井戸老人
ずっとずっと昔、ある村に二人の兄弟が住んでいた。兄の老大は欲張りで不親切、女房もまた同じようだ。しかし弟の老二は誠実で人にも親切であり、妻もまたいい人であった。
老大の女房は結婚して何年にもなるが子供がいない、だが老二の妻には四人の子供がいた。老大の女房は食事の度にこの子たちを米減らしだと白い目で見る、老大もこの子たちが煩わしくてしかたがない。そこで老大夫婦は老二夫婦に分家しようと言い出した。
老二の妻は老二に「分家するなら分家したほうがいい、貧乏してもこんな意地悪は受けたくない」と言った。老二夫婦は老大が分けてくれた少しばかりの丘の荒れ地に小さな家を作り、そこへ一家六人で引っ越した。
どう考えたってこの丘の小さな荒れ地で一家六人が暮らしてはいけない。妻は悲しんだが、老二はいろいろ考えて妻に「ここに井戸を掘って野菜を育てよう、そうすればほかの家より少しは余計に野菜がとれる」と言った。老二は言葉をすぐ実行にうつす人で、昼も夜も井戸を掘り続けた、だがそこはもう全くの荒れ地で半尺も掘れば岩だった。
妻は「あなた、掘るのはやめたら。昔から岩に井戸を掘る人なんていない」と言ったが、老二は聞いてないように少しも手を休めなかった。暗くなって妻が優しく「あんた、月が高く上がったわよ、休んだら」と言っても、老二は頭をふって手を休めなかった。もう何日何夜掘ったか、どれだけ力を出したかわからない、一丈のうえ掘ったがやっぱり岩ばかりで水は出ない。妻はまた心配になって「あなた、明けの明星が光り、一番鶏も鳴いたわよ、掘るのを止めなさいよ、岩の中に水があるわけないわ」と言った、老二は笑ってやはり止めなかった。
掘った穴の外には土塁のように岩の塊が積上がり、妻はその岩石に夫の汗がしみているのを見た、井戸の深さは二丈になった、だが岩ばかりで水は出ない、妻はまた心配になって「あなた、一生懸命に掘ってまだ半滴の水も出ない、岩の下に何かあるの」と聞いた、だが老二は答えず井戸の下で岩を砕く鑒の音が響くばかりであった。それから妻は井戸の中の老二に会っていない。老二は井戸の底で眠くなれば眠り、腹が空けば井戸の中で飯を食べ井戸から出なかったのだ。
ある日もう三丈あまりも掘り、更に掘っていると突然「老二、老二、わしの家を崩さないでくれ」と人の声がした、老二は不思議に思って手を休め、声が何処からするのか確かめるとまた「老二、老二、わしは井戸老人だ、いい水を出してやるからわしの家を壊さないでくれ」と足の下から声が響いて来た、老二は恐れず暗い井戸の底を探ったが少しの水もない、しかし、老人がそう言うので、そこから下へ掘るのは老人に悪いと思い仕方なく、道具などを持って上へ登り始めた、井戸を半分ほど上がると、下の方で水の音がする、下を見ると、井戸の底が光っている、水が岩の上に出て来たのだ、老二は急いで上へ登った、水は音を立てて上へ上へ湧き出して来る、早く、早くと慌てて井戸の口から地面に飛び出した時、水は井戸の口スレスレまで一杯になるとそれで止まった。
水はまるで清い露のように澄んでいる、両手ですくって飲むと甘くて旨い。四人の子供はよく眠っていたが、夫婦は嬉しくて食べるのも眠るのも忘れ灯の下で、白菜を植えるか大根を植えるか、韮にするかにんにくにするかとなかなか決まらない、とうとう夜中が過ぎて外は静かになった。すると窓の外で「老二、老二、白菜がいい、白菜がいい」と声がする、老二の妻は驚き、老二は急いで外へ見に行った、見ると井戸のそばに一人の老人が立っていたが一瞬で消えた。老二は様子をうかがいながら井戸に行くと井戸の水は口まで満水で月の光に照らされ澄みきって鏡のようだ、老二は井戸のそばにしばらく立っていたが何も変わらない、仕方なく家へ帰った。
そしてその年、老二夫婦は畑一面に白菜を植え、妻は朝早くから白菜についた虫をとり、老二は夕飯を終えてからも白菜の畑を見回った、日照りになると、井戸の口まで平に溜まった水は突然波となって盛り上がり、しぶきを上げみるみる井戸の口から溢れ、ゆっくり白菜畑に流れ、白菜に水がいきわたると井戸の水はもとに戻った、白菜は水を吸って葉は緑に軟らかく、何日かするとしっかりと大きくなり風が吹くとゆらゆらと揺れ白菜畑は見渡す限り緑色に光った。秋になって白菜は芯に一枚一枚葉が巻き大きな花のようになり、一つが十数斤の重さでどの農家の白菜よりも老二の畑の白菜は育ちがよく老二と妻は喜んだ。
