526 呉月秋と王允
これは春秋戦国時代の話である。呉という尚書(官職名)がいた。一女をもうけ、名を
呉月秋と名付けたが、人相学による“運勢易断”を学んだ呉尚書には娘が十八歳で死に三年後に生き返り、王允という男と結ばれる運命と分っていた。そこで娘が十八になると月秋を都で死なしてはならぬと故郷“紅土嶺”へ帰した。月秋は紅土嶺に着くとすぐ死んだ。
呉尚書は山の麓に小さな家を建て家具を揃え、机には四書五経を置き、常夜灯を灯し、そこを墓として月秋を葬り、二人の墓守を雇い墓を見守らせて都へ帰った。だが呉尚書がいなくなってしまえば誰が墓守なぞする者があろうか。
さて、王允は呂氏を娶ったが呂氏は一月半で死んでしまった。あまりの悲しみに王允は半狂乱となり家を飛び出し、一日中やみくもに歩き続け、やがて“紅土嶺”に辿りついた。すると小さな家があり、部屋に明かりが灯っている、見ると机、椅子などの家具が整然と並び、茶壷茶碗まで揃えてある、王允は椅子に座り机に置いてあった四書を読み始めた。
しばらく読んでいると、突然女が現れ王允と一緒に読み出し、王允が読めなければ女が教えてくれた。女は昼も夜も王允につきっきりで世話をするので、王允は何日もそこに留まった。それで王允は何日も家へ帰らず、王家では王允が死んだと思っていた。女は呉月秋の幽霊であった。
一人の老婆が霊界から来て月秋の幽霊に「この男王允には兄がいてその兄を明日の深夜、霊界の鬼が捕まえに来て霊魂を霊界へ持って行くから王允の兄は死ぬ。だが、王允に紙を買わせ紙銭を作り燃やさせれば鬼は紙銭に目が眩み王允の兄から手を放して、王允の兄は生き返り家へ帰れる」と教えた。月秋の幽霊はこれを王允に話すと王允はすぐ紙銭を道で燃やした、やがて二匹の鬼が王允の兄を捕らえに来たが紙銭を見つけると王允の兄から手を放し、紙銭を持って逃げてしまい、王允の兄は助かった。
この事を閻魔大王が知ってすぐ老婆に「お前は誰にこの事を話したのだ」と糾した、老婆が「呉月秋の幽霊です」と答えると、閻魔大王は月秋を処罰すると言った。それを知った月秋の幽霊は王允に「あなた、家へ帰って屈強な男たちを集め一人ひとりに鉄棒や木の棒を持たせ、あたしの棺桶を掘り出してあなたの家へ担いで行って下さい。そして小さな部屋に置き、棺桶が少しも動かないように泥土で固め、あたしに粟粥を七七四十九日食べさせてくれればあたしは生き返ります」と言った。
王允はすぐ家へ帰った、家へ帰ると母親はびっくり「お前死んでるの生きているの?」「私は死んでいません」「それならお前は何処から来たの?」「紅土嶺から来ました、そこに三年前に死んだ娘の呉月秋がいました、呉月秋の父親は娘が死んで三年後に生き返り、私と結婚するという運勢判断をたて今年がその三年目なので急いで呉月秋を助けに行かねばなりません」王允はそう言って何人かの人を集め、紅土嶺に行って呉月秋の棺桶を堀り出し家へ担いで帰った。
家へ帰ると呉月秋の棺桶を小さな部屋に置いて動かぬように泥土で回りを固め、部屋の戸も泥土で固めてしまい、王允もその部屋に一緒に閉じこもり、月秋の遺体に七七四十九日粟粥を食べさせた。すると艶がなかった月秋の顔が粟粥を食べさせるごとに白くなりやがて紅くなり、胸が鼓動しはじめ、咳をし眼を瞬たせたかと思うと、体を起こし立ち上がって、生きた人間になった。こうして生き返った呉月秋は王允と結婚した。
ある日、呉月秋は「父は尚書ですが子は娘のあたしだけで尚書の後継ぎがありません、あなたはあたしの手紙を持って父を訪ね、尚書の官を譲り受けて下さい」と言った。王允は月秋の手紙を持ち、馬に乗って呉尚書を訪ねた。すると呉尚書は王允に人相学による運勢易断をたてた。そして額は広く、顎は丸く豊か、耳は垂れた王允を見て尋常ではないと判断して「わしはもう年をとって老い、朝廷の仕事をやるのも難しくなった、わしは尚書の官をお前に譲りたい、どうか朝廷の大小の仕事をお前がやってくれ」と言った。
王允は尚書となり月秋を迎え、居を構え、それから一家は幸せに暮らした。
(四老人故事集)