518 乞食の由来
春秋戦国の時代、孔子は弟子を連れて列国を周遊し斎国に入った時、食糧がなくなった。そこで孔子は子路に樊丹老祖(ハンタンロウソ)を尋ね、食糧を借りて来るように言った。
子路は半日探し回ってやっと樊丹老祖の家を尋ね当てた。二間の萱葺きの家で溝をめぐらしてある、正面に溝の切れた処があり家の戸口に対している。これが表門なのであろう、子路はこれを見て“こんな溝では囲いにならぬのではないか”と笑いながら溝を跨ぎ、家の戸口の前に進み「樊丹老祖はご在宅ですか」と言うと家の中から「居る、入りなさい」と返事があった。
子路が戸を推して中へ入ると、床の上に髭を生やした痩せた老人が目を軽く閉じて座り、そばに瓢箪と杖が置いてあるだけ、ほかには何もない。子路はがっかりして、“こんなで食糧が借りられるのかな”と思ったが、折角来たんだから、兎も角聞いてみようと「私は孔子の弟子で子路と申します、あなたのお国に入り食べる物がなくなりました、どうか食糧を少し貸して下さい」と言った。すると樊丹老祖は子路を見て「わしが出す問題に答えられれば貸してやろう、答えられねば何処から来たのか来た処へ帰れ」と言った。子路は“俺は孔子の弟子だ、こんな老人の問いに俺が答えられないと思っているのか”と思った、樊丹老祖は「では尋ねるが、この世に多いものは?また少ないものは?何を喜び何を悩む?」と子路に聞いた。子路は少し考え、「星は多く、月は少ない、妻を娶る喜び、葬送を悩む」と答えると、樊丹老祖は頭を横に振った、それを見て子路は正しい答えではなかったのかと、樊丹老祖の言った通りに帰るより仕方がなかった。
孔子は空手で帰った子路を見て「食糧は借りられなかったのか」と聞いた、子路は「樊丹老祖は私に問題を出し、答えられれば貸す、答えられなければ帰れと言うので答えましたが老祖は頭を振りました、それでやむおえず帰りました」と答えた。すると孔子は更にどんな問題でどう答えたのかと子路に聞いた。子路が答えると孔子もまた頭を振り、すぐ顔回に「顔回、わしに替わってもう一度借りに行ってくれ」と言った。
顔回は子路の言った道の通りに行って樊丹老祖の家に着いた。家の周りに溝が掘ってあり、正面に溝の切れた処があった、この溝が囲いで切れた処が表門だと思い、正面に回わり溝の切れた処から入り、戸口に立つと「樊丹老祖はご在宅ですか」と聞いた、家の中から「居る、入りなさい」と声がした。顔回は家に入ると恭しく樊丹老祖に礼をしてから「私は孔子の弟子顔回で御座います、孔子に託され食糧を借りに参りました」と言うと、樊丹老祖は「わしが出す問題に答えられれば貸してやろう、答えられねば何処から来たのか来た処へ帰れ」と言った。「樊丹老祖、どうぞおっしゃって下さい」「この世に多いものは?また少ないものは?何を喜び、何を悩む?」顔回は少し考え「この世に小人多く、君子少なし、借りられる喜び、頼むに悩む」と答えた。すると樊丹老祖は頷いて、そばにあった瓢箪と小さな棒を顔回に渡し「帰ったらお前の老師の孔子に貸したものは何時返してくれるか、返事をくれるように伝えてくれ」と言った。顔回は「老祖、ご安心下さい、私はきっとご返事を持って参ります」と答えた。
顔回は瓢箪と棒を抱えて帰り孔子にこの事を一通り話し、最後に「樊丹老祖は貸した食糧は何時返すか、返事をするように私から老師に伝えるようにおっしゃいました」と付け加えた。すると孔子は弟子たちの前で「わしが生きていればわしが返す、もし死んだらわしの弟子が返す」と言い、これを手紙に書いて顔回に持たせ再び、樊丹老祖の許に行かせた。樊丹老祖はこれを見て頷いた。
さて、孔子が小さな棒で瓢箪を叩くと、瓢箪の中から米が出てきた、それから毎日瓢箪から米を出して孔子と弟子たちは食事をした。不思議な事にこの瓢箪は何時でも叩けば米が出た。こうして孔子と弟子たちは急場を凌ぐ事ができて樊丹老祖に感謝した。
後に孔子の弟子三千人、七十二人が賢人として名を成すと、孔子の誕生日に孔子の許に来て、一人ひとりが祝賀の意を表する語を二句書いて孔子の家の門に貼り孔子に見て貰った。この時、痩せた白髪ぼうぼうで破れた衣服をつけ、曲がった杖を持った老人が来て、二句の詩を書き、孔子の家の門の両側に貼った。孔子が出て来ると老人は「今日は一つは聖人の誕生を祝い、一つはあの時貸した食糧を返して貰いに来た、あの時、米を出す瓢箪を貸したので、今はわしが食べる物がない」と言った。
孔子は樊丹老祖をすぐ家に案内し、一緒に食事をし、帰る時には食糧を差し出した。樊丹老祖が「また返して貰えるか」というと孔子は「私が返せなかったら、私の弟子が返します」と答えた、すると樊丹老祖は「わしは聖人の弟子が何処にいるか知らないが…」「こうして門に対句が貼ってあれば私の弟子の家です」と答えた。
それから、樊丹老祖は食べ物がない人を何人か連れて、門に対句の言葉が貼ってある孔子の弟子の家を訪ねるようになった。それで孔子の弟子の家では破れた衣服を着て袋を持った人が来ると樊丹老祖が米を取りに来たとわかり、家に入れ、食事を出したり、いくらかの米を持たせて帰した。それが代々伝わり、食べ物を求めるのも三百六十の職の一つになり、これで生活する人々を飯を求める乞食と呼ぶようになった。 (李占春故事選)