罕王難を逃れる
城子后という村があった。小罕子の家はここにあった。小罕子の父親は五人兄弟で、小罕子の父は四男、兄弟はそれぞれ分かれて暮らしていた。
ある時、兄弟五人一緒に長白山に人参掘りに出かけたが、小罕子の父は病気になり倒れてしまった。兄弟は話し合い、五男は「兄さんたちは山へ人参掘りに行ってくれ、俺が四兄さんをみるから」と言った、兄たちは心配だったが、ほかに方法もなかった。三日たって四男の小罕子の父は死んだ。遺体を持って帰るのは容易ではない、五男の末の弟が「こうしよう、俺がここで秋まで待ち、遺体が腐り、骨になったら背負って帰るから兄さんたちは先に帰ってくれ」と言った、兄たちは食べ物をみんな末弟に置いて先に帰った。
四男の妻が「わたし夫はどうして帰らないの」と聞いた、兄たちは四男は病気になったので、末の弟がみている、よくなったら二人で帰って来る」と答えた。死んだとは言えなかったからである。
秋になり死体は腐ってきたが、まだ筋肉はついている、五男の弟は食べる物も金も使い果たし「兄さん、すまないが我慢してくれ」と言って筋肉を割き、骨を水で洗い、骨についた苔をとり綺麗にして、木の皮の筒に入れ背負って帰った。
新賓の永陵に着くとすでに日は暮れた、骨を入れた筒をどこへ置こうかと考え、北山の麓の太い木にかけておいた。そしてその日は宿屋に泊まったが、夜になると雷が鳴り暴風雨になった。空が晴れるまでいて、二日目に行くと山が崩れ、骨をかけたあの木はすっぽり泥で埋まり土の墓のようになっていて骨を掘り出すことはできない、五男の弟は“このままにしておいて帰ってから兄や兄嫁たちと相談しよう、もしこの『墓』を見たいなら、みんなに車で来てもらおう”と考えた。
五男が家へ帰ると、兄たちに四男の妻は「あたしの夫はどうしたの」と聞くので、兄弟たちは隠していることができなくなり「実は四兄は病気で死んだのだ」と打ち明けた、「遺体はどうしたの」と問われ、五男は一部始終をすっかり話した。
兄たちは「先ず墓を見てから考えようと言い、何人かの人に手伝って貰いながら行って見ると、そこは北が龍崗山、向かいが烟筒山であった。今はいいところだが、その頃はまだ荒れ地だった。兄弟たちは墓の標しの大きな木の下を掃除して帰った。家へ帰ると四男の妻は兄たちに「わしらが暮らしの面倒はみてやる、それより子供を育てることが大事だ」と勧められ、四男の妻もだんだん落ち着きを取り戻していった。
四男の息子の小罕子は学校へ行っていたが、五男の子供は「お前たち母子は食べる物も着る物も、みんな俺たちの家で助けているのだ」などといろいろ言って苛めた。小罕子は十三四になって耐え切れず母にも伯父たちにも何も言わず家を出た。
家出した小罕子は遼陽の町に着くと。周という食堂の主人に「どこの家の子だ」と聞かれ、「家はありません、わたし一人です」と答えると食堂の残飯をくれた。
李軍団に李福という幹部がいた。その李福が食堂に食事に来ると、周が「旦那、いいことがあります」と言った、「何だ」 「流れ者で食べるのも着るのも困っている子ですが、家僕でも下男にでも使えば将来は大物になりそうな、只者ではない子です、軍団の司令官に伝えて下さい」 「いいだろう、連れて来い」そして小罕子が呼ばれた、李福が見ると利口そうだ、「名前は」「小罕子といいます」 「わしについて来るか」 「はい」。
李福は小罕子を李成梁司令官の所へ連れて行き、小罕子のことを話した。
