鼈の恩返し
昔、沈陽から北へ離れた石仏寺のあたりに真面目で気のいい劉振江という小さな雑貨屋がいた。劉振江は周りの村の誰かが何かで困っていると気楽に相談にのってやっていたから、長い間に商売にこれという問題もなく万事うまくいっていた。
ある年の秋、劉振江は雑貨の仕入れの帰り道で、村の金持ちの李二楼に出会った。李二楼は血の滴る大きな鼈を手に提げ、上機嫌で劉振江を呼び止めた。「劉の親方、何処へ稼ぎに行ったんだね、どうだい見てくれ、この鼈、幾らだと思う?」 「うーん、大きいね、おおかた鼈の親方じゃないか、高かっただろう」と劉振江が答えると、李二楼は得意そうに「誰が金などだして買うか、俺は道で拾ったんだ。どうして鼈が道に出てきたのか分からないが、俺の女房がお産だからこれで力をつけてやるんだ」と言った。
鼈は二つの小さな目から涙をポタポタ落とし、まるで劉振江に助けてくれと言っているようだった。劉振江は鼈が可哀想になって「鼈にも命はあるんだ、可哀想だから放してやれよ」と言うと李二楼は目をむいて「そんなことできるか、俺が拾った物は俺の物だ」と言った、「鼈を逃がしてやれば、仕入れたばかりの熟れた棗を一箱やるよ、赤い棗はお産にはとてもいいよ」と劉振江が言うと、李二楼は少し考えたようだが、この男は意地悪で欲張りだから、劉振江は気がよくて鼈が虐められるのを見ていられないだろうと、わざと柳の枝で縛った鼈を振り回し、痛がって震えさせたあとで「棗のほかにもう三升粟をくれ」と言った。劉振江は痛がる鼈を見ていられず、思い切って「よし、もう三升粟を出そう、家から取って来るから待っていろ、だが先に鼈を俺によこせ」と言った。李二楼は嬉しくなり、劉振江の気の変わらぬうちにと鼈を劉振江に渡して「確かに唾をつけたからな、あとで嫌だ止めたなどと言うな」と言って、棗の箱を劉振江から取ると金貨でも拾ったように喜んで家へ帰った。
劉振江はそっと鼈を縛った柳の枝をはずし、回り道をして河辺へ行き鼈を放すと、鼈は劉振江を振り返りながら河の中へ入って行った。そして家へ帰ると粟を三升計って李二楼の家へ持って行った。しばらくして劉振江はこの事をすっかり忘れてしまった。
さて、冬になって劉振江に沈陽に住む伯母が病気になり、近くに身寄りもないからしばらく来てくれという手紙が届いた。劉振江はこの伯母に小さい時に世話になっていたから、手紙を見て行かないわけにはいかない。商売は女房に任せ、金を持って急いで沈陽へ行った、すでに十二月になっていた。伯母の家に着いた劉振江は十日あまり、毎日医者から薬を貰って伯母の面倒をみた、それで伯母の病気はよくなってきたが、劉振江の心配は日ましに重くなった。
何故かと言うと、持って来た金を使い果たしてしまったからである。劉振江は此処へ来る時に、もし金が足りなくなったらと、女房から女房が嫁いで来る時、持って来た金の指輪を渡されていた、劉振江は外に方法もない、この指輪を売ろうと考え、沈陽の有名な珠宝胡同の貴金属商に持ち込んだ、この店の親爺は強欲で劉振江の身なりから金がなさそうだと見ると、ひどく安い値段をつけた。だが劉振江も商人だから納得せずすぐ「親爺さんそりゃ安すぎるだろう」と文句をつけた、すると親爺は「あんたの持って来た物は色がよくない、この値段でも高すぎるくらいだ」と応じた。
劉振江の心が“売れば買いたたかれる、売らなければ金はできない”と揺れた時、外から店の中へ六十歳くらいの頭が小さく首が長い老人が入って来た、人がよさそうで身なりもよかった。老人は劉振江を見るとハッとしたらしいがすぐ嬉しそうな顔をして劉振江の腕をとり「これはこれは、劉さんじゃありませんか、何時、沈陽にいらっしゃったのですか」と聞いた。
劉振江は振り向いたが知らない老人である。老人はまた「ヤア、思い出せませんか、わしたちは一心同体、義兄弟の縁を結んだではないですか、劉さん、みんな忘れてしまったんですか」と言った。それでも劉振江は何時この老人と会ったのか思い出せなかった、老人はポカンとしている劉振江にまた「あなたは沈陽の北の石仏寺に住む劉振江さんでしょう」と言った、劉振江は思わず「そうです」と答えた。すると老人は「まだ考えているのですか、劉振江さん、金の指輪を売るのですか、早くわたしの家へ行って一杯飲みながらゆっくり話しましょう」と言い、劉振江の手をひいて外に出た。
