508 乾隆帝、文字を問う
詩をよくした清の乾隆帝は1783年の東巡で沈陽に赴いた時、太清宮の一幅の対聯を見た。それは柱に掛けられた古今に極めて少ない合併字の聯であった。
乾隆帝は聯の前に立ち、じっと見つめ、論語の計一万一千七百五字にもこの十四字はない、四書、五経の中にもない……
といろいろ考えたが読めない。乾隆帝はこの聯を指しながら紀暁嵐に「卿、これは何と読むのか」と下問した。
才能豊かで作詩にも通じている紀暁嵐は下問を受けて「臣はわかりません、何とぞ陛下のご指導を」と答えると、乾隆帝は「卿は四庫全書も編纂したのに、どうしてこの十四字を知らないのか」と不満であった。「臣は学が浅く、陛下を欺くことはできません」
そこで乾隆帝は道教の太清宮導師を招いた。太清宮は帝の前に跪き「陛下、これは山西五台山霊境洞九真道人により伝えられたもので、すでに二千年経っております、これは道教だけが用いる合併字で『玉炉焼煉延年葯、真道行修益寿丹』(玉炉で焼き練った長寿薬、道教修行の丸薬)と読みます」と奏上した。
乾隆帝と紀暁嵐は頷きながら「我が師、我が師」と言い、乾隆帝は筆を執り、“太清叢林”と四字を大書して太清宮に贈った。
(沈陽市巻上)