冬になると大雪になったが、老二の家族六人は食べ物も着る物も十分だった。年の暮れになって、妻は餃子を作りながら老二に「とうとう誰が“白菜を植えろ”と教えてくれたのか分からなかったが、もし分かったらなんとしてもわたしの家の餃子を食べて貰いたい」と言った、老二はそれならと考えて外に出た、外は一面白く光る銀世界である、井戸に行くと井戸の周りには何か気が漲っている、老二は井戸の中に親しげに「井戸老人、井戸老人、あなたはわたしたちを助けてくれました、どうか私の家に来てください」と呼びかけ、井戸の周りをぐるぐる回った、するとしばらくして、霧の中から、白く長い髭を地上まで垂らし、透明で清い水が流れるように老人が出て来た、老人の杖は氷のようだった。
老二は飛び上がらんばかりに喜び家へ案内した、妻は自分の親のように迎えた。老人も子供を喜び、子供たちを自分の周りに呼び、しばらく子供たちの手をとり、笑いながら「いい子だ、お前たちは真面目に励めばきっと強くなれる、わしの話を忘れるなよ」と言った。餃子を食べてからまたしばらく井戸老人と老二は話した、そして井戸老人は「来年は畑にきゅうりを植えろ」と言った。
翌年老二と妻は畑にきゅうりを植えた、老二は三日月が山にかかり、一番鶏が鳴くと起き、妻は太陽が照っても昼寝をせず、きゅうり棚に水をやり綺麗な水が畑を潤した。こうして夫婦は畑につきっきりだった。きゅうりは棚に這い茂り、葉は長く花が黄金色に満開となり、金で作ったようだった。四月になると、きゅうりは実をつけた、新鮮なきゅうりの棘の先に銀のような水玉が光った、夫婦はそれを見てきゅうりの実を撫でて喜んだ。この一年もまた夫婦の畑はきゅうりの豊作であった。
一年たち、また一年たち老二一家は豊になり、四人の子供も働き者の青年になると、老大夫婦は羨ましがり嫉妬心をおこし、老大は女房に「老二の家の井戸の底にはきっと何か宝物があるのだ、また老二が戻れば掘り出せるのだが」と言った、老大の女房も「四人の子も大きくなって無駄飯喰いじゃなくなったし、また所帯を一緒にすれば井戸をさらえるだろう」と言った、老大が「老二はまた所帯を一緒するのは承知しまい」と言うと、女房は小声で「いくらか金をだし武士を雇い老二を威かし無理に承知させればいい」と言った。武士は老大から金を貰うと馬に乗り、刀をさげて老二の家へ向かった。老二が畑仕事をしていると井戸老人が現れて「老二、武士がお前の家に来る、やつらは悪者だから話しには乗るな、万一お前が兄とまた所帯を一緒にすればお前の暮らしは悪くなるし、わしも暮らしずらくなる」と言った、老二は承知した。
やがて武士は老二の家に着き、馬から下りると体を揺すって大いばりで家に入り椅子に腰を下ろした、老二は急いで家に帰り、大声で「勝手に俺の家に入るな、とっとと出て行け」と怒鳴った、武士は火のように怒り、サ−と刀を抜いた。
この時、井戸老人が家の中に現れて持った杖を武士に向けると、武士はまるで泥人形のように手も足も上げられなくなって椅子にはりついたままになった。老二が武士をまた怒鳴り、井戸老人が武士に杖を向けると武士は慌てて逃げ出した。井戸老人は老二に「この悪者はこのままでは手を引くまい、お前は四人の息子に武芸を習わせろ」と言った、老二は井戸老人の言う通り、四人の息子に剣を与え、剣の師匠を招き剣を習わせた。
四人の息子はみんな聡明で日夜いろいろ工夫して修練し、百の剣術を身につけた。何日かすると剣の師匠は老二に「わしはもう教えられない」と言った、老二は驚いて「わたしに何か至らぬことがありましたか」と言ったが、師匠は頭を横に振った、老二は更に驚いて「息子たちがしっかり修業しないからですか」と聞いた、だが師匠はやはり頭を振る、老二はすぐまた「何があったのか、話してください、わたしにわかるように話してください」と言うと師匠は「ここで教えるのがいやなのではない、四人に息子の剣術はもうわたしより上だ」と言って去った。
剣術の師匠が去ってから老二は鉄錘の術の師匠を招き四人の息子に鉄錘の術を習わせた四人の息子は朝早くから夜おそくまで修練すると何日かして鉄錘の師匠は老二に「わたしはもうここで教えることはない、息子たちの技はわたしを越えた」と言って去った。
そこで老二は長矛の師匠を招き息子たちに長矛を習わせることにした、何日か過ぎると長矛の師匠は「教えることはもうない、息子たちの技はわたしを越えた」と言って去った。
