火打ち石の証拠
昔、王という老夫婦と息子がいた。
息子の名は王林、王林が二十歳の時に縁談を世話する人がいて婚約が整った。互いに貧乏同士、おおげさな事もせず、ただ吉日を選んで相手の娘が王の家に嫁入りした。婿の王林が花嫁のかぶりものをあげると、痩せこけて背が低く目は小さく眉のあたりに皺もあり器量が悪い、王林はがっかりして外へ出てしまった。
夜の一家団欒の食事になっても王林は戻って来ない、そこらを何度探してもいない、親戚友人たちが隣近所から村中の三十何軒かの家を全部聞いて回ったが、何処の家でも首を振って「王林を見なかった」と言った、王林の父と母は火のようになって怒り、息子を罵りながら、新婦を口々に「嫁や、御飯をお食べ、明日は帰って来るだろう」と慰めた、新妻は「夫がたとえ天へ行ったとしても、わたしは帰って来るまで待ちます」と答えた。
こうして新婚初夜の寝間で新妻は一人で過ごした。一日二日三日四日、一か月二か月三か月たっても、さっぱり王林からの音沙汰はない。新妻は“わたしは結婚して夫の家の人になったのだから、両親の世話をしないわけにはいかない”と、毎日朝早く起き、御飯の支度をして両親に仕え、家の中でも外でも忙しく立ち働いた。老夫婦は嫁いで来た嫁が何でもでき、賢くもあることを心から喜んだ。そして老夫婦は息子が帰って嫁と仲よく暮らすことを願い、そっと涙を落とし嫁に申し訳がないと思っていた、しかし王林からは何の知らせもなく、行き先も分からなかった。
さて、王林は家を出るとすぐ村を離れ小さな町に着き、ブラブラしているうちに同じ村の年上の楊大哥と出会った。この人は体は大きくはないが三十過ぎの善人でこの町で仲間と焼売屋をやっていた。「やあ、王林じゃないか」と王林の肩を叩いた、「あっ、楊さん」 「お前どうしたんだ」 「わたしは家を出て来ました」 「なに、家出だって……」楊大哥がそのわけを聞くので王林は「わたしは稼ぎに出たかったのですが、母が外に出るのは大変だ、食べていくにはみんなで一緒に暮らすほうが楽だと言うのです、わたしは家を広げ、それから結婚しよう考えていたのです」
王林は本当の事を話せば楊大哥に帰れと言われるかもしれないと、こんな嘘をついた。楊大哥は「年寄りはみんなそうだ、世間では“息子が千里行けば母は案じる”と言うが、お前の考えも正しい、二十を過ぎて一生独身でいることもできないからな」と言った、王林がうなずくと楊大哥は「それで仕事はあったか」と聞いた、「まだです」 「じゃ、俺について来い、俺は仲間と焼売屋をやっているから仲間と相談していいとなれば、俺たちと仕事をすればいい、駄目だったらまた考えよう」 「それでは楊さんに迷惑がかかります」 「いや、なんでもない。お前はここに来たばかりだし、若いのだから……、行こう」二人はお喋りしながら歩いた。
楊大哥は故郷の王に会い、楽しく故郷の様子をあれこれ聞いた。やがて焼売屋に着くと楊大哥が先に入った。この焼売屋は仲間何人かで始めたのだが番頭は決まっていた。番頭は店にちょうど八仙卓(八人がけのテ-ブル)
をいれて客を増やすつもりだった。楊大哥は王林を紹介しながら「この若者は俺の同郷なんだ、この町に来て三日になるがまだ仕事がない、これから店も忙しくなるからここで働かせたいのだが」と言った、番頭は王林を上から下まで見ると真面目そうなので「いいよ仕事させよう、あんたが保証人になってくれ」 「よし、何かあれば俺がかぶる」と楊大哥が言った。
こうして王林は焼売屋の給仕になった、王林はあいそがよく、てきぱきと笑顔で応対するので客がだんだん増えてきた。王林が来てから店はますます繁盛したので、みんなは王林が金運を連れて来たと喜んだ。瞬く間に三年の月日が過ぎた。
