両手を失った莫里根治
昔、沈陽の北の錫伯村に莫里根治(moligenzhi)
という不運な娘がいた。母は三歳の時にこの世を去った。父は漁の名人といわれ、毎日、漁に出る、だから莫里根治は何時も家に残され、近所の人の世話に頼るしかなかった。八歳になった年に父は意地悪で、たちの悪い女と再婚した。
一年たってその後妻は男の子を生むと、その子ばかりを可愛がり、莫里根治を邪魔にし、生んだ子には食べさせても、莫里根治にはまずい物を少しやるだけだった。後妻は莫里根治が十三歳になると婢女に売ろうとしたが父親は反対した。それから、後妻は何かにつけて莫里根治を苛めるようになった。
ある日、父親が漁に出たあと、後妻は莫里根治がロバに枯れ草を刻んでやらなかったからロバが病気になったと莫里根治をなじり、「わたしがロバにやる干し草を押し切り台で刻むから、お前は干し草を押し切り台の刃の下に置きな」と言った、莫里根治が干し草を押し切り台の刃の下に両手で置くと、殘忍な後妻は押し切り台の刃をザクッと下ろした、「アレ−」と莫里根治が叫ぶと、真っ赤な血が飛び、莫里根治の両手はザックリと切れ干し草の上に落ちた。父親が帰ると後妻は「莫里根治はロバが病気になったから、干し草を刻んでやると言って、できもしないのに押し切り台を使い、自分の手を切ってしまった」と嘘をついた。後妻がそれを父に話しているのを聞いた莫里根治は,もう我慢しきれなくなって、実の母の墓へ走り、墓の前で泣き続けた。
莫里根治は両手を失い、食べるにつけ着るにつけ、いっそう後妻の冷たい仕打ちに耐えなければならなかった。ある日、莫里根治が誤って弟を転ばすと、後妻は怒って莫里根治を箒でさんざんに打ち、家から追い出した。莫里根治には何処にも行く場所がない。一銭の金もなく、疲れ、飢え、ふらふらしたが、遠く離れて漁に出かけた父を探して行くことにした。
歩き続けたある晩、莫里根治は林檎畑のわきを通った、月の光で林檎の木の枝を見ると、林檎が鈴なりになっている。ふと見ると木の下に踏み台がある、莫里根治は踏み台から、やっと林檎の木に乗り移ると甘酸っぱい林檎を腹一杯食べた、ところが下りようとすると、踏み台が倒れている、木に登る時、踏み台を倒したのだ、こうなっては両手のない莫里根治には下りられない、そのまま木の股でうずくまって寝た。
夜が明け、何という学生が来てこの林檎の木の下で読書を始めた、何は木の股で乱れた髪のまま寝ている娘を見つけ、小さな声で「あんた、どこの娘、早く下りておいで」と声をかけたが目を覚まさない、大声で呼ぶと、莫里根治は驚き、木の上から落ちて気を失ってしまった。
何は莫李根治が可哀相になり、おぶって家へ帰った。やがて莫里根治は気がついたが、林檎を盗んだことを恥じ、起き上がってすぐ逃げようとした。しかし何に引き止められると、莫里根治は目に涙をため自分の身の不運を話した、何は行く所がないと聞くと、両親と相談し莫里根治を何家の使用人の一人とした。
二年たっと莫里根治は一人前の娘に育ち、何家の恩を忘れず何には何時も丁寧に接した、何は莫里根治が聡明なので、字を教え、五経四書を学ばせた。莫里根治が両手がなくて文章が書けないのを嘆くと、何は莫里根治の腕に筆を結び、美しい篆書を教えた、こうして二人の学問好きの若者は互いに愛し合うようになった。
何は莫里根治と愛し合うと、多くの結婚話にも頭をふらず、父母が強く結婚するように言ってもことわった。やがて両親は何と莫里根治が互いに愛しているとわかると、しかたなく二人を結婚させた。
