兄妹の子孫

 天と地の初め、二人の兄妹がいた。妹は十八、九歳、兄は二十何歳かであった。兄は毎日畑でよく働き、妹は朝早くから真っ黒になって御飯を作り、畑の兄に届けていた。
 ある日、妹が兄に御飯を届けに行くと、道端に石人像が立っていた、妹が御飯をいれた籠を抱えて前を通ると、その石人像は妹を見て微笑んだので妹は「あんたもお腹が空いているの、じゃ御飯をあげよう」と言って、しゃもじに御飯とおかずをのせて石人像の口にいれてやった。それから妹は毎日この石人にも御飯とおかずを持って行くようになり、いつしか百日が過ぎた。

 ある日、石人が妹に「娘さん、ちょっと話しておきたい事がある」と言った、「何ですか」 「近いうちに豪雨が降り、天が崩れ、地が裂け、この世の人家はなくなる」 「本当ですか、どうしたらいいでしょう」 「その日がきたら、娘さんは兄さんと一緒にここにおいで、わしが助けてあげる、忘れてはいけないよ」と、その日まで教えた、妹は変なことを言う石人だと気にもとめずにいた。

 その日になると霧がたちこめ、刀のような鋭い雨が降りそそぎ妹は石人が言った事を思い出し兄に話した。それを聞くと兄は「すぐそこへ行こう」と言って、二人は鍋をかぶって家から二、三里離れた石人のところへ走って行った。
 石人の前に着いた兄妹はそこから何処へ?見ると石人は口を大きく開けている、兄妹はその口に飛び込み、石人のお腹の中に入った。さて石人のお腹の中はどうか、周りを見ても何も見えない。ただ二人はそこに座っているしかなかった、石人も何も言わない。二人はお腹が空いてきた、妹がよく見ると、“アッ”石人にやった御飯やおかずがみんなそのままあるではないか、二人は石人のお腹にあった御飯とおかずを食べた。

 二人が石人のお腹に入って百日たったある日、石人は口を開け二人を吐き出して、「さあ、天と地に残されたのはお前たち二人だけだ、この本を持って二人とも行くがいい、これからこの本によってお前たちはこの世に人を作るのだ」と言った。兄妹は一緒に「わかりました」と返事をすると、本を持って歩きはじめた、四方八方何処にも人はいない、荒れ果てた地には家も何も見えない。兄妹は小屋を作りそこに住んだ。畑も種もなく二人は山の野草や木の実をとりそれを料理して食べた。
 石人がくれた本は何であったのか、それは泥人形の作り方の本であった、女の妹が作る泥人形は女に、男の兄が作る泥人形は男になった。今でも人が汗をかき、泥のような垢がでるのは、その時兄妹が作った泥人形だからである。

 兄妹はそこに何年か住み、兄は「夫婦になろう」と言ったが妹は承知ぜず「この石臼の上の石と下の石をそれぞれ二人が持ち、山の下に転がして麓でまた合体したら夫婦になろう」と言った、兄も「よし」と言って、二人は山の頂上に登り、石臼の上下の石をそれぞれに転がした、すると石臼の上下は麓に転がって再び合体して一つの石臼になった、それを見ても妹は承知せず、また「わたしがこの針を持ってこの山に立ち、兄さんがあの山から糸を投げこの針に通せば夫婦になる」と言った、果たして糸は針に通り二人は「夫婦になろう、夫婦になろう」と言って夫婦になった。

 それから二人には次第に子孫が増えた。 昔から、どの家の家系図にも初めに一人の男の図と女の図が描かれているが、漢族が称えるあの高公と高婆はこの兄と妹である。

 付記
 この話の語り手何忠良は父の何福申から聞いたという、その父は仕事をしていた十八歳の時、占師の于老八が語ったのを聞いたと言う。原題は<畏石頭人飯>。
 撫順県趙文新採録<兄妹倆留后人>、新賓県徐奎生採録<高祖公、高祖婆留下黎民百姓>と<人的来歴>の粗筋はこの語りと基本的には同じである。
 撫順県の語りで異なる箇所:(1) 石人像は石の獅子。新賓県の語りも同じ。(2) 兄妹が入ったのは獅子の腹、天から降った油に火がつきすべてが焼き尽くされる。
 新賓県の<高祖公、高祖婆留下黎民百姓>は水が天に連なる。(3) 石の獅子が山で石臼を合わせ、糸を針に通す考えをだし兄妹を夫婦にする。
 新賓県の<高祖公、高祖婆留下黎民百姓>は姉弟で、姉が夫婦なると言い、弟が石臼合わせ、針の糸通しを提案をする。
 <人的来歴>は天の父が一男一女を生み、兄妹は果樹を植え、その実を食べて暮らす。二人は蛇に騙され、禁じられた果実を食べる、すると兄は喉に実がつまる、それで今でも男はその実が喉ぼとけになっているのである。妹は飲み下だすことができたから、今でも女にはそれがない。そして天の父が二人を夫婦にする。

           撫順市巻上                                      1997.5.10

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