547 犬はなぜ猫を襲うか
昔、何時の頃か分らないが東海に連なる高く険しい山の中に、頭に角が八本、口は子牛を呑み込むほど大きい八角獣が住んでいた。そしてこの山道を通る人々を食べる。退治しようとしても刀や槍も食べるから役に立たない。人々は困り果て県知事に訴えた。県知事は直ちに『この八角獣を退治すれば妻のない者には妻を、妻のある者には五百両の銀貨を与える』というお布れを出した。 すると直ぐこの賞に与ろうと様々な武芸者が四方八方から集まり、武具十八般を用いてこの八角獣に立ち向かった。が、誰一人として八角獣を退治することはできなかった。県知事も万策尽き、八角獣を退治する方法がなく人々は困り果てた。
さて、この山から一里足らずの村に大秋という独り者が犬と猫と一緒に暮らしていた。この村の畑はみんな山に面した窪地で、大秋の二段足らずの畑も土手で二月二日から畑を耕したが八角獣が出るから三月三日を過ぎても肥えもいれられない。季節は人を待ってはくれない、春、種を播かねば秋の収獲はない、たちまち蓄えた食糧もなくなってしまった。これでは大秋も暢気に構えてはいられない。
大秋の犬と猫は仲良しで大秋も犬も猫も家族と同じであった。大秋は「犬よ、猫よ、あのなあ、困っているのは俺たちばかりではない、人はみんな困っているのだ。あ〜天下に八角獣を退治する法はないものか」と嘆いた。犬も猫も大秋の気持ちが分り猫は鼻を“クウクウ”鳴らし念仏を唱えるように嘆き犬は頭を下げて同じように嘆きながら外に出た。
外に出れば家にいるよりいろいろなことが起きる。犬が山の麓の大きな石の影に身を寄せていると、八角獣の独り言が聞こえてきた。「あー、しばらく肉を食べていないなあ、酒も呑みたい、だがわしは酒を呑んで一度酔えばもう人間を食べられなくなるからなあー」と言っている、犬はこの八角獣の独り言をはっきりと聞き取り、しっかり心に刻むと直ぐ家に帰り、大秋に「心配はいりません、わたしはあの八角獣の独り言を聞きました、八角獣は酒が好きで酒に酔えば人間を食べられなくなります」と告げた。
大秋は犬が言葉を話し、そのうえ大事な情報を持って来たので大喜び、犬によくよく聞き質し、よくよく考えて布告を張り出した営門に出かけ、番人に八角獣を退治すると申し出た。番人が大秋を県知事の前へ連れて行くと、県知事は農民のなりをした大秋を見て不思議そうに「お前は何の武芸者か」と聞いた。「私は何の武芸者でありません」と大秋が正直に答えると、県知事は大声で「お前は何の武芸もできずに八角獣と闘うというのか、営門の布告を何と心得ているのか」と一喝した。大秋は「八角獣を斬るのではなく騙すのです、私に酒甕一つと二十斤の肉を下さい」と答えた。
それを聞いた県知事は“こいつは死を恐れないのか、それなら酒甕一つ二十斤の肉などたいしたことではない”と承知した。大秋は酒甕と肉を担ぎ犬と猫は後について、山の麓に向かって行くと、八角獣は頭に大きな角をつけ、大きな鈴のような目玉を四方に光らせ、鼻をヒクヒクさせながら、だんだん近づいて来る酒の匂いをかぎつけ「おお、酒の匂いだ、酒の匂いだ」と声を上げた。大秋はすぐ大声で「わしはあんたが酒と肉が好きだから、酒と肉を持って来てあげたよ」と応じた。八角獣はそれを聞くと大喜びして「早く持って来い、早く持って来い」と怒鳴った。
大秋は急いで酒と肉を八角獣の前へ持って行った。すると美味そうな酒の匂いはもっと鼻につく、この酒の名は“一碗酔”で人は碗一杯でたちまち酔う酒だ。八角獣はそんなこと構わず一気に酒を呑み肉を食べ、まだ口の中に酒と肉があるうちに「この酒は香りも味も最高だ、だが沢山は呑めんぞ」と言いながらまた酒を呑み肉を食べ、「この酒は蜜よりも甘くて美味い、だが沢山は呑めんぞ」と言いながらまた唇を酒甕に伸ばし、とうとう酒甕を一つ呑み干してしまった。
八角獣はすっかり酔っ払って天がひっくり返り地が回り、頭がクラクラして地面に頭をゴロゴロさせると八角獣はドンドン小さくなった。それを見た犬は八角獣の尻尾に噛みつき、木の上にいた猫も跳び下りて来た、それでも八角獣はゴロゴロ転がって止まらず足も縮んで頭だけになった。そして転がりながら「降参だ、俺はもう駄目だ。お前、俺の頭を持って帰れ、欲しい物が何でも出るぞ」と言うと八角獣は動かなくなった。大秋は八角獣の角を掴んで持ち上げると、澄んだ音がして八角獣の頭は猫の頭より小さくなりスベスベに光り、まるで香木のビャクダンを彫って作った美しい工芸品のようになった。
大秋は驚いたり喜んだりしていると、体に汗が流れ急に喉が渇き水が欲しくなったので、「八角獣、喉が乾いた、甘い瓜が食べたい」と言うと、八角獣の頭は“カッ”口を開け、紫の煙を吐き出した、そして煙が消えると大秋の目の前に青々とした大きな瓜が出て来た。今は三月、桃の花が咲く季節でまだ瓜の種も播かないのにこの瓜はまるで採りたての瓜のようであった、食べると口の中にこぼれるように甘さが広がった。