ある晩、王林は家を出てからのことを思い出して眠れずにいた、あれから三年、少し金ができてみると家が恋しくなり心が落ち着かない、父と母は食べる物をつめてまでして、妻を娶ってくれたのに何も言わずに家を出てしまい、孝養もせず、妻にも済まない事をしてしまった、今頃みんなどうしているだろう、やはり家に帰るべきだと考えると体を起こし、ためた金と何枚かの着物を包んでみたが、外はまだ暗くまた横になってうとうとした。
明るくなるとすぐ番頭を訪ね「わたしは三年も家に帰っていませんので家を見て来たいのですが」と言った、番頭は「お前さんも家を出てから長い、じゃ手間賃の勘定をつけて上げるから家へ行っておいで」と言ってくれた。王林は今までの手間賃の精算をしてもらうと楊大哥も「そうだ見て来たほうがいい」と言いながら、懐から二十両の銀貨を出して王林に渡した、だが王林は「わたしは楊さんに何年も助けられてきました、お蔭でわたしも幾らか金もできました、有難うございます、どうかしまって下さい」と受け取らなかった。
しかし「まあ、取っておいてくれ、お前はお前、これは俺の気持ちだ、帰って女房を貰い真面目に暮らせ」と言う楊大哥の言葉を聞くと、王林は黙っていられず、家を出たこと、自分の結婚のことについて、楊大哥に嘘を言っていたことなどすっかり話した、楊大哥は聞き終わると「自分の間違いを知ることはいいことだ、早く帰ってみんなに会い仲よく、これまでの償いをして真面目にやればいいのだ、この金はやはり持って行け」と言った、王林は楊大哥の優しい心にうたれ、再び辞退はできず金を受け取り「楊さん、わたしはどうお礼をしたらいいかわかりません」と言うと楊大哥は「心配するな、人は誰でも生きていれば誰にどう世話なるかわかりはしない。早く行くがいい、帰ったら家族に忘れずよろしく伝えてくれ」と言った。
王林は楊大哥に別れを告げ、包みを背負って家に向かった、途中高粱畑のそばを通ると突然追剥ぎが出て、何も言わずに殴りかかり王林は気を失い、三年間ためた金を盗られてしまった、気がついて見ると金も包みもない、上着は破られズボンだけだ、王林は“夏でよかった、冬だったら俺は死んでいたかもしれない、こんなみすぼらしい恰好をみんなにどうして見せられようか、駄目だ、また焼売屋へ戻って何年か働き金をためよう”とやっと起き上がって歩き出した。
空はすでに暗く宿屋に泊まるにも楊大哥がくれた二十両の銀貨も盗られてしまたのだ、今はただ歩くしかない、しばらく行くと前の方に荒れた廟が見えたので王林は急いだ。王林は疲れ果てて廟に入るとすぐ横になったが眠れない。起きて煙草を吸おうとズボンから煙草と煙管を取り出し、煙管の雁首に煙草をつめ、火打ち石を出してカチカチと火をつけたが火打ち石を落としてしまった、“しょうがない朝明るくなってから探そう”とまた横になった。
王林は眠ってから夢を見た。夢の中で王林は家へ帰っていた、家はきちんと片付けられていて父も母も元気で、妻は前のように醜くはなく綺麗だった、小柄だが均整のとれた体で明るい目だ、両親や親戚の者も王林が帰ったのを喜び、王林を咎める者はいなかった、いろいろ話し終わるとみんな出て行き、王林と妻だけになった、妻は見れば見るほど美しくなっていた、妻は王林に見つめられると顔を赤くして下を向いてしまった、王林は妻の手をとって「お前はまだ俺を怒っているかい」と言った、妻が「いいえ、わたしは毎日あなたが帰り、一緒に暮らしたいと思っていました、今日あなたが無事に帰って来て、嬉しくてしかたありません」と言うと王林は胸が熱くなり「俺の間違いで、お前に苦労をかけてしまった、今度はもう何処へも行かず毎日お前と一緒に暮らす」王林がこう言うと、妻は泣いた、王林は妻を寝床に誘い妻の涙を拭いてやった、妻は嬉しそうな顔をした、そして二人は床に入り枕を共にした。
