537 無佛寺の由来

 昔、新民県の山里に六十をとっくに過ぎた貧しい一人暮しの老いた石工が毎日石を鑿で切り出し、それで暮らしを立てていた。
 ある年の秋、老石工が山の麓で仕事をしていると、山の上からガラガラ音が聞こえ、続いて大きな石や土の塊が落ちて来た。老石工は危ないと身を片方に寄せ、上を見て思わず「危ない」と大声を出した、山の上から十歳ぐらいの柴刈りの少年が、ぐらぐらしている大きな石を過って踏みはずし、山の上から転がり落ちて来たのだ。老石工はそれを見ると手にした金鎚を放り出し、若者のように素早く走り出し転がり落ちて来る少年を抱き止めた。が、すぐ後ろから少年が踏みはずした大きな石が転がって来て老石工は右足を直撃され、起ちあがろうとしたが、目が回り少年を抱えたまま山の斜面に倒れてしまった。
 幸いなことに丁度この時、柴を刈りに来た村人が何人か通りかかり、手取り足取り老石工と少年を担いで老石工の家へ連れて帰った。

 どのくらい長い時間が経ったか分らないが、老石工はやっと気がついて目を開けて見ると、自分は床の上に寝ていて、そばにしっかりした顔つきの十二、三歳の少年が立っている、見れば目は涙に濡れ、桃のように赤い。少年は老石工が目を開くと嬉しそうにお碗の水を老石工に飲ませながら、すまなそうに「あなたのお蔭でわたしは助かりました、でもそのためにあなたは怪我をしてしまって」と言ってまた泣いた。

 それを見て老石工は少年が可哀相になって少年の頭を撫でながら「心配するな、わしの腕と足は二日もすればよくなる。ところでお前は何村の子かね、名前は?、まだ小さいのにあんな高い山に登って柴刈りするなんて、おっとさんやおっかさんは知っているのか」と、とがめるように言った。すると少年は目を潤ませて「わたしは前村の石娃と申します、父と母は早くに死にました。残されたわたしは仕方なく山で刈った柴を売って暮らしています」と答えるとまた泣き出した。
 老石工もそこまで聞くと涙ぐみ、悲しそうに溜息をついて、「お…可哀相に…、それならわしらは同じ蔓になった苦瓜の悲しい運命だ」と言ってごつごつした手で懐から二吊りの銭を出すと石娃に渡しながら「わしも貧乏な老人で金はないが、この銭を持って帰り米でも買いな」と言った。

 すると、石娃は「いいえ、わたしを助けて下さったのに足を怪我されたあなたをそのままにして帰ることは出来ません。それにわたしもたった一人で、行きつく所が家、何処で暮らしても同じです、もし嫌でなければわたしのお祖父さんになって下さい、そうすればわたしはあなたの孫です。わたしは此処であなたと一生暮らしたいのです」そう言うと老石工の前に伏し、何と言っても立ち上がらなかった。老石工は石娃が道理を解し、心も固いのを見るとその願いを止めることは出来ないと思い、石娃の言い分を承知した。石娃は喜んで、タン、タン、タンと叩頭の礼を尽くした。そして老人と少年は一緒に暮らすことになった。

 翌日から石娃は朝暗いうちに家を出て山に登り柴を刈ると、老石工の怪我を治す薬草を探し、家へ帰るとその薬草を煎じたり食事を作ったりして忙しく立ち働いた。老石工は石娃が優しくよく働くのを見て心の中で嬉しく思っていたが、善人で頑固者の老石工は自分だけが楽をし石娃にこれ以上世話になることを望んでいなかった。

 ある晩、老石工は石娃を自分の前に座らせ笑顔で「石娃や、わしの足はもう治ったから、お前何処へ行ってもいいよ。若い者が何時までもこんな年寄りの世話ばかりしていてはいけない、仕事を探してどこぞへ行ったほうがいい」と言うと、石娃は「お祖父さん、わたしを追い出さないで下さい、わたしはお祖父さんにいくら棒で叩かれても出て行きません」と答えた。老石工は何を言っても石娃が自分から離れて行かないと分ると、石娃に石工の仕事を教えようと考え「石娃、今日から山へ柴刈りに行くのを止め、わしの石工の仕事を習え」と言った。それを聞くと石娃は老石工の手を握って喜んだ。それから老石工は毎日杖をつきながら石娃に石工の仕事を手をとって教えた。

