七か月で生まれた子

 清朝時代、沈陽の二台子村に李という挙人がいた。五十を過ぎて息子が生まれ文奇と名づけた。文奇は聡明で既に十七八歳で学問に精通していた。李挙人は息子の成長ぶりをひそかに自慢し北京で勉学させようと考えていた。
 ちょうどこの時、遠縁の親戚から文奇に縁談を持って来た。相手は上坎子村の趙挙人の娘の趙金坏であった。李挙人は相手方の父親も挙人と聞いて、両家の釣り合いもとれると喜んだ。それに息子もしっかりしているから結婚させればまず安心だと、この結婚に賛成、しばらくして趙金坏が嫁いで来た。
 趙金坏は今年十八、若々しい上に賢くて心優しい美人であった。若い夫婦は互いに愛し合い熱い仲となり、李文奇は一日中楽しくて仕方がなかった。やがて結婚後一か月たち、文奇は家を離れ勉学のため北京へ赴いた。

 文奇が北京へ行って七か月目に趙金坏は男の子を生んだ。李挙人は孫を得たわけだが、喜ぶどころか、顔を青くして怒った。女人は孕んだあと十か月で赤子を産むのに、うちの嫁は七か月で赤子を産んだ、これはきっと結婚前の娘の時に淫らなことをして孕んだ子に違いないと思ったのだ。
 考える程に癪にさわり、妻に「この子は息子文奇の子ではない、もしこれが外に洩れれば、我が家の面目は丸潰れだ、趙金坏は離縁するしかない」と言った。

 李夫人も息子の嫁が七か月で子を産んだことをいぶかったが、どう指折り数えても赤ん坊は七か月で生まれている。夫人も困った顔で夫に「でもこれは火を紙に包むようなもの、たとえ子供を雪の中へ埋めてもやがては知れること、どうしたって外に洩れ、早かれ晩かれいずれは噂になります。わたしはそのわけがはっきりしたその時に趙金坏を離縁し、今は趙家に言わないほうがいいと思いますよ」と言った。

 李挙人も妻の考えにうなずき、「うむ、そうしよう、子供の一歳の誕生日の祝いに趙金坏の父親を招き、その時この話をすれば趙挙人もわかった人だ、みっともない話に恥じ、すぐ趙金坏と子供を連れて帰るだろう、そうすればこちらから金坏の離縁を言い出さないで済む」と言った。
 やがて子供の誕生日がきた。李挙人は宴を開き、親戚知人を招き、趙挙人には招待状に『あなたの娘がめでたく七か月で子供を産みました、その子の一歳の誕生日の祝いをいたします、どうぞお出で下さい』と書いて送った。

 これを見た趙挙人は李挙人の書面の意味を直ちに察し非常に怒り、娘の不道徳を悔やんだ。しかしよく考えてみると娘は家ではずっと品行方正で表門や二の門からむやみに出たことはない、ましてやどんな男とも一人で会うようなことはなかった。それなのにどうしてこんなことになったのか、趙挙人は長い間よくよく考え、李家が腹の中で何を企んでいるのかみてやろう、もしまた娘が本当に不行跡なことをしたのだったら、娘と赤ん坊を斬って捨てる覚悟をして李家の祝宴に出ることを決め、刀を懐にして李家に行った。

 宴会が開かれ賑やかなところへ李文奇が帰って来た、文奇は家で何があったのかと、急いで門を入ると李挙人は息子が帰って来たのを見て、すぐ文奇を呼び「お前が帰って来てちょうどよかった。お前の妻は娘の時に操を守らず李家に嫁入りし、七か月で赤ん坊を産み、李家の面目を潰した。わしは子供の一歳の誕生日にお前の義父と親戚知人にこれを話し、はっきりさせようと思う。そしてお前は金坏と離婚しろ」と言った。李文奇はこれを聞いて驚き、思わず妻はどうしてこんなに早く子供を産んだのだろうと考えた、しかしどう考えても自分の妻が父親の言うような人ではないと思い、平静な心で「お父さん、怒りにまかせてその事を他人に言わないで下さい、家の恥は外に洩らすなと言うではありませんか。子供をよく見てはっきりさせてから言ってもおそくありません」と言った。

 文奇は言い終わるとすぐ妻のところへ行った。趙金坏は待ち焦がれていた夫を見ると、文奇の胸にすがり泣き始めた。文奇は趙金坏が痩せ衰え、憔悴しきっているのを見て、妻が家でどんなに辱められていたかと思うと辛く「金坏、心配はいらない、家で起きたことは分かった、お前のことは私が一番よく知っている、この子は私たち二人の子だ、お前はくだらない事を心配しないでいい」と言って妻を慰め、子供を抱き上げ頬ずりした、趙金坏は夫と子供を見て思わず泣き笑いした。

