楊柳青
天津の楊柳青はもとは柳口と呼んだのに何故楊柳青と改められたのか?
昔のまたむかし、柳口に楊小と言う孤児がいた。楊小は昼間ふちの欠けた器を持って残飯や残り汁を貰ってそれを食べ、夜は街の小さな荒れ寺の中で寝た。
その年の冬は大雪で酷く寒く、すぐ十二月だと言うある晩、荒れ寺に帰ってきた楊小は凍えそうに寒いので、そこらを回って寒さを凌ぐ場所を探したがない、仕方なく寝床にしていた草の筵から草を抜いて、それに火をつけその前に屈んで体を暖めた、前の胸を暖めると後ろの背中を暖めたが夜中になると草もなくなり、冷えてくるのに居眠りを始めた。
すると白い髭の老人が現れ「楊小、楊小、起きろ」と呼んだ、楊小は驚いて目を覚まし「お爺さん、わたしを呼びましたか」と聞くと、「ああ呼んだ、お前そのまま寝てしまうと明日の朝には死んでるぞ」とお爺さんが言った。
楊小はその親切に涙を流しながら「有難うございます、お爺さん、ところでこんな夜中にわたしに何かご用ですか」と聞くと老人は笑って「わしはお前を助けに来たのだ」 「わたしに何を助けてくれるのですか」 「金貨と銀貨だ」 「それは有難うございます」 「お前、金があったら何をする?」 「家を買って質屋を開き、お金を儲けて、貧乏な人を助けます」 「お前それが出来るか」 「出来ます」 「よし、では本当のことを言おう、わしは人間ではない、この土地に数百年いる土地神だ、 お前はここをどうして柳口と言うか知っているか」 「知りません」 「昔、ここに生涯善行を続けた金持ちの柳長者がいた、長者が死ぬと人々は長者の功徳を記念してここを柳口と呼んだのだが、その後はよい子孫に恵まれず柳家は没落した。
しかし、天帝は長者の功徳を賞で子孫が貧乏で苦しまないように柳家のために金貨の瓶二つ、銀貨の瓶二つを残したのだ」 「何処にあるのですか」すると土地神は荒れ寺の西北の角の壁を指して「あの下に埋めてある、その金を借りて使え、だが後日柳青に返さねばならぬ」 「柳青と言う人は何処にいるのですか」 「鉄の草鞋を履いて捜しても見つからぬ、時が来れば自然にわかる」そう言うと土地神の姿は消えた。
そこで楊小は目を覚ました、夢だったのだ。楊小は夢を本当だとは思わなかったが、三日続けて同じ夢を見て不思議に思い、壁の下を見ると地面は凍って堅く、誰かに手伝って貰わねば掘れそうもない。楊小はすぐ世話になっている梁忠に相談しょうと思った。
梁忠は街の店の雇われ料理人で独り者である。梁忠は正直で利口な楊小を可愛がり、何時も店の残飯や残り汁をやり、金ができたら父も母もいない楊小を自分の家へ呼んで一緒に住まわしてやろうと思っていたのだ。
楊小は翌日、鶏の声で起き朝飯を食べ急いで梁忠の家へ行った、「こんなに早く、何しに来た?」楊小は息をはずまして、あの不思議な夢の話をした。「楊小、こいつは本当かもしれない、今晩二人で掘ってみよう」と梁忠は言った。
その晩、楊小と梁忠はツルハシで荒れ寺の堅い地面を掘り、黄金に輝く二つの金貨の瓶と白い花のように光る二つの銀貨の瓶を掘り当てた。それから梁忠は人に使われずに、楊小も残飯を人から貰わずにすむようになり、家を買って商売を始め、瞬く間に金を儲け、大金持ちになった。楊小は土地神と約束したことを忘れず、四季ごとに粥鍋を作り世間の貧乏な人々に施し、梁忠には積もった財産を分けようとしたが、梁忠は「楊小、これはお前の福運だ、俺はそのお蔭をこうもっただけで満足だ。それより借りた金を柳青へ返すことを忘れるな」と言った。
しかし柳青は何処にいるのだろうか。
楊小は二人の人を方々へ遣わして柳青を捜し柳姓の人がいれば名前を聞いた。
だが一万人以上の柳姓の人に聞いても柳青は見つからなかった。やがて楊小は六十歳を過ぎ、何人もの孫も生まれたが柳青を捜すことは出来なかった。
ある日、楊小は夕食をすませて散歩していると年若い夫婦が「楊さま、どうか私たち夫婦を助けて下さい」と言った。
「どうしましたか」 「私たち夫婦はほかの土地に住んでいましたが、もともとはここが郷里なので帰って来ました。しかし私は病気、妻は臨月で一文の金もなければ住む所もありません、どうか助けて下さい」楊小は夫婦がもとはこの土地の者だと聞いてすぐ「お名前は何とおっしゃいますか」と聞いた、「私の姓は柳、名は茂元と申します」楊小は姓が柳と聞くと喜び、たとえ柳青ではなくても引き受けて助けようと思った。
楊小の家に柳茂元夫婦が住むようになって三日目、茂元の妻が女の子を産んだ、名前は何とつけようと茂元が頭を上げると窓の外は緑の柳が並んでいた、「そうだ、娘の名を柳青にしよう」と茂元が言った。ちょうどその時、楊小が使用人に卵などを持たせて誕生の祝いにやって来て、窓の前で柳青の名を聞き嬉しくて転びそうになりながら大声で「柳青、柳青、わしはお前を捜していたぞ」と叫んだ。柳茂元は驚いて「楊小さま、柳青がどうかしましたか」と聞いた。
楊小は茂元にそのわけを話し、柳家に財産を返そうとしたが柳茂元は誠実な人で受け取らない。それでは楊、柳両家が一緒に暮らそうと、両家は一つになって和気藹々に何代も暮らすようになった。
後の人が楊柳両家のこの美しい話を伝えようと、ここの地名を柳口から楊柳青に改めたのである。
薛天智故事選 00.11.22
<注> 現在の“楊柳青”は天津市西青区にあり、年画(中国の春節などに、門や室内の壁に貼る慶祝、厄除け の伝統の版画)の生産地で、旧名は柳口鎮といい明代に楊柳青と改称されたという。(樋田直人著『中国 の年画』−大書館書店による)