514 無名異の由来   

 臨沂の周辺にある種の土があってそれに無名異という名が付けられている、この土は漢方薬で止血、痛止めの外傷によく効く良薬である。この漢方薬がどのように発見されどうしてこんな名が付けられたのか、その由来を話そう。

 昔、魯南に李家庄という村があって李勇という若者が住んでいた、両親が死に兄夫婦と農作で暮らし、冬になると東海で闇の塩を仕入れ、西の村々で密売して稼ぎ、兄夫婦との暮らしの助けにしていた。牛も馬も車もないから李勇はボロの袷を着て密売の塩を詰めた大きな袋を背負って運んでいた。
 そうして長い間にこのボロの袷に塩が沁み付き、李勇は袷に塩の湿気が滲むと雨が降ることがわかってきた。ある年、天気のいい日に嫂が刈り取った麦を干し場に出したので、ボロの袷を見ると塩の湿気がでている、嫂に「早く麦をいれたほうがいい、雨が降って来るよ」と教えると嫂は「こんないい天気なのに雨が降るの?」と信じない、李勇は重ねて「きっと降る、早くいれたほうがいい」と嫂に無理に麦を干し場から引き上げさせた。すると間もなく風が吹き、雲が出て来たかと思うと雨が降り出した。

 それから村人たちは李勇は占いができると言い、嫂は実家に行って李勇の占いは何でも当たると言ったものだから、李勇は占いで一躍有名になってしまった。
 ある時、近くの村で祭りのドラと太鼓などの道具がなくなった。その村では方々探したのだが何処を探しても見つからない。そこで李勇の噂を聞いていた村では李勇に占って貰おうと使者を出して、ロバを牽き李勇を迎えに来た。李勇は「私は占いはしません、私を連れて行っても無駄ですよ」と断った。
 すると村の使者は 「あなたは風や雨などみんなわかると聞きましたが、占いをするしないは別にして、一度あたしたちの村に来てみませんか、ドラや太鼓の芝居や歌ですごく賑やかですよ」と何度も誘い、とうとう李勇をロバに乗せて村へ連れて行ってしまった。村に着くと、村の旦那衆が集まり李勇を賓客にして、大いに飲んだり食べたりの大宴会になって、いくら李勇が占いはできないと言っても聞いてくれないし、夜も更けて帰れなくなって泊まることになった。

 真夜中になって李勇は“俺は占いはできないのだから明日はみっともない事になってしまう、早いとこ逃げてしまおう”と考え、そっと宿から抜け出した。ところが道はわからないし、真っ暗で前もよく見えない。何処でもかまわず目茶目茶に走って逃げているうちに、ドスンと井戸の中に落ちてしまった、足の下はゴツゴツと固い、腰の回りを探ってみるとドラと太鼓がある。“これは誰かが盗んで隠す所がなくこの井戸に投げ込んだのだな、俺は食べたり飲んだりしたあげくこれを見つけ、運がついている、村に戻って知らせてやろう”とスルスル井戸から這い上がった。李勇は全身びっしょり、火にあぶって乾かした。

 翌日、まだ体が乾かないうちに村人がやって来て、「占いは終わりましたか」と聞いた。李勇は「あなたの村のドラと太鼓は南の井戸の中です」と答えた。村人たちは半信半疑であったが、南の井戸へ行ってみるとその通りなのでびっくり、李勇の占いは本当に霊験があると言った。こうして李勇の占いはますます神の霊験だと伝えられ、李勇を間近に見た者は李勇が占う時は全身に熱気がみなぎり、着ている服は湿ってくると伝えた。そこで南の村でも北の村でも李勇の占いはみんな当たると噂した。一は十、十は百、百は千、千は万と噂は広がりとうとう皇宮にまで伝えられた。

 一年たって、后妃の赤金龍鳳凰の簪がなくなった。簪は后妃が大切にしていたものだから大変だ、皇帝陛下は怒り、宮廷の者を打ち、斬殺したがそれでも見つからない、万策尽きて大臣たちは占いを皇帝に進言した。天下の占い者を探せと皇帝陛下の聖旨が下り、県知事はこの時とばかりに担ぎ手八人の駕籠をしつらえ李勇を都へ送った。だが送られた李勇は“大変だ、皇帝陛下の前で占いができなければ、皇帝を欺いた罪で親類縁者まで殺される、どうしよう、逃げても逃げきれない、そうだ先に延ばすしかない”と、皇帝陛下に「簪がなくなってから日が経っていますから短い時間では占えません、三日あとに占います」と申し上げた。皇帝陛下もそれは一理あると三日の余裕を許し、李勇を皇宮の殿内に宿泊させ、殿の外を軍隊に守らせた。

 来る人の少ないこの殿に李勇は泊まった。一日目はもともと占いができないのだから何もする事がない、二日目も同じ、三日目の真夜中、李勇がいる部屋に万の光の道、千の金の筋がさした、何事だと見ると部屋の壁の上の隙間から光が出ている、何だ見てみようと寝床の上に椅子をのせ、椅子の上に木の丸椅子、丸椅子の上の煉瓦をのせ、その上に立って壁の隅の隙間に手を入れると、何かが手の先に触れる、引き出すと壁の土と一緒にその光がぬけ、とたんに踏み台にした丸椅子の上の煉瓦もろとも転げ落ちた、みると光は正に龍と鳳凰が彫られた赤金龍鳳凰の簪であった。李勇は“これは貪欲な宦官が盗みここに隠したのだ”と喜んだが転げ落ちたとたんに腿が傷つき血が飛び酷く痛い、真夜中なのにどうしようと先ず簪を懐に入れ、壁の土を掴んで血の出た傷口に擦り込んだ、すると血が止まり痛みがとれ、翌朝になると治っていた。

 その朝、皇帝陛下が「占いはどうした」と聞くと李勇は「占いで簪が見つかりました」と赤金龍鳳凰の簪を差し出した。皇帝が見ると正に赤金龍鳳凰の簪であったので李勇の占いの霊験を称えた。もちろん后妃は大喜び、宮廷では犯人捜しが蒸し返された。それから李勇は皇宮に数日泊まり、皇帝陛下から一家で一生暮らせるほどの金銀緞子などを賜った。

 さて、李勇は家へ帰ると、嫂に今までの事を細かく話すと、嫂はハハハと大笑いして、「あんたは本当に幸運な人だね、それで傷が治った土は持って来たの」と聞いた、「うん、持って来たよ、嫂さん見て」と李勇は土を取り出すと嫂はその大小の土の塊を押しつぶして取って置いた。
 それから何日かして、隣の子供が木登りして手首が切れて血が出た、早速この土を擦り込むと血が止まり痛みがなくなった。やがてこの事が噂になって広がると、今度は一人の農民が畑仕事の最中に腿を切ってしまい血が流れ出したので、またこの土を擦り込むと血も痛みも取れて治った。

 これをある医者が知って、何人かの傷に試してみると非常によく効くことがわかった。それからこれが止血、痛止めの外傷薬になった。しかし名前がない漢方医がいろいろの名前を考えたがこの土の薬に合った名前が見つからない、そこで何時の間にかこの薬を無名異と呼ぶようになった。  明の時代になって李時珍が薬名を整理した医学書にこの無名異を載せてから無名異は止血、痛止めの外科の良薬になった。                                                          (四老人故事集) <注> 李時珍 1518年生、1596年『本草綱目』刊行。