 しばらくして文奇は父の部屋へ行き「父さん、母さんこの子は私と金坏の子です、変な事を疑うから金坏は悲しんでいます、こんなことでは遠く離れて私も安心して勉学できません」と言った。両親は息子がこの子は確かに李家の子供だと言うのを聞き、心のわだかまりを捨て、疑いを晴らして喜び「みんなわしが悪かった、金坏と子供を疑ったのは間違いだ。よしよしもうこの事は言わない。早く金坏の父上に会おう。だがこの事は決して義父には話すなよ」と言った。文奇は父母が分かってくれ、この子を孫としたことを喜び、父母に従って義父に会った。趙挙人は婚家の親や家族が笑いながら出て来るし、李挙人がいちいち自分を「お義父さん、お義父さん」と呼ぶので、娘の産んだ子を李家の子として認めたのだと分かり、敵意を消して急いで立ち上がった。趙金坏が子供を抱いて挨拶に来たので趙挙人は外孫を抱きとても嬉しそうに、すぐ銀貨をとりだして孫の懐に入れ心のしこりを解消し、そして一族みんなと親戚知人たちは楽しく乾杯した。

 翌年は科挙試験にあたり、文奇は北京へ行って試験を受けた。文奇は午後の試験場で筆に墨をつけ書き始めると、頭がボ−として答えが何も書けず考えているうちに机にふせて眠り、夢を見た。八、九歳の少年が赤い提燈を提げ後ろに両眼失明の白い髭の老人がついて来た、老人は文奇の前に立ち止まって、不思議そうに「お前は試験に来たのに試験場に行かずにどうしてここに来たのだ」と聞いた、「はい、私は試験を受けに来たのですが、うまく答えられないのです」 「お−そう言うことか。よかろう、わしが教えてやる」白い髭の老人は文奇の耳もとで話し始めた、言い終わると老人は早く答えを書け、間に合わないぞ」と言うと文奇を押した、文奇は倒れそうになり、「アッ」と声を上げ目を覚ました。文奇は試験場での居眠りに気がつくと、不思議なことに、白い髭の老人が教えてくれた事をはっきり覚えていた。問題を見ると老人の話が正に問題の答えであり素早く紙に書き、二時間たらずで書き終え喜んで提出した。

 やがて発表があり文奇は第一等の状元で合格した。
 文奇は故郷へ帰り双方の両親に報告した。父母に挨拶してから義父の趙家へ挨拶に行った。趙挙人は婿の文奇が第一等の状元に合格したことを望外の喜びだと、嬉しそうに「婿殿、これは趙家の名誉です、わしと共に趙家の祖先に礼拝して下され」と言った。
 文奇はうなずいて「はい、お義父さん、礼拝いたします」と答え、二人一緒に庭の祠堂へ入った、中は香の煙りが立ち込め、何枚かの趙家の祖先の画像が掛けてある。文奇が一人一人の祖先の画像に礼拝し、第四代目の画像に思わず驚いた。この画像には赤い提燈を提げた少年が描かれ、その後ろに両眼を失明した白髪の老人の姿がある。
 文奇はひそかに驚き心の中で“不思議だ、老人は自分が夢に見たあの白い髭の老人ではないか、この老人は金坏の何にあたるのだろう”と思い、義父を振り返り「この御先祖はどなたですか」と聞くと義父は得意そうに「わたしの祖父です、だが、ただの祖父ではありません。在世中は偉大な教師で祖父の学生は科挙にみな第一等で合格しました。残念ながら在世中に失明し外へ出る時は少年の学生に提燈を持たせて歩きました、それで亡くなったあとも生きている時と同じような姿で描いたのです」

 これを聞いて文奇はあの試験場で見た夢の老人は趙家の祖先で、そのお陰で第一等で合格したのだと悟った。文奇は感激して画像の前で三回の叩頭の礼をした。
 家へ帰りこのことを父母に話すと李挙人は文奇が子供を認め妻を救ったその徳行が妻の実家の祖先を感動させたのだと思い、嫁に感謝しなくてはならないと思った。

 文奇が科挙に第一等で合格した翌年、趙金坏はまた身重になり、再び七か月で子供を産んだ。これで李挙人は出産の時に言われる“七活八不活”(七か月の子は育つが八か月の子は育ちにくい)の意味がやっと分かった。

             譚振山故事選                                  1996・8・28

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