 石娃はもとより利口で器用であったので石工の技を覚えるのも早く、朝から晩までテンタンテンタンと鑿の音を響かせた。石娃の手は傷だらけ、履いた草鞋は破れ腕には点点と血のあとがついた、それでも石娃は苦痛の声を一つも出さず毎日毎日頑張って石工の技を磨いた。老石工はそれを見て心の中で石娃は将来きっと立派な石工になると自賛していた。

 たちまち月日は過ぎ石娃は一人前の石工になり、毎日十里八村から石工の仕事を頼まれ稼いだ金は一文でも無駄に使わず蓄えた。老石工はこの金は二十歳になった石娃の嫁を娶る為の金だ滅多に使えないと思い、石娃は一日一日年を取って行く老石工を見て、この金は老石工の老後の為の金だと考えていた。だが諺に“古い生姜は辛い”と言う、老石工は石娃が一日苦労して稼いだ金を使わずみんな自分に差し出すのは他人の家の親子の間でもないことだからこうした石娃の気持ちはとっくに察していた。“ああ、石娃は百里四方で一人の若者だ、わしはこの若者に世話をかけたくない、早く家を出よう”と気持ちを決め、ある晩、老石工はそっと蓄えた金を石娃の枕許に置き布団を掛け直してやり、しばらく石娃の顔を見つめ、別れを惜しんで家を離れた。

 翌日の朝、石娃が目を覚ますと老石工がいない、石娃は飛び起きてあちこち捜したが見つからない、村中、声がかれるまで老石工を呼び回ったが老石工の姿は見えない。石娃はうなだれて家へ帰り枕を抱いて泣き崩れ、枕の下の老石工が残して行った金を見つけた。それで石娃は夢から醒めたように老石工が家を出たことを知った。  

 老石工がいなくなると石娃はまるで魂が抜けたように毎日泣いた。九九八十一日泣きながら九九八十一日大きな石を彫り削った、石娃はこんなにも力を込めて何を彫ったのだろうか。石娃は全身全霊の愛情を石に秘め老石工の石の尊像を彫ったのだ。石像は老石工そっくりにでき、「石娃の技は素晴らしい、見ろ、石娃の彫った老石工の尊像はまるで生きているようじゃないか」と村人はみんな褒めた。石娃は石像を彫り上げると、山の上に石の廟を造り老石工の像を大切に廟の中に運び、それから石娃は山を下りず廟で暮らし、毎日お線香を上げて拝み、一日中この石像の傍に従って守った。 

 ある日の朝、石娃が廟の中で目を覚ますと、石像がない、翼もないのに飛んで廟の外に出るわけがない、石娃は驚いて床から這い出して石像を捜したが何処を捜してもない。昨夜は廟の門をしっかり閉め、鍵もかけたから人が入ることは出来ない、それに誰が何の為に老石工の石像を盗んだのかとこの奇怪な出来事のわけをいくら考えても見当がつかない、とうとう石娃は精神的に疲れ果て、病気になり廟の中で死んでしまった。

 村人はこの善良な若者の死を悼み、石娃の死体を棺桶に納めて廟に運ぶと、突然廟の中が真っ暗になり石娃の死体が無くなった。村人たちはてんでにこの奇怪な出来事に驚き騒いでいると、その中にいた白髭の老人が「これは不思議でも何でもない、老石工は石娃を助けたが石娃に何も求めず石娃に世話になることを拒んで家を離れた。石娃もまた優しい心の若者で命の恩人の老石工を忘れず、その面影を石像に彫り毎日“石の祖父”としてあがめた。“石の祖父”はこれを知り、石娃がこうして月日を無駄に過ごすことを願わず、真夜中に出て行ったのだ。だから善人に善の報いがあったのだ、わしは十中八九、二人は佛となって昇天したのだと思う」と言った、村人たちはみんなこれを聞いて「そうだ、二人はきっと佛になったのだ」と納得した。

 人々は石娃が建てた石の廟を石佛寺と呼んでいたが、石佛寺にあった老石工の像がなくなったので、後の人が“石佛寺”を石佛が無い寺“無佛寺”と呼ぶようになったのである。                                                           (譚振山故事選)