亀の精
これは年寄りから聞いた話である。
昔、この遼河のほとりに老夫婦が住んでいた。老夫の名は馬、年は五十を越えている。夫婦は魚を捕って暮らしていたが楽ではなかった。たいした蓄えもなく年毎に老夫は腰が曲がり、老妻は背中が丸くなっていった。
ある日、馬老は何時ものように朝早くから日が落ちるまで一日中、網を打ったが捕れた魚もエビも魚籠の半分にもならない、そのうちにシトシトと雨も降ってきたので雨に濡れながら棹をさして舟を向こう岸に着けた。さて降りようとすると、白い長い眉毛、胸まで垂れる白い髭の老人が東の方からやって来た。老人はゼイゼイ息をしながら馬老の舟の前に立ち、遠慮ぶかく言った、「船頭さん、わしは向こう岸の項家の者だが、今日は町に出て帰りがおそくなり、此処まで来たら渡し船が一艘もない、すまないが向こう岸まで行ってくれんか、渡し賃は出すが」 「お金はいりませんよ、乗ってください、すぐ舟を出します」 と馬老は答えた。
項老人が舟に乗ると馬老はすぐまた棹をさして舳先を回し、向こう岸へ舟をやった、舟が岸へ着くと項老人は懐から銀二十両を出し馬老に渡そうとした、馬老がいらないと言うと、項老人は無理にでも渡そうとする。こうして馬老と項老人は互いにしばらく押し問答していたが、項老人は馬老がどうしても受け取らないと分かると、銀貨をまた懐にしまい、馬老に礼を言って去った。馬老は項老人が去ったあと再び舟を回して帰ろうとした時、さっき項老人が座っていた所に大きな銭袋があるのに気がついた。
「アレ、あの老人は銭袋を忘れていった」と馬老はまた舟を岸に戻し、舟から上がると大きな銭袋を提げて項老人の後を追った。
馬老は河に沿って一気に走ったが項老人は何処に消えたか見えない。馬老はあんな年とった老人がそんなに早く歩けるわけはないのに、瞬く間に見えなくなるなんておかしいと思ったが何処にも項老人の姿は見えなかった。
馬老は項老人の姿が見えないので仕方なく舟に戻り、手に提げた銭袋をまた舟の中に置くと、急にその銭袋が膨れ上がって動き出した。馬老は“この銭袋は生きている?”とびっくり、銭袋の口を開けてみると、ヤヤ、中には小さな亀の子が五六十も入っているではないか、馬老は長い間この亀の子をながめていたがどうしていいか分からない、しばらく考えてから、“よし、この亀の子を河に逃がしてやろう”と決めて、亀の子をポトリ、ポトリとみんな遼河の流れの中に放してやった。亀の子は一匹一匹元気に泳いで行った、馬老は心に喜びを感じながら、舟に棹をさして家へ帰った。
翌日の昼、馬老が昼飯を食べていると、昨日、舟に乗せてやった項老人が訪ねて来て、いきなり「船頭さん、昨夜、わしは舟から降りる時、銭袋を忘れたが見なかったかい?」と聞いた、「ええ、ありましたよ。それにしても、あなたは歩くのが若者のように早いですね、わたしはすぐ追いかけたのですが追いつきませんでした、仕方なく戻って銭袋を開けてみたら中には一文の金もなく、亀の子ばかりでしたので、河に逃がしました。亀の子を返してくれと言われても、逃がしてしまいましたからできません。あの亀の子をわたしに売ってくれませんか、お金は払います」馬老がそう言ってお金を出そうとした。
すると、項老人はそれを止めて「今日、わしが来たのはお金や亀の子を取りに来たのではない、わしは船頭さんがいい人だから親しくなりたいと思って来たのだ、わしはお前さんより十幾つか年上だから兄、お前さんはわしの弟だ、どうだい、いいかね」 「勿論いいですよ、わたしと兄さんは昨日舟の上で会った時から縁があったのです、さあお入り下さい、まず盃を交わしましょう」馬老がそう言うと項老人も親しそうに家に入った。
それから二人は酒を飲み、箸をとって料理を食べながら仲よくお喋りをした。項老人は家の中を見回しながら「みたところ、お前さんの暮らしは楽そうではないがどうしてだね」と聞いた、「ええ、そうなんですよ、何年も前は遼河に魚もエビも沢山いたのですが、この数年は水神が怒ったのか、遼河は年に二三回大水になり、魚もエビもみんな逃げ出してしまい、毎日、朝早くから夜おそくまで何回網を打っても少しも捕れずこうして貧乏しているのです」 「ああそうか、それなら明日から河の南で捕るといい、あそこは魚が沢山いるから」と項老人が言った。
翌日、馬老は項老人が教えてくれた場所で網を打った、するとひと網ごとにピンピン飛び跳ねるいっぱいの鯉がかかった。その日から馬老は毎日大漁で、家もだんだん豊かになり、新しい舟も買って馬老夫婦の暮らしは楽になっていった。
こうして半年あまり過ぎたが、それっきり項老人は来なくなった。ある日、馬老夫婦が「この頃、項老人は見えないけれど、どうしたんだろう」と話し合っていると、ちょうどその時、外から項老人が楽しそうに入って来た。馬老は大恩人が来たと大喜びで老妻に料理を作らせ酒を温めさせた。二人はしばらく会っていなかったのでとても懐かしがり、互いに盃を酌み交わしすっかり酔っぱらい、二人ともぐっすり寝込んでしまった。
さて、どれだけ時間がたったが分からないが、先に馬老が酔いから醒め、頭を上げてみてびっくり仰天、項老人の姿が見えず、食卓の上には大きな亀が酒の匂いをプンプンさせて寝ていたのだ。馬老はこれでハッと“項老人”は酒に酔ってもとの亀の姿になったのだ、項老人は亀の精の変身だ、それで何処に魚がいるか知っていたのだと気がついた。 馬老は項老人が人でも亀の精でもどっちにしろいい人だ、食卓の上では寒いだろうと、暖かい床に移し、布団を掛けてやり漁に出かけた。
“項老人”は亀の姿を現してからもう馬老の家へ来ることはなかった。馬老は“項老人”の恩に報いる心を込め、大金を出して遼河の南岸に水神の廟を建て、中に“項老人”の像を祭り、何時も香を供えてお参りした。こうして遼河のほとりに水神の廟ができたのである。
譚振山故事選 00.3.31