“種”という姓の由来
宋朝時代に編まれた書<百家姓>の中には“種”という姓はない。しかし、沈陽でよくみかける“種”姓には清朝開国の祖努尓哈赤にかかわる一つの故事がある。
伝説によれば、清の太祖努尓哈赤は明朝の遼陽総司令李成梁の下役で小罕子と呼ばれていた。ある晩、李成梁はふと小罕子の足に七つの紅い痣を見つけ、すぐ小罕子を殺害しようとした、七つの紅い痣を持つ小罕子は龍の出世をするとみたからである。その夜、小罕子を捕らえ北京で斬首しようとした。
これを伝え聞いた小罕子は驚いて、総司令の府営から逃げ、一気に三日三晩走り続けた。直ちに李司令は兵を率いて追跡した。すでに秋は深く高粱は刈り取られ積み上げられていた。小罕子は追跡を逃れてこの積まれた高粱の中に潜んだ。
兵士は高粱の畑に来て、積み上げられた高粱の間を見て回ったが小罕子の姿はなかった。李司令は焦り、兵士に積まれた高粱の中を捜せと命令した、兵士が高粱の山を一つ一つひっくり返すと高粱の茎、穂、葉には一面に虫が這い回り、兵士のズボン、上着の袖の中にも入って来る、兵士たちはこの沢山の虫を見て、これではこの中に人が隠れることはできないと考え、高粱の山をひっくり返すのを止めてしまい、小罕子を見つけることはできなかった。
兵士たちは高粱畑の捜索をあきらめ、再び追跡を続けたがやはり小罕子の行方は分からず、府営に戻るより仕方がなかった。小罕子は兵士が遠く去ったのを見て高粱の中から這い出ると、自分の体や高粱にびっしり虫がついていた。小罕子は服についた虫を払いながら「虫よ、お前はわしを救ってくれた、俺が皇帝になったら、きっと俺の子孫の名は虫にして永遠にお前たちに救われた恩を忘れない」と独り言を言った。
後に小罕子は本当に沈陽の金鑾殿で皇帝に即位した。 ある日、罕王は大臣たちと狩りに出かけ、高粱畑を通りかかり、あの時の事を思い出した、「もし虫がわしを救ってくれなかったら、今のわしがあったろうか」とその感慨を禁じ得なかった。罕王は虫が命を救ってくれた功績を記念して何人かの子孫の姓を“虫”と名付けた。人々は後の満族の“種”姓は罕王が誓って付けた姓の“虫”の字を“種”と書き変えたのであると伝えている。
姜淑珍故事選 1996・7・20