父の心

 呂は人生半ばで妻を亡くし、一人息子の呂良を父として、また母となって育て、何事にも自分はさておき息子の勉学を励まし、とうとう国家試験(科挙)の“挙人”に合格させ、今は更に上級の“進士”の試験を待つばかりであった。
 やがて試験の時期がきて呂は呂良を北京へ送り出したかったが、貧乏で数千里離れた北京までの旅費がない。家は借家で売る家具もない、毎年耕す畑も黄百万の借地である。呂は息子の出世のために恥を忍んで、方々へ足を運んで借金を頼むしかない。だが『人情薄きこと紙の如し』と言うように貧乏人をかまってくれる人はいない。親戚の者も日頃は何だかんだ言っても、いざとなればいい加減な言い訳をして、わきを向いてしまう。

 国家試験というものは賭けと同じで、合格すれば天にも登るが落ちてしまえばもとの貧乏になってしまうのは鏡を見るより明らかだ。もし合格しなければ借りた金が音を立ててせまって来る。誰も肉饅頭を犬にやるように返って来ない金を貸す馬鹿な事はしない。だから呂は正月の挨拶に行っても誰からも一枚の銅銭すら貸して貰えない。

 息子の呂良は孝行者で、父が自分の勉学のために身をすり減らしていることが分かっていたから、食べる物も着る物も節約して昼も夜も勉強して腹一杯に飯を食べた事も、ゆっくり寝た事もない。今この大事な時に父が自分の旅費の工面に走り回っているのを見て、呂良はいたわるように「お父さん、金があってもなくても北京へは行くから心配しなくていいよ」と言った。
 「何かいい方法があるのかい」 「物乞いをしながら行くよ」 「それは駄目だ、もし一度でも食べられず一日でも宿に泊まれなければどうする、焦るな、わしにいい考えがある」

 それから呂は三日三晩考えた末、呂良に「お前決めたぞ」と言った、「何を決めたの」 「黄百万に借りる」 「お父さん、あいつは悪い事ばかりやっているんだよ、法を曲げて貸した金に高い利子をつけ、人々から金を搾り取っているんだから止めた方がいい」 「お前は学問の虫で世間知らずだな、お前が試験に合格すれば何の心配もないよ、行って相談して来る」

 こうして呂は黄百万の家へ出かけた。 黄百万は百里四方に知られた大金持ちである。金でも権勢でもないものは何もない、ほんのひとかけらの不安すらない。
 だが今は酒色に溺れた老父が死にそうで、死後の老父にどんな上等な棺桶を用意し、どんな葬式をしたらいいのかが黄百万の唯一の悩みだったのである。それと言うのは黄百万は富豪中の富豪として派手な葬式をして自分の孝養を外に示したかったからだ。そこで死んだ老父と一緒に生きている人間の陪葬を考え、その代価を銀二百両と決めた。
 金は少なくはないが誰だって喜んでそれに応じる者はいない。人はたとえ貧乏でも生きていたい、誰が生きたまま老いぼれの死体と一緒に土の下に埋められる陪葬など願う者があろうか。 だがまさに黄百万の悩みはこの陪葬になる者がいないことだった。
 そこへ下男が呂が会いたいと言っていると知らせに来た、黄百万はすぐ呂が息子の受験の旅費を借りに来たなと思い、家の中へ通し分かっているのにわざとこう聞いた。

 「呂さん、わしに用かね」 「わしの息子が科挙を受けに北京へ行くのに幾らか金を貸してくれませんか」 「おお、それはいい事だ、あんたの息子は文才があるからきっと第一等で合格するだろう、で幾ら借りるんだね」 「銀五十両ほど」すると黄百万は「ハハハ、呂さんあんた世間知らずだね、銀五十両じゃ足りないよ」 「倹約して使いますから」 「ぞれじゃ合格しないね」 「どうしてです」 「一等で合格するには文章の良し悪しに頼ったって駄目なんだ、試験官を買収してうまくやらなければあんたの息子の苦労は無駄になるね」 「本当にそんな仕掛けがあるんですか」 「嘘か本当かは、マア、あんたが考えるんだね、元手なしに利益はない、危険なしに得るものはないよ」 「幾らかかりますかね」 「銀二百両はいるね」 「エッ、そんなに」呂は一生かかっても稼げないその金額に慌てた、それを見た黄百万は「まあ心配するな、わしも人助けだ、貸してやるよ」 「旦那、有難うございます」 呂は喜びのあまりに涙を流し、黄百万の前に跪き叩頭の礼をした。

 だが黄百万は呂を引き止め、「先に礼を言われても困るよ、わしがあんたに金を貸して万一あんたの息子が第一等の“進士”に合格しなかったらどうするつもりだね」そう言われると呂は“そうだ、万一息子が“進士”に合格しなかったら、こんな大きな借金を年寄りのわしに残された歳月で返せるだろうか、アア、“進士”合格がこんなにも難しかったとは”と心の中で嘆いた。
 その時、黄百万が「あんたが承知するかどうか分からないが、わしにいい考えがあるんだが」と言った、「旦那がわしら父子を助けてくれるなら、わしは何でもします」と答えた。
  黄百万は呂が話に乗ってきたとみると、陪葬の話をずばりと持ち出した。呂はドキッとして“こいつ、わしをおだてて、つまりはわしを親父の副葬品につもりだったのか”と怒ってみたが、また“自分の犠牲で息子が出世し、子孫の繁栄につながるなら、思い切ってこの老骨を投げ出してもいい”と思い直し、自分の身を売る契約書に手形を押した。

