蛙の渡し
ある地方の大きな河の西岸の渡船場は刀で斬ったような切り立った岸壁の下にある。その大きな鏡のように光る岸壁には人の高さほどの大きさで『蛙渡』と彫ってある。これには一つの物語があるとこの土地の人が話した。
これはずっと昔の話で何時の年のことか忘れてしまったが、この河の西岸に一人の老婆が住んでいた。心の優しい老婆であったが不運で、十七で嫁入りした二日目に夫が死んでしまい若い寡婦になってしまった。周りの人は再婚の手を差し伸べてきたが、再婚すれば亡夫の可哀相な母の面倒をみる者がいなくなるからと、誰が勧めても首を振るばかりであった。そして義母が死ぬまで尽くし、やがて自分もまた年老いて白髪の老婆になった。
ある日、この老婆が河辺で洗濯していると、青蛙がピョンと盥の中に跳び込んだ。青蛙は小さなお腹をピクピクさせながら二つの目で老婆をじっと見ている、老婆はその可愛い様子を見て、ふと「蛙さんや、蛙さん、わたしは内の人が早く死んで、お前さんのような息子がいないんだよ、だからこうして年を取って頼る人も、一緒にお喋りするお相手もいない、もしお前さんがこの一人ぽっちの婆さんを可哀相だと思ったら一緒に暮らしておくれ」と呟いた。
すると青蛙は老婆の話が分かったのか盥の中でじっとして動かない。それで老婆は青蛙を洗濯物と一緒に盥にいれたまま連れて帰った。
さて、老婆は家に帰って庭に洗濯物を干してから家に入ろうとすると、門に澄んだ目をした若者が立っている、「あんた何処の人、何か用?」と聞くと、若者は笑みを浮かべながら「私はあなたの息子です、お母さんを助けに来ました」と答えた。
老婆はびっくりして「わたしは子供を産んだことがありませんよ、年寄りをからかわないで下さいな」と言うと、若者は「からかっていません、私はさっきの青蛙で、あなたの息子になって来たのです」と言った。「あんたは人じゃないの、青蛙なの?」と老婆が聞くと、若者は何も言わず、くるりと回って青蛙に変わって「私は天界の神から遣わされた蛙です、もしよかったら私を蛙息子と呼んで下さい」と言うとまたくるりと回って若者に変わった。身寄りのない老婆は神の遣わした蛙息子を喜んで迎え、一緒に暮らすことになった。蛙息子は一番鶏の鳴く前に起きると、休まず働き、二年たらずで茅葺きの家は瓦屋根の家に、玉蜀黍や高粱を食べる暮らしは、米や小麦粉を食べる暮らしになり、老婆は蛙息子の老母となって楽しく暮らした。
ある日、蛙息子は老母と河辺へ行くと、老母に「おっかさん、この河には橋も渡し舟もなくて両岸の人はみんな離れて暮らしている、橋がなければせめて船があればいいのにねえ」と言った、「息子や、うかつなことを言わないほうがいい、この河の底には尖った石の山」があって、船がそこを通るとひっくり返ってしまうんだ、以前にも大勢の人が試してみてみんな命を落としたんだよ」 「それならその山をどければいいのに」 「馬鹿な子だねえ、誰にそんな神様のような強い力があるの」 「私にあります」 「お前にあるって?」 「ええ、おっかさん、あの蛙の皮のこと覚えていますか?」 「おっかさんが忘れるものか、ちゃんと箱に鍵をかけてしまってあるよ」と老母が答えると蛙息子は「おっかさん、実はあの蛙の皮を着ると誰でも神様のような強い力が出るんです、前に私もあの皮を着て試しに河の底へ行ってみたのですが、残念ながら私は人間のように火で煮た物を食べずに育ち、体に骨がなくて、あの水底の山を肩に担ぐのに耐えきれなかったのです、おっかさん、私は今もあの河底の山を担ぐ力がないかもしれませんが、河の両岸の人々が何十里も道を回らなければ行き来できないでいるのを見るともう一度、河の底に潜って試してみたいのです」と言った。
すると老母は慌てて「そんなことしたらお前は死んでしまう、やめておくれ」と言ったが、蛙息子が重ねて「おっかさん、私に行かせて下さい」言うと、老母は「それほど言うなら、お前のしようとすることはいいことだから、おっかさんは止めない、でも日を選んだほうがいい」と言った。蛙息子は素直に「はい」と答えた。
その晩、老母は蛙息子に「おっかさんが人に占ってもらったら、あさってが黄道吉日だと言うから、この二日はお腹一杯食べ、よく寝て力をつけ、あさってに備えるといい」と言いつけた。蛙息子はそれを聞いて喜んで床についた。夜中になって老母は蛙息子がよく寝ているのを見ると、そっと起きて足を忍ばせ箱からあの蛙の皮を出して抱え、月の光りで蛙息子の寝顔を見てから河へ向かった。
老母は河辺に着いて蛙の皮を着ると、目がはっきりして、心が澄み、全身に力がみなぎった。老母は音を立てて河へ飛び込み、水の中で目を見張ると、河底に大きな山が聳えている、老母は短い腕が長くなればこの山を抱えて肩に担げるのにと考えていると、急に体が大きく高くなり、腕も長くなった。老母は軽々と山を肩に担いで水面に出て来ると山は大きく重くなり支えきれなくなった。老母は歯を食いしばって山を西岸へ運び、岸に着くと胸がカッと熱くなって、目の前が真っ暗になり力尽きて、ドッと大きな山を投げ出した。
山は大きな音とともに地震となって揺れ、寝ている人々の目を覚まさせた。蛙息子も驚いてガバッと身を起こすと、老母の姿も箱の中の蛙の皮もない。蛙息子はすぐ何が起こったのかを悟り、河辺に走った。すると老母が蛙の皮を手に持ったまま河辺の砂の上でうつぶせになって死んでいた。蛙息子は老母の体を抱いて泣き叫んだ。蛙息子は老母の葬式を済ませ、あの蛙の皮を河に浮かべると一隻の舟になった。それから蛙息子は船頭になって、河を渡る人々を乗せて往来し、ここに渡船場ができた。
後に人々は老母と蛙息子の功績を忘れないように西岸の岸壁に『蛙渡』と大きな二字を石工に彫らせた。
薛天智故事選 00.4.28