狐の恩返し
昔、姜という母とその息子が住んでいた。息子は長者の作男で人々は姜老弟と呼んでいた。姜老弟と長者の家の途中にお寺があり、姜老弟は毎日そのお寺にお参りしてから長者の家へ働きに行った、こうして母親と姜老弟はお寺を信仰して暮らしていた。
ある日、姜老弟がお寺をお参りしていると、「姜老弟、ちょっと話がある」と言う声が聞こえた、驚いて顔を上げると四十歳ぐらいの黄色の服を着た大柄な男が立っていた。「初めてお目にかかりますが、何か私にご用ですか」「あんたは毎日ここへ来てお参りするよい人だ、わしはあんたと義兄弟になりたいがどうだね」 「私は貧乏で何もないのにどうしてです」 「人の交わりは真心だ、金持ち貧乏は関係ないさ」
姜老弟はこの人がすすんで私と義兄弟になりたいと言うのだからと思い「私のような者でよろしいなら、どうぞよろしく」 「それはよかった、これからわしを胡兄とよんでくれ、わしはあんたを姜老弟と呼ぶから」 こうして二人は天と地に誓い、義兄弟になった。
「姜老弟、今日はもう働きに行かないでいいよ、ここに銀貨十両あるから使ってくれ」 「いいえ、戴けません」 「わしは金持ちではないが、まあ余裕がある、義兄弟になったんだ、持って行ってくれ」 姜老弟は断りきれず深く頭を下げ「胡兄、有難うございます、戴きます」と答えると、胡兄は「姜老弟、何時でもわしに用事があったら、ここから西南に行くと、黄花淀の柳樹村という村がある、村人に胡家は何処かと尋ね、そこで「胡兄、来ました、早く来て下さい」と三回言えば、きっとわしはあんたを迎えにでる」と言った。こうして二人は別れた。
姜老弟は家へ帰ると、母にお寺で胡兄と義兄弟になったことをすっかり話した。「そのお方は初めてなのに、あたしたちを助けてくれたのだから、お前もその方によくしなければ」 「おっかさん、わかりました」 姜老弟は胡兄から貰った銀貨で、薪や米、塩、油を買い前よりも暮らしは少しよくなった、しかし金には限りがある、銀貨は使い果たし、みるみる間に年の暮れになった。
だが母子はまだ米も粉も買えないでいた。姜老弟は年の暮れに母に餃子を食べさせられないと悩んでいると、外から姜老弟を呼ぶ人の声がする、よく聞くと胡兄の声だ、「姜老弟、正月の物を持って来たぞ、早く家に運べ」 「胡兄、どうぞ入って下さい」 「いや、まだ用事があるからすぐ帰る、姜老弟、ひまがあったら、来てくれ」 「はい、行きます」と姜老弟が答えると胡兄は帰ってしまった。
姜老弟は胡兄が持って来た物を家の中に運んでみると、米、粉、肉に金貨が二枚光っていた。それで姜老弟母子は楽しく年を越すことができた。
たちまちまた一年が過ぎた。姜老弟母子は何時も胡兄を思い出していたがある日、姜老弟は母に「おっかさん、胡兄を尋ねてみたい」と言った、母は「それなら、行っておいで、わたしは大丈夫だから」と答えた。翌日、姜老弟は母が用意した弁当を持って胡兄を尋ねる旅に出た。
姜老弟は西南に向かって行ったが、四五日歩いて尋ねても、誰も黄花淀の柳樹村を知っている人はいなかった、姜老弟はそれでも懸命に歩いて行くと、白い髭の老人に出会い、「黄花淀の柳樹村にはどう行けばいいですか」と聞くと老人は「真っ直ぐ行って、右に二回曲がり、つぎに左に二回曲がった所が柳樹村だ」と教えてくれた、姜老弟は老人に礼を言って、老人の言う通りに右に二回、左に二回曲がると、目の前に菊の花畑があった、花は満開でとても美しかった、そして柳の木の杭が立っていた。
これが胡兄の家かな、だが家がない、姜老弟はふと、胡兄が三回呼べと言ったことを思い出して、大きく三回呼んだ。「胡兄、姜老弟が来ました、出て来て下さい」と続けて三回呼ぶと前から胡兄が来た、「胡兄、お元気でしたか」 「ああ、俺は元気だ、姜老弟、お前はどうだね」 「わたしも元気です、お別れしてから母はずっと胡兄のことを言っていました、今日は胡兄に会いに来ました」 「わしもお前のことを思っていたよ、さあ中へ入ってくれ」すると何時の間にか胡兄の後ろに大きな屋敷が現れ、何人もの人が姜老弟を迎えた。姜老弟は胡兄の家族に挨拶した、しばらくして料理や酒が出された、二人は食べたり話しをしたりした。