老二はつぎに四人の息子に弓矢を習わせることにして、師匠を捜したが勝れた師匠がいない。老二は井戸老人に相談しようと思っていると、すでに井戸老人は老二の前に立っていた。老人は笑いながら「お前、村を出て東南に行くがいい、行くのは困難だが千里離れたところに弓矢村がある、弓矢村の人はみんな弓矢ができる、その弓矢村の誰かを招くがいい」と言うと姿を消した。
老二は支度をして東南に向かい歩きながら“井戸老人はわたしに行くのは困難だと言ったが、どんなに困難でも行こう”と考え大きな山へ向かった。白い雲がかかっている山の道を越えると青い空が見えた、こうして山を越え、また山を越えた、前に見える山は越えて来た山より高い、それでも老二は山を登り、幾つも風の吹く山頂を越え、日の照らさない暗い谷を渡った。
ある日、老二は山の間に小さな村を見つけた、村には十軒ほどの家しかない、ある家の前に一人の老人が日向ぼっこをしている、老二が「お爺さん、ここは何村ですか」と聞くと老人は「弓矢村だ」と答えた、老二は喜んで「この村の人はみんな弓をひくことができますか」と聞くと、老人は「そうだ、わしらは猟で生活している」と答えた、老二は「お爺さん、わたしの四人の息子にこの弓矢村の人に弓を教えて貰いたいのです」と言うと老人は「駄目、駄目、若い者はみんな前の虎狼山へ猟に出かけていない」と言った、老二は「それならお爺さんが来て教えて下さい」と言うと、老人は老二を見て「それはいいが、わしは歩いて行かれない」と言った、老二はすぐ「お爺さんは歩かないでいいです、わたしが背負って行きます」と言って老二が老人を背負うと、千斤の重さがあったが老二は声も出さずに耐えた、一時間行くと半分の重さになり、二時間たつと老二は背中に何も背負っていないように感じた、三時間たつと、老二は自分が雲の上にいるように思えた、足の下を青々とした松林と白い岩が飛んで行くように見える、老二は来る時は十日の日夜がかかったのに帰るのは一日で家に着いた。
老人の弓矢は前代未聞の技で、射るところ分豪も違わなかった。何日か過ぎると老二の四人の息子も百発百中の腕前になった。
さて、武士が都へ去ってからしばらくして、皇帝は井戸を奪おうと、大臣に数え切れないほどの人馬を率いさせて老二の井戸に向かわせた、その土煙りは空の太陽を遮るばかりであった、兵馬がまだ井戸に着かないうちに老二の長男は剣を下げこれを迎え撃った、老二の長男の全身は剣の光に覆われ、そこから白い光の塊が飛んで来た、光が将兵にあたると将兵はまるで刈り取られる高粱のようにいっせいに倒れた、大臣は輿から飛び下りて逃げてしまった。
大臣は都へ逃げ帰ると事の有様に尾ひれをつけて皇帝に報告した、皇帝は非常に怒ってまた一大兵力を派遣した、兵馬は再び畑の作物を踏み荒らしてやって来た。老二の次男はこれを大きな鉄錘で迎え撃った。たちまち双方が衝突すると老二の次男は道端の数十抱えもある銀杏の木を鉄錘で一撃した、銀杏の木はドド−と音を立てて倒れ、大将はその下敷きになって死んでしまった、これを見たほかの将兵たちは驚きの声を上げて逃げ去った。
これを聞いた皇帝は驚き恐れ、また多くの兵馬を将軍に率いさせて攻めて来た、この兵馬の通る地方の井戸の水は兵馬に全部飲み干されてしまった。老二の三男はこれを長矛で迎え撃った、三男の繰り出す長矛は銀色に光り東に西にサッサッと音を立ててひらめき白龍のようであった。まるで石臼を突き刺すような矛先を受けて大将は落馬し、馬に踏まれて死んだ。皇帝はそれでもあきらめず、最強の武将を派遣した。この兵馬の通る地方の河の水はすべて飲み干された、老二の四男の矢が弦から放されると、矢は千軍万馬にあたり、最強の武将は喉を射られて死に、空の鳥も地の蛇も逃げ、千軍万馬の将兵は四散した。
こうして皇帝が派遣した将兵もどんな将軍もみんな老二の息子四兄弟に追い払われた。武士は驚いて都から帰らず、老大と女房は恥じて家からでない、この地方の人々はみんな大喜びした、権力をかさにきた者どももそれからは勝手な振舞いも出来ず、人々は安心して暮らすことができた、老二夫婦と四兄弟はまた畑に作物を植えると、作物は前よりもよく育った。人々は老二の家の門に白い長い髭を生やした井戸老人が飄々として透明に光る流れる水のように立っているの見た、そして老人の持つ杖はやはり氷のようであった。
聊斎 *(叉cha)子 1998.5.27