鍛治屋と息子
昔、愛尼山のあの大きな池のほとりに働き者で人のいい鍛治屋と二人の息子が住んでいました。
鍛治屋の父親は幼い時に母を亡くした息子二人をとても可愛がっていました。夏は息子たちが暑いだろうと、毎日三回池から冷たい水を汲んで息子たちに水浴びをさせ、冬は寒いだろうと、息子たちに毛皮の着物を着せ、炉のそばで火にあたらせました。
それに日頃から父親は息子たちには辛いだろうと、水汲みも柴刈りもさせず御飯の支度もさせませんでした。こうして甘やかされた二人の息子は食べること、着ることはできても、ほかの仕事は何もできませんでした。
池のほとりの桜や桃の花が何回も咲き替わり、山の竹の子が何回も生え替わるごとに息子たちは、だんだん大きくなりましたが、鍛治屋の父親は年をとってもう重い鉄の金槌は持つことができなくなりました。それでも二人の息子は毎日お金が欲しいと手を出しました、息子たちは父親がまだまだお金を持っていると思っていたのです。
ある日、二人の息子はまた手を出して父親にお金をせびりました。年をとった父親は首を振って「息子や、お父っつあんにはもう一文のお金もないのだ、これからはお前たちが自分の手で稼いでくれ」と言い、家中の戸棚や箱をひっくりかえして息子たちにお金がないことを見せました、でも息子たちは少しも信じません、父親はまだ沢山お金があるのに、俺たちに使わせないのだと思っていたのです。そして息子たちは鬼のような心になり、自分たちをあんなに可愛がってくれた父を捨てようと考えました。
ある日、息子二人は木の箱に父親をいれ、それを担いで家を出ました。父親は不思議がって「お前たち、わしを担いで何処へ行くのだ」と聞くと、息子たちは笑って「お父っつあんが金を隠して俺たちにくれないからお父っつあんを売りに町へ行くんだ」と答えました。
父親は息子たちの言葉が矢になって胸に刺さり、悲しくなり涙が流れ何も言えませんでした。父親は今になって息子たちを甘やかせて育てたことを後悔しましたが、こうなってはもう誰を恨んでもしようがありません、ただ木の箱の中に座って息子たちのするままになるばかりです。二人の息子は父親を担いで汗をかきかき山を登ると疲れて歩けなくなり、父親を入れた木箱を木の下に置いてひと休みしました。
この時、父親は一羽の親雀が虫をくわえて木に止まり、巣にいる数羽の雛に虫を食べさせているのを見て、二人の息子に「お前たち木の上の雀を見てごらん」と言いました。二人の息子が頭を上げて木の上の雀の巣を見ると、まだ羽の生えていない雛が黄色い嘴を開け、チィチィと鳴き親雀から餌を貰っていました。息子はこれを見て面白がり「お父っつあん、俺たちはあの巣の中の雛と同じように腹がへって、お父っつあんが食べさせてくれるのを待っているのだ、早く隠している金を出して俺たちの食べる物を買ってくれ」と言いました。
鍛治屋の父親は溜め息をついて「そうだ、お前たちは巣の中の子雀でお父っつあんはあの餌をやる親雀だった、子雀がお腹を空かしている時、親雀は東に西に飛んで食べ物を探し、くわえて巣へ帰り子雀に食べさせる、子雀がまだ羽が生えていない時には、親雀は子雀が寒いだろうと毎日子雀を抱いてやる、だがあの子雀は親雀の心を知っているだろうか、お父っつあんはもう年をとって、お前たちを食べさせる力はない、わしを担いで行って売るがいい」と言いました。
父親の話を聞いて、はじめて二人の息子は親を捨ててはならないと気づき、父親の前にひざまずき「お父っつあん、俺たちが間違っていた許してくれ。でも俺たちは何もできないから何をして食べ、どう暮らしていいか分からない」と言いました。
父親は「心配するな、仕事をすれば生きる道はある」と言いながら、無念そうに「みんなわしがお前たちを甘やかして育てたのが悪かったのだ、早く帰ってわしがお前たちに鍛治の仕事を教えてやる、仕事をすればきっと稼げる、わしも鍛治屋の仕事でお前たちを育ててきたのだから、鍛治屋で暮らしていける筈だ」と言いました。
息子たちはまた父親を担いで家へ帰るとすぐ鍛治場の炉で、ふいご、鉄の火打ちなどの技を習うようになり父親も炉のそばで熱心に技を教え、しばらくして二人の息子は鍛治屋の仕事を覚え、やがて愛尼山のすぐれた鍛治屋になり、だんだん暮らしも楽になりました。息子は父親によい物を食べさせ、よい物を着せ替わる替わるに父親の面倒をみました。
夏の暑い日には二人の息子で父親を池のほとりの涼しい木陰に連れて行き、自分たちで作った竹の扇であおいで休ませました。冬が来ると二人の息子は父親に毛皮の着物を着せ、炉のそばに座らせて火にあたらせました。
こうして後悔した二人の息子は一生懸命汗水たらして働き、自分たちの過ちを償い、父親の労苦に報いましたので父親は晩年を心地よく過ごすことができました。
西双版納哈尼族民間故事集成 1996・10・24