「姜老弟、明日は蘇州と杭州を見物に行こう、あそこは景色がいい」姜老弟はそれを聞くと笑って「だってここから蘇州や杭州は千里もあるのに、どうやって行くのですか」 「行けるさ、お前が行きたいなら、今からでもいい、時間もかからない、お前のおっかさんが心配するから、早く行って早く帰って来よう」そう言うと胡兄は立ち上がって姜老弟を連れて外に出ると、懐から親指と中指でつまめるほどの二つの小さな馬をだして「姜老弟、この馬に乗って目を閉じてごらん」 「こんな小さな馬にどうやって乗ったらいいのですか」 「目をつぶればいいんだよ」姜老弟が目を閉じると、すぐ耳のあたりに風の音が聞こえ、しばらくすると、「止まれ、止まれ、着いた、姜老弟、馬から降りていいよ」と胡兄が言った。姜老弟が馬から降りると胡兄が「入れ」と言うと小さな馬は胡兄の懐に入った。
目の前は蘇州で、美しい緑の山が見え、湖には籠のように大きい蓮の花が咲いていた。二人は目を楽しませていると、湖の岸に小船に、食べ物をいれたらしい籠を抱えた中年の女が乗った、女は湖の中の楼閣の料理を運ぶらしい、胡兄は「この帽子を被れば、人から見えなくなるから、俺たちも湖の楼閣に行こう」と言って二人も船に乗った。しばらくして船頭が「今日は何時もと違うな、人が二人増えたように、漕ぐ力がいる」と言ったが、二人は黙っていた、船頭には二人の姿が見えないのだ。
しばらくして船は湖の中の楼閣に着いた、女は船から降りた、姜老弟と胡兄もあとについて降りた、女は楼閣に料理を運ぶとすぐ帰った、胡兄も姿を消した。
姜老弟が楼閣に上がると美しい眉、瓜の種のような目、柳のようなしなやかな腰をした美しい娘がいた、娘が運ばれた料理を食べると、姜老弟も遠慮せずに食べ、娘がお茶を飲むと、姜老弟も飲んだ、娘はそれを怪しみ、あたしのわきに誰かいると気がつき、あたしのそばにいるのは誰、人、それとも幽霊、はっきりしなさい、何が欲しいの」姜老弟はそれを聞くと帽子を脱いで姿を現した、娘は端正な姜老弟を見ると恥ずかしそうに「あなたはここへ何しに来たの、どうやって来たの」 「胡兄が私を連れて来たのです」二人はしばらく話した。娘は「父がわたしを金持ちの馬鹿息子と結婚させようとするので、わたしはここへ逃げて来たの」と話した。二人は話すほどに親しくなり、互いに好きになっていった。
こうしているうちに、様子がおかしいと毎日、料理を運んでいた娘の兄嫁が不思議に思い、ある日、料理を運ぶと隠れて様子を見ると娘は一人の若者と料理を食べながら話したり、笑ったりしている、驚いた兄嫁はうっかり、料理を運ぶ盆を落とし“カタリ”と音をたててしまった、娘と姜老弟が怪しんで行くと兄嫁がいて「あなたたちのことはわかった、二人が愛しあっているなら、ここにいないほうがいい、おとっつあんが知ったらあんたたちをこのままにしてはおかないだろう、明日はわたしが一人で食事を運んで来るから、夜になってから船に乗ってここを離れ、何処かで夫婦として暮らしなさい」と言った。二人は兄嫁の計らいに深く感謝した。
翌日、兄嫁が船を漕いで来た、そして二人にこれからの暮らしに銀貨と金の延棒を持って来た。二人は兄嫁に深く頭を下げ「あなたの優しい心やりを永く忘れない」と言った。兄嫁は二人を湖の岸まで送り、そこで二人は兄嫁に別れた。しばらく行くと娘の家の者たちが、娘を連れ戻そうとやって来た、姜老弟は娘の手を引いて逃げた、追っ手が後からみるみる追いついて来た、どうしたらいいか、その時、姜老弟は「何か危険がせまったら、胡兄と三回呼べば、俺はすぐお前のそばに駆けつける」と言った胡兄の言葉を思い出した、そうだ、今が危険な時ではないか。姜老弟は「胡兄、早く来て下さい」と三回叫けぶと、果たして胡兄が来た、胡兄はあの小さな馬を懐からだし、二人に目を閉じて乗らせた、姜老弟と娘の耳に風の音が聞こえ、間もなく風の音が止み馬も止まった。二人が目を開けるとそこは姜老弟の家の庭で、馬の姿はなかった。