王林が目を覚ますとそれは夢だった。朝になって王林は昨夜の火打ち石を探したがどうしても見つからない。日が高くなってから再び焼売屋へ戻った。
話がうまくできすぎているが、この夜、王林の妻も王林が帰って来た夢を見た。夫が自分を見て喜び「お前がこんなに綺麗なら、初めから出た行かなかったかもしれない」と言った、妻は「あなたは何処へ行ったの、手紙もくれないで家中を心配させて」と言い終わると夫に近ずき、夫の胸によりかかり床について枕を共にした。夜が明けて妻は目を覚ますとそれは夢であった。
朝の食事のあと妻は昨夜の夢を老母に話した、老母は「それはいい夢だ、きっといいことがあるから日にちをを覚えておくといい」と言った。妻は夫が帰った夢を見てから本当に妊娠した。お腹は日に日に大きくなりやがて月満ちて男の子を生んだ、不思議なことにこの子は生まれた時から小さなな拳を握って手を開けず、ぎゅっと握ったままであった。老母は喜んで「この子は天がわしらに授けてくれた孫だ」と喜び、怒るどころか嬉しくて笑いがとまらなかった。
光陰矢の如く、また三年が過ぎた。三年前、王林はあの荒れた廟から再び戻ると、楊大哥の援助で小さな焼売屋を開き、朝は暗いうちから夜は星や月をいただくまで働き、一つも物を無駄にせず、また三年で金をためた。
しかし、家を忘れず自分の焼売屋は楊大哥に譲り家へ帰ることにした。王林は馬一頭を買うと帰心矢の如く、馬蹄を響かせ数日で家に着いた。
この日、王林の妻は昼の支度をしていると、外から人が馬を牽いて入って来る、何処から来たお客かと、手に盆を持ったまま迎えに出た、なんと夫ではないか、喜んだとたんに盆をパタリと落としてしまった。老父と老母がその音を聞いて何事かと出て来た、見ると息子がいるではないか、老夫婦は喜んで「息子や、よく帰って来た、早くお入り」と老母が言った、王林は父と母の前にひざまずき「息子の不孝で御心配をかけました、わたしを打ちすえて下さい」と言った、老母は「早く立ちなさい、帰ってくれればそれで年寄りは嬉しいものだ」と言い、老父は「お前が出てから五六年も手紙もなかったが、無事で帰って来てよかった、こんな嬉しいことはない」と言った。老母は「何年も嫁は大変だった、もし嫁がこの家でわしらを世話してくれなかったらわしらはとっくに閻魔さまの所へ行っていたよ」と言った。
王林は妻に「本当に済まなかった、俺がお前のそばにいなくて苦労をかけた、もう何処へも行かない」と言った、王林は夢で見たより美しい妻を見て涙を落とすと、子供が寄って来た、王林が「この子は何処の子」と聞くと老母は「わたしの孫、お前の息子だよ」と言った、「わたしにどうして息子が……」老母と王林が話していると妻が料理を運んで来た。老母は「まあ食べてから話そう」と言っていると子供は食卓に這い上がろうとして握っていた手を開き、ポトリと食卓の上に火打ち石を落とした。
みんなが驚いていると、王林は火打ち石をとりそれが正しく自分があの晩あの廟でなくしたあの火打ち石なので驚き、王林は三年前に家へ帰ろうとして追剥ぎに遭い、火打ち石をなくしたことを話した、それを聞くと老母は「息子や、お前の嫁はその日の夜、お前と同じ夢を見たのだよ」と言った。王林は「ああ、これは関帝さまの御利益だ、わたしが自分の子と分かるように火打ち石を証拠にして下さったのだ」と王林は息子を抱き上げ頬ずりした。こうして、夫婦は睦まじく、一家は幸せに暮らした。
姜淑珍故事選 1996・7・31