劉振江はずっとどうしていいかわからなかった、老人の名を聞きたいのだが、老人があまりにも親しそうにするので、それも何か聞きにくい、それにこんなに誠心誠意、義兄弟だと言ってくれるのに一緒に行かないのも悪い気がした、劉振江は半信半疑で老人について行くしかなかった。老人は歩きながら「沈陽に何の用事で来たのですか」と聞いた、「伯母が病気で看病に来たのです」 「金の指輪を売ってどうするんです」 「伯母の薬を買うのですが、何日かいるうちに家から持ってきた金が足りなくなったのです」 「そうですか。今日はあなたに会えて本当によかった、さあ、着きました」と老人が指さす前を見ると、ヤッ、大きな門構えの大邸宅である。
門をくぐると南北五間、東西五間の瓦屋根の家、梁と棟には龍と鳳が飛び舞う姿が色鮮やかに彫られている。母屋の客間には八人掛けの食卓、骨董の名品、壁には書画が掛けられ、一目で並の家ではないとわかる。老人は「家にはわたしたちだけで他に誰もいません」と言い、「大切なお客様の劉さんがお出でになったぞ、早くお出迎えしないか」と大声で叫んだ。
すると奥から身だしなみのいい老婆が満面に笑みを浮かべ懐かしそうにまるで婿でも迎えるように出て来て「まあ、これはこれはよくいらっしゃいました、うちではあなたのことを毎日毎日話し、お出でになるのを待っていました」と言った。
劉振江はますますわからなくなり、俺はどうかしてしてしまったのかと思った。沈陽にこんな親戚はいないし、何か言うのも変だと考え曖昧な返事をして座った。
やがて老婆は手際よく、食卓に酒や料理を並べ劉振江に「どうぞ」とすすめた。老人は劉振江の杯になみなみと酒を注ぎ「わたしも何時も酒を呑みますが、義兄弟で一緒にはまだ呑んでいません、今日はあなたもおおいに呑んで酔ったら、ここに泊まればいいですよ」と言った、それを聞くと劉振江は慌てて「それはできません、あなたがたのご厚意は有り難いのですが、わたしには病人がいますからまた日を改めてお伺いいたします、わたしは伯母の薬を用意して帰らなければなりません」 「そうですか、伯母さんの病気がよくなったらまた来て下さい、それからあの指輪は売らないほうがいいですよ。わたしは方々で商売していて幾らか金があります。金貨十両をご用立てしますからそれで伯母さんを看病して下さい、遠慮はいりません、あなたの伯母さんはわたしの伯母さんなんですから」と言って金貨十両を差し出した。
その頃の金貨一両は銀百両だったから金貨十両は大金である、劉振江はこの老夫婦と面識もない、たとえ古くからの友人であるとしても、こんな大金を貰う訳にはいかない。劉振江は金貨十両を老人へ何も言わずに強く押し返した。すると老人は少し気色ばって「あんたは本当に堅い人だね、わたしたちは生死をともにした兄弟なのにまだそんな他人行儀なことをして、あなたはわたしと親しくしたくないのかね」と言った。そう言われて劉振江はもう何も言えず金貨十両を受け取るしかなかった。
老人はやっと機嫌を直し、劉振江の杯に酒を満たしながら「ところで、あなたにひとつ頼みたいことがあるんだ、わたしは家を離れて久しくなり、息子や孫たちがどうしているか、あなたにわしの手紙を持って行ってほしいのだが」と言った、「ご安心ください、わたしが持って行ってあげますから、でもあなたのご家族の住所を知らないのですが」 「わしの家も石仏寺であなたの家の近くの馬門子の東の二道湾です、手紙は急ぎませんから、あなたが帰る時にもう一度知らせて下さい」
二人はそれからしばらく話して、劉振江がいとまを告げると老夫婦は門の外まで送って来た。 お金ができて劉振江は伯母の病気に心を配ることができ有名な医者を頼み、一番いい薬を買って飲ませると、やがて伯母の病気はよくなってきた、それでも使った金は金貨二両であった。
伯母の病気が治ると劉振江は急に里心がつき家へ帰る支度を始め、あの老人に別れを告げ、頼まれていた手紙を取りに行こうと思っている矢先に一人の子供が老人からの手紙を届けに来た、「小父さんは劉さんですか、わたしたちの旦那から小父さんにこの手紙と金貨三十両を届けるように言われました」と言うと赤い絹の包みを差し出した。
劉振江がそれを受け取らず、老人に返してくれと言うと、子供は慌てて「本当を言うと旦那は小父さんがお金を返すだろうと昨日引っ越してしまいました」と言った、劉振江は目を丸くして「そんなわけないだろう、そう言えと旦那から言われたのだろう」と言うと子供は「嘘だと思うなら、一緒に行って見て下さい」と言うので、劉振江は子供に連れられてグルグル回りやっとあの老人の屋敷へ着いてみると、屋敷はすでに主人が替わったのか、屋敷の中の様子は違っていた。劉振江はもうどうする事もできず、金を受け取り、頼まれた手紙を大切にしまうしかなかった。
