黒い心
昔、ある処に母と小宝という息子が住んでいた。生活に困っていたが母親は何とか暮らしを工面して小宝を学校へ通わせていた。
ある日、伯母が母親に炊いた糯粟を一碗持って来てくれた、母親は畑仕事で疲れ、お腹も空いていたのでそれを食べ、お碗を鍋の蓋の上に置いておいた。
そこへ小宝が学校からお腹を空かして帰り、いきなり鍋の蓋の上のお碗を取ると、碗に糯粟の粒がついている、とたんに小宝は怒り出し凄い顔つきになると「糞婆の食いしん坊、俺のいない時に何時もこんな旨いものを食っていたんだな」と怒鳴った、母親は「これは伯母さんが持って来てくれたんだよ、お腹が空いていたもんだから、あたしが食べたんだよ」 「糞婆、てめいの腹が空いていりゃ、俺の腹だって空いているんだ、そんなこと分からねいのか、いまにみてみろ」と言うと小宝は包丁を持ち出し砥石、でゴシゴシととぎだして、憎憎しそうに「俺が糞婆の腹を裂いて中を見てやる」と言った。
母親は小宝が癇癪持ちで、言い出したら必ずやると知っているから驚いて飛び出して伯母の家へ行って泣く泣く小宝のことを話した。伯母は母親にそっと帰り、ボロの着物を人の形にして寝床の布団の下に隠し、小宝を騙すしかないと教えた。母親は伯母の言う通りにした。夜になって外から帰った小宝は懐から包丁を出して寝床の人形を母親だと思って一刺しにすると暗闇の中に逃げてしまった。それから母親はたった一人で淋しく苦しい日々を暮らさねばならなかった。
さて、小宝は家を出て十年あまり、妻を娶り子供も生まれ、それなりの暮らしをしていた。ある日、小宝は妻が忙しいから、婆やを雇ってくれと言うので、人を探していると、殺した筈の母親が生きていると聞き、それなら母親を連れて来るのが一番手軽だと考え、昔の家へ行った。
母親が庭で洗濯をしていると、突然すべすべな上等な着物を着た息子が馬車で来て、口先だけは母を迎えに来たと言った。母親は心の中で“あの時の小宝はまだ若く何も分からず、あたしに酷いことをしたが、あたしの息子なんだから恨みはない、今日は迎えに来てくれたのだから行かなければ息子の心を無にする”と思った。近所の人々も小宝が謝りに来たのだからと勧めるので母親も安心して息子の馬車に乗って行くことにした。
小宝は母親を馬車に乗せ、暗い森に来ると馬車を止め、母親を車から引きずり下ろし、凶悪な形相をして「ここがお前の墓だ」と言った。
母親は驚いて土の上に座わると「息子や、あたしはお前をおむつの時から育てた、息子は親を死ぬまで世話してくれると思っていたが、お前はどうして二度も三度もあたしを殺そうとするんだ」と言った。すると小宝は「殺すんじゃない、言って聞かせるんだ、よく聞け、俺の家へ着いたらお前は雇いの婆やだ、今から俺を息子と言うな、俺を旦那さま、俺の女房は奥様と呼ぶんだ」そう言うと小宝は鞭を振り上げた、母親はこんな不孝者は息子じゃない、あたしはあたしで死ぬまで生きればいいと考え、「分かった、みんな分かったよ」と答えた。「お前に名前がなければ不便だから今日からお前の名前は老秋蓮だ、俺が老秋蓮と呼んだらすぐ来て、言われたことをするんだ」
こうして小宝は実の親を連れて帰り「婆やを雇って来たぞ、名は老秋蓮だ、何かあればやらせろ」と妻に言った。それから小宝の生母は息子の雇いの婆やとして、毎日朝早くから夜暗くなるまで、子供の面倒、洗濯と縫い物、豚や鶏の世話をやらされた。小宝は母が少しでも逆らえば罵り、間違ったことをすれば蹴ったり殴ったりした。
ある日、小宝が仕事に出かけた留守に、母親は豚に餌をやりに行き、母豚が子豚を九匹産んでいるのを見ると淋しそうに母豚に「お前、そうやって九匹の子豚を可愛がっても、子豚の気持ちは別々だ、やがてお前が年老いてどの子豚がお前を大事にしてくれるのか、分かっているのかい、わたしゃ、たった一人の息子にすら、一度もおっかさんと呼ばれず、老秋蓮、老秋蓮と呼び捨てにされ、馬車馬のように働かされているんだよ」と呼びかけた。
それを小宝の妻が聞き、不思議に思い「婆や、一人で何をぶつぶつ言ってるの」と聞いた、婆やは「何も言っていませんよ」と口を閉ざした。
だが小宝の妻は「いいえ、あたしはみんな聞きました、あなたの話が本当なら、あたしはあなたの息子が帰って来たらよく話します」と言った。
小宝の生母である婆やはその言葉を聞くと黙っていられなくなって本当のことを話し、小宝が実の親にどんなことをしたのかを涙ながらに打ち明けた。小宝の妻はそれを聞き終わると目に涙をためて嘆き「そうならばあなたはあたしのお義母さんです、どうぞ座って休んで下さい、食べたい物があれば作ります」と言った、だが母親は首を振って「駄目、駄目、小宝が帰ったらあたしは殺され、顔の皮を剥がされてしまいます」と言った。すると小宝の妻は「お義母さん、怖がることはありません、これは大変なことですよ」と言った。
小宝の妻が婆やを部屋に上げ二人だけで話をしていると、小宝が帰って来て真っ赤になって怒り「おい、老秋蓮、俺のいない留守に何してるんだ、そんな所に座り込んでいい気になり、何か文句でもあるのか」と怒鳴った、小宝の妻が「お前さん怒らないで、役人だって病人に手を出さないと言うじゃない、婆やは病気なのよ、あたしに免じて一日二日、休ませてやって」と言うと、小宝はそれ以上は何も言わなかった。
小宝の妻はそれから数日眠れず悩み、そっと義母である婆やに「小宝のお義母さんへの仕打ちは不孝で道にはずれています、小宝は悪い人です、これは官府に訴えるしかありません」と告げた。小宝の母は“あたしの命は息子の手に握られてしまった、生きて行くためには仕方がない”と思い、息子の妻に官府へ告訴状を出させた。
県知事に捕らえられた小宝は裁判にかけられ、真実を白状して断罪された。小宝の心臓を取り出すと真っ黒であった。だが小宝の妻は善良な人でその後は義母を大切にした。
薛天智故事選 00.50.29