大秋が県知事に八角獣を退治したことを話すと、県知事は大秋に銀貨を望むか妻を望むかと聞いた。大秋は何もいらない、ただこの八角獣の頭を賞として貰いたいと言った。県知事は、“八角獣は珍奇ではあるが金でも銀でもない”と考え、「お前が銀貨も妻もいらないと言うならお前に八角獣の頭を賞として与えよう」と言った。もちろん大秋は大喜び、犬と猫を連れて家へ帰った。それから大秋はこの八角獣の頭から食べ物着る物を出して何の不自由もなく暮らすようになった。
何不自由のない暮らしをしていれば月日の経つのも早い、たちまち年の暮れになった。勿論、この年の大秋はとても豊かな正月を過ごした。ある日、大秋は遊びに出かけ夕方帰って来ると、家の前に一人の男がいて困った顔をしながら「ここまで来て宿を探したのだが見つからない、一晩泊めてくれ」と言った。大秋は「俺の家は俺一人だからいいよ」と答えた。それを聞いて男は門の中に入ろうとすると、犬は男に吠えかかって家の中に入らせなかった。大秋は「誰でも家を担いで旅には出られないのだから入れてやれ」と犬を引き止めた。男は家に入ると、あたりを見まわして「腹が減った」と言った。大秋は早速八角獣の頭から料理を出してやった。こうして大秋と男はいろいろお喋りをして寝た。
翌朝、大秋が目を覚ますと男はまだ“フウフウ”鼾をかいて寝ている。大秋は疲れているのだろう、もう少し寝かしておいてやろうと思い、犬と猫に「お前たち留守番していてくれ」と言い残して出かけた。犬は主人の言いつけどうり門を守った、だが猫は柔らかい寝床から離れられず“ゴロゴロ”喉を鳴らして寝ていた。俗に『顔で心は分らない』と言う、大秋はこの男が悪者とは気づかなかった、眠た振りをしていた男は大秋が出かけるとしばらくして、そっと起き八角獣の頭を懐にしまって部屋を出ると塀を乗り越えて瞬く間にいなくなった。
大秋は帰って来て男に八角獣の宝を盗まれたことを知った。大秋は慌てて「犬、猫
!」と大声で呼んだ、犬は直ぐ走って来たが、猫はやっと目を覚ました。大秋は犬と猫に八角獣の頭を探して来いと言った。犬はこれは主人が大事にしていたものだからとすぐ表に飛び出した。猫はのんびり外に出ると「世間は広く、おまけに道は四方八方に広がっている、男が何処へ逃げたか分るわけない」とブツブツ言った。
犬は「あの男の言葉は南方訛りだったから南へ行けば間違いない、お前は木に登れるから遠くが見える、俺は泳げるから河があればお前を背中に乗せて行ける」と言った。
犬と猫は山を越え河を越えて南へ向かい犬と猫は幾つもの山と河を越えた、南に行くほど河が多くなり、犬は何度も猫を背中に乗せて河を越えた。そしてまた何日も歩いた。お腹が空くと猫は人家の塀を越え家の中から食べ物を盗んで食べ、犬は人家の残飯を拾って食べた。ある日、犬と猫はまたある村に着いた。するとある家から一人の男が出て来た、犬はすぐそれがあの八角獣の頭を盗んだ男だと分り、犬はそっと猫に告げた。すると猫は「お前はここで見てろ、俺は何処に八角獣の頭を隠してあるか見て来る」そう言うと猫は塀の上でしばらく待っていると、男が帰って来て部屋の真中に置いた箱の中から八角獣の頭をだすと饅頭と魚を出して食べた。食べ終わるとまた八角獣の頭を箱の中に仕舞い鍵をかけて出かけた。
男が出て行ったあと、猫は部屋の中に飛び込んで見ると箱には鍵があり大きくて重い、どうしようと思っていると隅から鼠が出て来た、猫は素早く鼠を捕まえ、「お前がこの箱を齧って穴を開けてくれれば放してやる」と言った、鼠はガリガリと箱を齧りしばらくして大きな穴を開けた、猫は鼠を放すと箱に入り八角獣の頭を銜えると外に飛び出した。犬は大喜びして「お前早く俺に乗れ、逃げよう」と言った。
犬は早く帰ろうと近道をして海に出ると、海は丁度満ち潮で山のような波が押し寄せ、疲れた犬は波に巻き込まれてしまった。猫はうまく犬の背中から飛び降りて岸に上がり、“俺はこの手柄をどうしたら一人占め出来るかと考えていたが思わぬ事でうまくいった”と喜んだ。そして猫は半日で家へ帰った、大秋は猫がくわえて来た八角獣の頭を受け取ると大いに喜び「猫、お前はよくわしの宝物を取り返して来たな、で、犬はどうした?」と聞いた。猫は「犬は途中で探すのをやめてしまった」と答えた。
ところが犬は海に溺れず岸に上がりその日の夕方帰って来た。大秋は水でビショビショになった犬を見て「猫は宝の八角獣の頭を持って帰ったのに、お前は何してたんだ」と怒った。犬が何と言い訳しても大秋は聞かず、犬を庭に繋ぎ、門の番をさせ、猫は家の中の床に寝かせ、美味しい物を食べさせた。
犬はこんな仕打ちをされても大秋の家を離れなかった。それから犬は猫を見ると噛みつくようになったのである。 (聊斎*子続集) *はサンズイに叉(cha)の漢字
<注> この話の構成は昔話『犬と猫と指輪』と同じである。(岩波文庫・日本の昔話1・日本昔話集成・日本昔話事典・昔話伝説小事典)