何と莫里根治が結婚してまもなく科挙の年になり、莫里根治は夫を北京へ送り出した。やがて何は科挙で名を挙げ八府巡按となったと伝えられ、何家は大喜びであった。ちょうどその時、北京を往来する張斉という商人が村に来ていたので、莫里根治は夫への手紙をこの商人に依頼した。しばらくして商売をおえた張斉が何からの返信を持ってきた、莫里根治が開いてみるとそれは離縁状であった。あまりの事に莫里根治は泣き伏した。すでに何の子を孕んでいた莫里根治は泣く泣く家を離れ、遼河の河辺に来て河の流れを見ながら、自分の不運は薬草の黄連より苦いと考えると、生きる力もなくなり遼河に身を投げた。
やがて莫里根治は気がつくと、自分は河辺の砂の上に横たわり、両手がもと通りにそろっていた、喜んで身の周りを見ると、生まれたばかりの可愛い男の子がすやすやと寝ていた。莫里根治は河に身を投げたが、水の宮殿の鯰の婆に救われ、水の宮殿で男の子を生んだのだった。鯰の婆は莫里根治の運命を憐れみ、法術を用い両手をもとのようにしてやったのだ。莫里根治は喜んで子供を背負い、張家湾にたどり着くと、張という老夫婦の家に恵みを求めた。張老夫婦は母子二人を哀れに思い、莫里根治を養女にして一緒に暮らした。
それから三年過ぎた。ある日、一人の行商人が張家の門前に来た、実は八府巡按の何士達が密かに村々を視察しているのだった。莫里根治の男の子は水生と名づけられてもう三歳になっていた、小さな水生は行商人の周りを走り回り、「お母さん」と母を呼んだり、会ったこともない何士達の裾をひっぱって「お父さん」と言った、水生のこの遊びを周りにいた人が笑ったので、莫里根治は顔を赤くして水生を抱いて家に入ってしまった。
さて、何士達は故郷に帰り両親や妻に会いたいと思い、家に帰り門を入ると、両親にいきなり罵られ、びっくりして聞くと、妻は何士達の離縁状を持って、何家を出たと聞かされた。何は驚き、地方を視察して、妻を捜そうと決心した。
ある日、何はまた張家湾に行くと、ちょうど莫里根治が井戸で水を汲んでいた、何は妻と似ていると思い、水を飲みながらよく見ようと急いで井戸へ近かづくとその人には両手がある、人妻を間違えて呼んで恥じをかいてはいけないと、黙ってそこを離れた。
何士達は張家湾から離れたが、歩きながら考えるとどうも気になり、また張家湾に戻り、張老人の家を訪ね、本当のことを聞き出そうとした。張老人は何士達に莫里根治の身の上を話すと、何士達はこれこそ妻の莫里根治だとわかり驚き喜んだ。しかしどうして両手がもとのようになったのかはわからなかった。
だが、莫里根治はこの行商人があの不誠実な夫何士達その人だったので、激怒し、何士達を追い出そうとした、しかし養母になだめられると莫里根治も心を和らげ、何士達の誠実な詳しい話を聞くと莫里根治は何士達からの離縁状を出して見せた、何はそれを見て不思議に思いこれはきっと誰かの仕業だと話し、莫里根治と何士達は互いの心がわかり抱き合って泣いた。
翌日、八府巡按の何士達は張斉を役所に呼び出した。張斉は商売の往来の途中にきまって崔家旅館に泊まる、その時も崔家旅館に泊まり、何気なく旅館の主人に八府巡按の妻への手紙を持っていると話し、翌日、誰か荷物を触ったらしいと分かったが、調べてみると金はなくなっていないので気にもせずに旅館を出たと話した。何は張の話を聞いてすべてを悟った、店主はあの後妻の弟だったのだ。名は崔老三。
何は莫里根治のあの父の後妻と崔老三を役所に呼び出し、証人の張斉に会わせ証拠を見せると、崔老三とその姉はすべてを白状した。張斉が宿屋に泊まった時、崔老三はまだ莫里根治が生きていると聞き、その夫が高官だとわかると、莫里根治は姉に報復するだろうと考え、悪い心を起こし、夜、張斉がよく寝ている間に何の書いた手紙を離縁状とすり替えたのだ。崔老三とその姉は人を苦しめた罰で監獄に入れられ、莫里根治母子と何家の家族はまた仲好く暮らすようになった。
沈陽市巻中 1997.9.5