怨みを果たした大蛇
雲南省西双版納の原生林の近くに景洪という小さな村がある。村人の多くは猟師で生計をたてている。村には何時も日用品や食糧品を持った何人かの商人が出入りして、村人たちの捕った動物の毛皮と交換にやって来る。村人はみんな貧乏暮らしだが、何世代もこうして過ごしてきた。
村に宋永吉という猟師がいた。一家四人が宋の猟に頼って暮していた。それは60年代初めの頃のことであった。宋は毎日、朝から晩まで原生林に入って猟をしていた。
ある時、林の中で獲物を捜しているうちに、深い穴の中に落ちてしまった、幸い怪我はなかったが、落ちたのは深い井戸のような穴でよじ登って這い出すことはできない。ましてや原生林を通る人がいて助け出してくれる可能性は全くない、ただ死を待つばかりだ。
宋は恐怖と悲嘆の中にくれていると、突然、穴の口からサ−サ−という音とともに、二つの緑色の目玉が現れたと思うと、大きな蛇が穴の中へ入って来た。宋はびっくり仰天、蛇はゆうに10メ−トルもある長さで、光っている頭は宋の身の丈ほどもある、驚いた宋永吉はその場に気を失ってしまった。
しばらくして、宋は大蛇のしっぽにおされて目を覚ました、大蛇はしっぽで宋をおしたり突いたりしながら、恐ろしげな声を出している、宋は死ぬほど驚いたが大蛇が何をしようとしているのよくかわからない、大蛇はしっぽで宋をおすと、しっぽを穴の口まで高く上げまた下ろした、こんなことを何回も繰り返すのを見て、宋はやっと大蛇が自分を穴の外へ上げてくれようとしているのだと気がついた、そこで宋は大蛇がまたしっぽで宋をおした時、宋は大蛇のしっぽに両手でしっかりつかまった、すると大蛇は頭を穴の口に向け、しっぽをまるで起重機のようにして、宋をぐっと穴の口まで上げてくれた。
やっと助かった宋は喜びにふるえ、穴の外で命の“恩人”に丁寧に頭をさげた。それから宋は原生林へ入って猟をするたびにいくらかの獲物を大蛇の穴の中へ落としてやった。
半年経って、ある狩猟隊が偶然に大蛇の這ったあとを発見した。そこで狩猟隊はそれを動物園に連絡し、合同で現場調査すると、この大蛇を捕らえることになり、大蛇を見た者、ありかを知る者など情報を動物園に知らせてくれた者に報奨金を出すと公示した。
宋永吉はこの公示を見ても“恩人”を売るつもりは毛頭なかった。しかし、生活の苦しい宋は報奨金が欲しくてたまらず、一週間のあと遂に欲に負け大蛇の恩義を忘れ、狩猟隊の隊長に宋は自分の秘密を話した。それから二日のちの晩、狩猟隊は大蛇を補える罠を用意し、宋の案内で大蛇の穴を見つけると遠くから見張っていた。
そして大蛇が穴へ入るのを見ると、すぐ穴の上に網を張り、一方に鉄の籠を取りつけた。それから狩猟隊は火をいぶした煙りを扇風機で穴の中に送った、やがて大蛇は煙りに耐え切れず穴から這い出して、狩猟隊の仕掛けた鉄籠に入った、狩猟隊は鉄籠の口を締め首尾よく大蛇を生け捕りにした。狩猟隊の人々は大喜びでかけだし抱き合って喜んだ。
宋は大蛇に見られることを恐れ遠くに離れて見ていた。大蛇は捕らえられたことを知ると、全身全霊の力を出し、恐ろしい声を上げ鉄籠を破ろうとしたが、無駄な徒労におわり大蛇は観念したのか静かになった。狩猟隊長は宋を呼び大蛇を見せ確認すると、宋の功労を称えた。宋はおっかなびっくり鉄籠のそばへ来て、済まなそうに大蛇を見た。
この時大蛇の目と宋の目がかち合い大蛇は狂暴な敵意を目に漲らせた。たちまち宋は全身を震わせ跪いて土下座したが、体を起こした時大蛇が黄色の液体を口から吐き出し、宋の頭の右にかけた。とたんに宋は恐怖と激痛に襲われそのまま気絶した。
狩猟隊長は宋を馬車で100
メ−トル先の病院へ運んだがすでに、宋の顔は腐り始めていた、医者は毒が蔓延するのを防ぐために、宋の顔の右の肉をきりとるしかなかった、一か月で退院したが、支払いは動物園からの報奨金では足りず、動物園がその残りの治療費も支払うしかなかった。
家へ帰って宋は鏡を見ると自分の顔の右の骨が剥き出ていて見るからに恐ろしい顔になっていた。それに毒が右目に入り失明していた、こうして宋は再び猟をすることができなくなり、顔の爛れは悪臭を放ち、妻は子供を連れて離縁した。その一年後、宋は遂に貧困と苦しみのうちに哀れな死を遂げた。
1998年 6月 3日付<東方時報> 1998.6.28
注
記事左隅に『信じるか信じないかはあなたしだい』とあった。なお、この話は高 文海・王 廷娟夫妻が面白い話がのっていると私にくれた新聞<東方時報>による。私は雲南省景洪に1991年
2月、 4日間滞在した。この話は60年代初めのことだとあるが景洪はこんな話が生まれそうもない南国風情豊かな現代都市であった。