姜老弟が門を叩くと、母は息子が帰って来たかとすぐ門を開けると息子は美しい娘を連れている、どういうことかと息子に聞くと、姜老弟は「おっかさん、あなたの息子のお嫁さんです」と答えた。老母はそれを聞くと喜び、みんなで楽しく食事した。二人は結婚し仲睦まじく、母には孝養を尽くした。 娘は賢く、縫い物でも何でもみんなよく出来た、料理、家畜の世話などもてきぱきとした、老母が手伝おうとすると「お母さんは年もとり足腰が弱くなっているから休んでいて下さい」と言った。
老母は賢いよい嫁だと心の中で喜び、会う人ごとに「これはわたしが前世に積んだ徳のおかげだろう、わたしの息子がこんなよい嫁を迎えたのも息子に徳があったからだ」と言った、姜老弟はこの母の言葉を聞くと「おっかさん、これは胡兄のお蔭だよ、そうでなければ、私には出来なかった」と言った、すると老母はうなずいて「息子やお前の言う通りだよ、胡兄がわたしたちを助けてくれなければ、お前は妻を娶ることは出来なかったろう」と言った、姜老弟は「胡兄は忙しいのかな、どうして来ないのだろう」 「そうだね」と老母と姜老弟が話していると、“カタ”と門の音がして、人が入って来た、胡兄だった。
「胡兄、いらっしゃい、どうぞ、入って下さい」老母も胡兄を迎えた、胡兄は老母を見ると「おっかさん、お元気で」と言った。老母は「さあ、どうぞ座って下さい、長い間どうしてお出でにならなかったのですか、わたしと姜老弟はいろいろあなたを心配し、みんなであなたを恋しがっていました」と言った、姜老弟の妻は胡兄の前に出ると挨拶し煙草とお茶をだし、台所へ料理を作りに行った。
胡兄と姜老弟はまるで蜘蛛が糸を繰り出すようにとぎれなく話し続けた、やがて姜老弟の妻が料理を食卓にならべ、酒を温めて持って来た、姜老弟は二つの杯に酒を満たし「胡兄、飲んで下さい」 「ありがとう、姜老弟」二人は杯を上げて飲み干した、姜老弟はまた胡兄の杯に酒を満たし、「酒ばかり飲まないで料理も食べて下さい」 「うん、食べているよ」姜老弟は箸をおいて「胡兄、何年も私の暮らしを助けてくれ、妻も娶る事ができて有難うございました」 「姜老弟、それはたいしたことではない、それに、生きているかぎり誰にでも困難なことはあり、助けはいるものだ」 胡兄と姜老弟は飲んだり食べたり、ますます話がはずみ、胡兄と姜老弟が肉親のように親しみ喜び合った。
しばらくすると胡兄は顔が白くなり息が荒くなった、姜老弟は驚いて「胡兄、どうしました、胡兄」と言うと、胡兄は目を開き姜老弟を見ると「姜老弟、俺はもう長くはない、俺は狐だ、十年前の今日、お前は俺の命を救ってくれた、それで俺はお前に恩返ししたのだ」胡兄はしばらく息をしてから「弟よ、俺が死んだら頼みたいことが一つある」 「胡兄、なんでも言って下さい、死なないで下さい
」胡兄は息をついて「俺が死んだらお前は俺を背負って南山に行き、俺の尻尾を切り、赤い布で包んでおくがいい、きっとお前たちの暮らしに役に立つから」と言いおわると胡兄は一匹の狐の姿に変わった。
姜老弟は倒れた狐をみながら十年前の今日のことを思い出した、姜老弟は長者の家の仕事を終えて帰ると、道端に二人の男が一匹の狐を木に吊るし、皮を剥いで売ろうとしていた、姜老弟が近くによると狐は助けてくれと言うように姜老弟の目を見た、姜老弟は狐が可哀想になり「狐を放してやってくれ」と言った。すると、その二人は「放してやれば金をくれるか」と言う、「幾らだ」 「五両くれれば、お前にやる」姜老弟は「わかった」と懐に手間賃に貰った金が丁度五両あったのでそれを二人に渡すと二人は行ってしまった。姜老弟が木に吊り下げられた狐の縄をほどいてやると狐は煙を残して逃げてしまったのである。
姜老弟はここまで思い出すと妻に向かって「こうして俺は胡兄を助け、それから義兄弟になり、胡兄は俺を心配してくれて、お前も娶ることができた、胡兄が俺たちにしてくれたことは忘れることはできない」と言った、そして姜老弟は死んで狐に戻った胡兄を背負い、胡兄が言ったとうりの場所へ行ったが尻尾を切ることは忍びなかった、だがこれは胡兄の遺言だと、目を閉じて刀を振り上げて切った、すると白い煙がたって地面に尻尾だけが残された。姜老弟は尻尾を拾い上げて家へ帰り、妻に赤い布で尻尾を包ませ、箱の上に置き尻尾を持つと、尻尾から金の粒が落ちた、それを見ると母は「お前たち夫婦は胡兄の恩を決して忘れるんじゃないよ」と言った。
姜淑珍故事選 1999.10.22