 そして銀二百両を受け取って家へ帰り、途中で肉二斤、酒一斤を買った、息子との離別の宴にしようとしたのである。呂の心の中には涙が流れ、家に近づくと呂は呂良に気づかれぬように涙を拭い、作り笑いをして家に入った。
 呂良は父親が手に肉と酒を提げ笑顔で帰って来たのを見て、うまく旅費を借りられたのかといろいろ尋ね、銀二百両借りたと聞くと驚いて「お父さん、黄百万はそんなに沢山どうして貸してくれたのだろう」と聞いた、呂は慌てて「黄百万はお前が合格したら、あやかりたいと思っているのだ」と言った。呂良はそれを真に受け心の中で黄百万に感謝し「知恩に報いざれば君子にあらず、わたしは出世したら黄百万に重々礼をします」と言った。

 それを聞いて呂は“何も知らない息子、黄百万に何の礼をするのか、時がくれば分かる”と思わず涙を落としそうになった。
 翌日、呂良は一番鶏の声とともに旅に出た、呂は途中まで見送り、度々涙を流しながら合格したら立派な官吏になれと諭し、呂良は父に体に気をつけて、一等で合格したら父子楽しく暮らそうと言った。呂良は間もなく父が黄百万に生き埋めにされるとは知るよしもなかったのである。

 呂良は試験日に遅れないように昼夜道を急ぎ、夕暮れにある町に着き、宿を探していると道に人がたかっているので何だろうと覗くと、一人の若い美しい娘が売り物であることを示す草を身に挿し、人だかりの真ん中で跪いている、娘は我が身を売ろうとしているのだ、呂良はきっと何か困ったことがあるのだろうと「娘さん、どうしてこんなことするのか」と聞いた。
 すると娘は泣きながら「父が病で寝ているのに、お金がなくて医者にかかれないのです」と言った、呂良は自分の父を想いながら娘の心を察し、懐から五十両出して「このお金でお父さんの病気を治しなさい」と言うと、娘は金を受け取り人ごみの中に消えた。

 その晩、呂良は宿に泊まり翌日朝早くまた道を急いだ。歩き出してだいぶ経ってから昨日身を売ろうとしていた娘にまた会った。「お待ち下さい」 「何か用ですか」 「父からお礼を申すようにと言われまして」 「あんな小さな事でお礼なんていりません、お父さんはよくなりましたか」 「はい、とてもよくなりました」そう言うと娘は懐から一本の筆を差し出して「少々文章を書きます父があなたに差し上げるように申しました、試験場でお使い下さい」呂良は礼は受け取るまいと思っていたが娘があまりに心を込めて勧めるのでその筆を受け取った。

 北京へ着くと三日後が試験であった。その晩、呂良は娘から贈られた筆を出して灯りの下で見ると、筆の軸には金色の翼、金色の鱗の龍が彫ってあり、試してみると硬すぎず柔らかすぎず、書き易かった。
 さて、試験場で呂良がこの筆を持つと、文章を考える前に筆がひとりでに呂良の手を導くようにスラスラと文章を書き起こした。書き終わって目を通すとよく書けていて自分が書いたのではないような気がした。やがて試験の結果が公表されると呂良は第八等の“進士”に合格していた。

 数日後、皇帝の聖旨が下され呂良は故郷の県令に任命された。呂良はすぐに供を従えて故郷の父の許に急いだ。家の近くまで来ると、尻の穴のように近い親戚から、竿八本でも届かないような遠い親戚までが出迎え、呂良の父が黄百万に陪葬により生き埋めにされたと話した。
 それを聞いた呂良は泣いて驚き、すぐ黄百万を捕らえ人命を軽んじた罪で死刑囚の牢獄に入れた。

 呂良は父の屍骸を改めて手厚く葬ろうと、墓を掘ると地下三尺掘っても屍骸が見つからない、父の呂が生き埋めにされたのは明らかなのにどうして死体が見つからないのか。呂良は泣く泣く府営に戻ると、あの筆をくれた娘が微笑みながら外から入って来て「公、早く父上をお迎えにお行きなさい」 「エッ、父は何処に」 「お外に」 「父は死んだのではないのですか」
 呂良は喜んで外に出ると、父が元気な顔をして立派な服装で馬車に座っている、呂と呂良の父子は抱き合って泣いた。
  実は娘は胡小妹という狐仙であった。狐仙は呂父子の真情に感動し、先ず生き埋めにされた父の呂を墓から救い出し、そのあとで小妹は身を売る女を装い、呂良の心を試し、呂良が確かに善良誠実な若者と分かると、筆を贈り試験場で呂良に代わって文章を書いたのだった。

 後に胡小妹は呂良の妻となって呂良を助け、人々に呂良を清廉潔白な県令と言わしめたということである。      

            薛天智故事選                               00.10.1

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