虎のヒゲ
昔、狙った獲物ははずさぬという若い猟師がいた。空を飛ぶ鳥も地を走る獣もこの猟師を見ると驚き恐れた。見つかれば大変だからである。
ある日、猟師は山で子虎を連れた母虎を見つけ、弓を引いて射ようとすると、母虎は「優しい名手の猟師さん、わたしたち母子を見逃してください」と哀願した。「見逃してくれと言うのか?」 「はい、この子はわたしが死んだら飢え死にしてしまいます」と母虎は涙を流した。
猟師は小さい時に母を亡くし、母のいない子がどんなに苦労するか分かっていた。それに母虎が涙を拭くのを見ると虎の子が可哀相になった。だがこのまま虎を山へ帰すのも考えものだと思い「見逃せばお前はまた人を食うのではないか」と聞くと、虎は「わたしは人を食べません」と言う。「なに!虎が肉を食べない?」 「わたしは前世で人間でしたが死んで生まれ変わり、虎になったのです」 「エ、お前の言う通り人が虎に生まれ変わるなら、虎も人に生まれ変わるのか?」 「そうです、虎ばかりではありません、あの猫でも犬でも、狼、熊、豹でも人に生まれ変わります。ただいい人間には生まれ変われません」 「それは本当か?」 「嘘ではありません、疑うならあなたにいい物を上げます。これがあれば人の前世がすぐにわかります」母虎はそう言うとヒゲを一本抜いて猟師にくれた。
虎のヒゲは白く太くて硬かった。「何になるんだ」と猟師が聞くと、母虎は「このヒゲを懐に入れ、悪い事をする人を見たら目を閉じ、心の中で『虎のヒゲ、虎のヒゲ、聞かしてくれ、この人は何の生まれ変わり』と三回唱えて目を開けると、すぐその人が何の生まれ変わりか分かります。ただ何を見ても目の中、心の中、腹の中だけに納めて置くことを忘れないで下さい」 「どうしてバラしてはいけないのだ」 「本当の話を言ってしまうとあなたの身に災いがかかります」
猟師は母虎の話を心に留め、虎のヒゲを持って山を下りた。ある小さな村に入ると男が老婆を殴っている、猟師は駆け寄って「もしもし、あなたどうして老人を叩くのです?」と言うと、男は目をむき「こいつは俺のお袋だ、俺がお袋を殴るのに口出しするな」 「でもどうして」 「この老いぼれ、食うだけで何もできない、早く死なしてやるんだ」
猟師は“実の老母を殴るとは、なんて親不孝な奴だ、この男の前世は何だったのか見てやれ”と目を閉じてそっと“虎のヒゲ、虎のヒゲ、聞かしてくれ、この不孝者の前世は何だ”と三回唱え、静かに目を開けると、ア、男は大きな耳をしたロバであった。猟師は老婆に「あなたの息子はロバだ」と言ってやりたかったが、母虎の言ったことを思い出し、何も言わずにそこを離れた。
しばらくして猟師はちょっと腹が減って酒屋に入り酒を注文した、ところが酒を一口飲むと水っぽい、「親爺さん、この酒、水が混ぜてないか」と言うと、店の親爺は嫌な顔をして「水っぽいのがどうしたって言うんだ、飲みたくないならやめろ、俺の商売にけちをつける気か」と言った。これには猟師も頭にきて「酒屋の親爺が追い剥ぎもするのか」と言い返した、「何とでも言え、おい、誰かこいつをつまみ出せ」と酒屋の親爺が怒鳴ると数人の雇い人が走って来て遮二無二に猟師を外へ担ぎ出した。
猟師は男たちが乱暴なのでこいつらの前世を見てやれと、すぐ目をつぶり“虎のヒゲ、虎のヒゲ、聞かせてくれ、あいつらの前世は何だ”と心の中で三回唱え、そっと目を開けてみると、ヤヤ、酒屋の親爺は大きな亀、あの乱暴な男たちは揃って目の上の白い犬であった。猟師は人間の俺が犬や亀に馬鹿にされてたまるかと、怒りが込み上げ母虎の言葉を忘れ、頭を上げ胸を張って叫んだ。「ヤイ、人の皮を被った野郎ども、てめいら自分が何の生まれ変わりか知っているのか?」 「オー、何の生まれ変わりか言ってみろ」 「親爺は亀で、ほか奴は犬の群れだ」これを聞くと男たちは爆竹を鳴らして猟師を脅かし役所へ引き摺って行った。
酒屋の親爺は前から意地の汚い県知事には賄賂を使っていたから県知事は如何にも偉そうに裁きの席に着くと、ろくに調べもせず、いきなり酒屋の親爺に「何だな?」と聞いた、親爺は猟師を指差し「こいつはわしを亀、うちの雇い人たちを犬だと罵りました、県知事さまこいつを罰して下さい」と言った。
「お前はなぜ人を罵ったのだ」 「罵ったのではありません、真実を言ったまでです」 「では聞くが、お前は酒屋の主の母親に会ったことがあるのか?」 「ありません」 「酒屋の雇い人たちが犬のように盗み食いして、人の家に小便をかけているのを捉まえたことがあるのか」 「ありません」 「それならどうしてお前は酒屋の主を亀、雇い人たちを犬などと悪態をつくのだ?」
「実を言うとわたしはある宝を持っているのです」 「宝を持っている?」 「一本の虎のヒゲです」 「それに何の妙があるのだ」 「これは人の前世が見えるのです」 「本当か?」 「本当です」
これを聞くと県知事は嬉しくなってきた、“人には星の運があると言うが、わしは何の生まれ変わりでどんな星の運がついているか、もしわしの前途に洋々たる星運があるなら、間違のないようにその星運を実らせなければならない、もしかすると大臣、宰相になれるかもしれない”と考え、「それならお前、わしは何の生まれ変わりか見てくれ」 「よろしゅうございます」猟師は目を閉じ、あの唱え言葉を言い終えて県知事をみて“アッ”とびっくり真っ青になった。
「どうだ、何の生まれ変わりだ」 「言えません」 「なぜだ」 「怖いのです」 「何が怖い」 「あなたさまに罰せられるのが怖いのです」 「本当のことを言うにのに恐れるな、お前はいったい何を見たのだ」
猟師は県知事にだんだん問い詰められてとうとう「紅い肉を食べても白い糞をする大きな狼が壇上に座っています」と言ってしまった。
県知事は怒って「お前は本官を狼だとよくも罵ったな、誰かある、こいつを引っ捕らえて牢屋にぶち込め」と怒鳴った。獄卒が猟師を捕らえようとした時、一陣の風とともに虎が走って来ると猟師を背に乗せ、「見たことを言えば身に災いがかかると言ったのに」と言った。
猟師は溜息をついて「アア、人の痛い真実を語るのがいけないなら、何処へ真実を語ったらいいのか」と嘆いた。
薛天智故事選 00.7.17
日本昔話集成第二部本格昔話1・〈おいぬの眉毛〉403頁。