時間を取らせるわけにはいかない、帰ってくれ」と言った。それを聞くと李法娃はまた厳しく「何言ってんだ、俺が帰ったらお前一人でどうするんだ」と言って万富の父親(実は豚)を負ぶおうとした。万富は焦って、もうどんな妙案も浮かばず、ただ李法娃に負ぶわなくていいと言うばかりであった。これでまた李法娃は怒り出し「なんでお前俺を他人扱いにするんだ、水くさいじゃないか。俺は小さい時からお前のお父つあんにどれだけ負ぶって貰ったか分からない、その親父さんが今病気で俺は恩返ししたいのに、何故させないんだ?」と言うと、万富のそばに寄って腰をかがめると、コートの中から変な声がした、李法娃は万富に目くばせして「親父さんの容態がおかしい?急げ!」と言った、万富は李法娃がまた負ぶうと強情を張ると困ると思って、素早く酔った豚を抱えてトラックから飛び下りた。
夜中の零時、病院は森閑としている。万富は三十六計逃げるに如かずと、李法娃に「もう晩い、あんた帰ってくれ、俺一人で大丈夫だ」と言った。李法娃は怪しみ「お前いったいどういう神経なんだ?俺がこんな重病人を置いて帰れると思うのか」と怒った。すると酒の効き目が冷めてきたのか、豚がバタバタと動き出した。万富はもう誤魔化せないと覚悟して“バタッ”と李法娃の前に座り、自分の頬を叩きながら「李法娃の兄貴、俺は人でなしだ、俺は俺は…許してくれ…、アー……」と泣き出した。
李法娃はどういうわけか分からず、コートの下から出ている豚の二本の足を見て、懐中電灯で照らした。見るとコートに包まれているのは我が家で飼っている豚ではないか。李法娃は顔色を変え唇を震わせて怒ったがじっと我慢すると溜息をつき、ポケットから七十円出して万富に渡し「これはみんなお前がだらしないからだ、この金で年越しの物を買え。そして年を越したら力仕事を嫌がらず俺についてトラックで荷物を運び、真っ当な金を稼ぎ、もうぶざまな真似はするな!」と言った。
万富は“トントン”と音をさせて頭を地面につけてお辞儀し「李法娃の兄貴、大丈夫だ、もし俺が改心できなけりゃあ、俺は本当の人でなしだ!」と言った。
(1989年故事大会コンクール二等賞)