子供が戻ろうとするので、劉振江は思い切って「坊や、お前さんたちの旦那は、わたしのことを何と言っていたかね」と聞いた、「旦那は小父さんを仲のいい兄弟だとしか言いませんでしたよ」と子供が答えるので劉振江はまた「坊やたちの旦那の名は何と言うんだね」と聞いた、すると子供は笑いだして「旦那は小父さんを兄弟の仲だと言うのに、小父さんはまだ旦那の名前も知らないのですか。旦那の名は袁、みんな袁の旦那と呼んでいます」と言うとピョンピョン飛び跳ねながら帰って行った、劉振江はしっかりと老人の名前を心にきざんで家へ帰った。
劉振江は半月ほどかかって年の暮れにやっと家に帰り、女房に伯母のことや沈陽であったことなどをみんな話した。女房はマアと驚いたが話を信ぜず、劉振江が金貨を見せるとやっと本当の話だと知り、劉振江に「それでその老人はお前さんに手紙を何処へ届けてくれと言ったの」と聞いた、「馬門子の東の二道湾にある家だ」と劉振江が答えると女房は独り言のように「おかしいわね、あたしの実家は馬門子の近くで二道湾にも行ったことがあるけど、あの辺には何処にも家はないわよ」「俺は其処に家があってもなくても行って、老人から頼まれたことはしなければならない」と劉振江は言った。
翌日、劉振江は馬門子へ行き、二道湾のことを村人に聞いたが誰も其処に家はないと言った、それでも劉振江は構わずに村を出て二道湾へ向かった。
二道湾は遼河の支流で十二月の河は氷で覆われキラキラ光る鏡のようであった。劉振江が河辺に行くと、何時の間に来たのか前から上品な十四、五歳の少年が近づき、丁寧にお辞儀をすると「あなたは劉小父さんですか、お待ちしていました」と言った。
「あなたは誰の家の子ですか」 「お祖父ちゃんが劉小父さんが此処へ手紙を届けに来ると言ってきたので今日あたりだろうと思って待っていたのです」 「あんたの家はいったい何処にあるんです」と劉振江が聞くと少年は河を指して「此処です、劉小父さん、家で少し休んで下さい」と言った。劉振江は河を見て驚いた、さっきまで一面の氷だったのに其処には何時の間にか大きな屋敷が現れていたのだ、鶏が鳴き、犬が吠え、人が行き来している、劉振江はどういうことかさっぱり分からず、門の中に入るのが怖くて、用事があるとか何とか言ってはぐらかした。
すると、 少年は 黙って渡された手紙を開き、サッと読みおわると「劉小父さん、お祖父ちゃんの手紙に小父さんは命の恩人だから恩返しをしなければと書いてあります」それを聞くと劉振江は慌てて手を振り「エッ、エッ、わたしがあなたのお祖父さんの命を助けたって、お祖父さんは何か勘違いしていますよ」 「でも手紙には三年前にお祖父ちゃんが酔っぱらって、悪い人に捕まった時、小父さんが棗一箱と粟三升で助けてくれたと書いてありますよ、小父さん忘れたのですか」それを聞いて劉振江はハッと三年前、棗と粟で大きな鼈を助けたことを思い出した、あの時の鼈だったのだ。あの老人、この少年、河の屋敷、もう尋ねるまでもない、すべてはっきりと分かった。沈陽で遇ったあの老人が少し足を引いていたのはあの時、柳で縛られていた傷の跡だったのだ。それで名前が袁(yuan)、本当は鼈(yuan)だったのだ。
少年は劉振江が気がついたのを見て「お祖父ちゃんは小父さんがいい人だからこれからも助けて上げなければならないと言っていました。遼河には昔からある決まりがあってここ数年、お祖父ちゃんは毎年河の北岸に水を溢れさせています、それで河の北岸の李二楼の畑には毎年河の水が溢れ、李二楼はこの畑を売りたがっています、それを小父さんが買えばいいんです」 「でもわたしは商人で百姓仕事は素人だからあんなに広い畑を買っても耕せない、駄目だよ」 「畑は貧しい人に分けて耕して貰い、小父さんはやはり商売をすればいいんです、お祖父ちゃんが助けてくれるから小父さんはきっと大儲けしますよ」少年はそう言うと、ピカピカ光る珠を取り出し「お祖父ちゃんは小父さんにこの珠を売って商売の元手してくれと言っていました」とピカピカ光る珠を劉振江の手にのせると、劉振江の返事も聞かず河の屋敷の中へとっとと走り去った。
劉振江はすぐ追いかけたが、いま見えていた屋敷はもう何処にも見えず、ただ一面の白い氷の河だけだった。 春になると劉振江は老人の言伝を信じ、李二楼の北岸の畑をみんな買うと李二楼に申し入れた、李二楼は劉振江の馬鹿め、毎年北岸の畑は夏の洪水に呑まれることを知らないのかと心の中でこれは儲けたと大喜びした。ところがその年の夏の遼河の水は反対の南岸に溢れ、一気に石仏寺山の麓まで広がり南岸の李二楼の畑は流れ出し北岸に貼りついてしまい、遼河の流れは石仏寺山の麓に定まってしまった。李二楼は広大な南北の畑を一度になくして気を失い、そのまま死んでしまった。劉振江はまたまた広大な畑を手に入れ、それを貧しい農民に分け、自分は老人から貰った珠で元手を作りそれで大きな商売をして儲け、幸せに暮らした。
譚振山故事選 00.3.13