こうして小罕子は李成梁の身辺の世話をすることになった。お茶を出し、煙草を用意し火をつける。たちまち一二年たった。ある日、小罕子が李司令官の足を洗っていると、土踏まずに赤い痣がある、小罕子がそれを見て「土踏まずに痣が三つあります」と言うと李司令官は「わしは福禄寿、三星の運命によって下界に降りた最高の星だ、お前も多くはいらない、もし一つでもあればわしの指図を受けることはなかったろう」と言うと、小罕子は「私には痣が七つありますが、それでもあなたに仕えています」と言った。「本当か」 「見てください」小罕子は靴を脱いで見せた。確かに小罕子の左足の土踏まずには四つ、右足の土踏まずには三つの赤い痣があった。
そばにいた李司令官の妾、喜蘭は驚きの目で小罕子を見た。李司令官は“これは普通の人間ではない、北京城に告示された『龍』とはこれのことだ、もしこれを知って何もしなければ重罪になる、こうしよう、明日、北京へ行こう、わしが行けば小罕子も一緒だ、騒ぎたてずに北京で小罕子を皇帝に渡してしまえばそれで解決だ”と考えた。
そして、夜寝る時に李司令官はこのことを喜蘭に話したが喜蘭は何も言わなかった。翌日、朝食がすむと李司令官は八頭立の馬車に乗って北京へ向かった、小罕子も一緒だ。三四十里行くと李司令官は馬車から下りて煙草を吸おうとした「小罕子、煙草を持って来い」 「忘れました、持って来ませんでした」 「なに、忘れただと、すぐ二時間以内に取って来い」小罕子は身を翻して戻った。
喜蘭は門で汗をかいて走って来た小罕子を見ると、「小罕子、どうして戻って来たの」と聞いた、「李司令官の煙草を取りに戻りました」 「まあ、あなたという人は」 「何ですか」 「あなたは足に七つの痣がある言ったでしょ、北京へ行ったら、あなたの命はありませんよ」小罕子はそれを聞くとひざまずいて泣き、「助けて下さい」と言った、「あの大青馬に乗って逃げなさい」
小罕子は李司令官の馬を二頭世話していた、一頭は大青馬と言い一日千里走る、もう一頭は二青馬と言い一日に八百里走る、慌てた小罕子は二青馬を引き出して庭から逃げ出した。すると日頃から小罕子が可愛がっていた赤犬もあとを追った。
いくら待っても小罕子は戻って来ない、李司令官は「軍営に戻る」と言い放して軍営に戻ると、小罕子は逃亡していない、これはきっと喜蘭が教えたに違いないと喜蘭を捜すと喜蘭は門で首を吊って死んでいた。だが李司令官は馬小屋へ行くと「ハハハ」と高笑いし「二青馬に乗って逃げても無駄だ」と、先鋒隊長呉貴を大青馬に騎乗させ、兵を率いて追いかけさせた。
呉貴は一気に小罕子を大きな葦の池まで追いつめたが、一面の葦原で兵は少なく、どう捜したらいいか分からない。呉貴は「火を放して追い出せ」と叫んだ。小罕子は後ろから“ザワザワ”と火が音を立てて来るのが分かり、馬を葦の池に沿って走らせた、二青馬は走りに走ったが溝に突き当ってつまずき溝の中に落ちた、小罕子は溝のわきに振り落とされ意識を失い、二青馬は疲れ果てて溝から這い上がれない。すると後ろから赤犬が追いついて来た。赤犬は溝の中に入り体を濡らすと小罕子の周りを転げ回り、また水につかり小罕子の回りを転げ回る。こうして小罕子の周りの葦は水で湿され、風もおさまり火は自然に消えた。呉貴と兵士は小罕子が出て来ないので「焼け死んだのだ」と言って引き返した。
小罕子が気がつくと、そばに赤犬がずぶ濡れのまま死に、周りの葦に触ると濡れている、小罕子はすべてを理解し、泣きながら赤犬を埋め、二青馬を溝から引き出すと再び二青馬にまたがって逃げた。しばらく走ると小罕子はまた追っ手の兵士に遭遇し、急いで馬を河へ乗り入れた、だが、二青馬は向こう岸につくと跳ね上がり、小罕子を振り落として林の中へ駆け込んでしまった。すると、振り落とされた小罕子の体に飛んで来たかささぎと烏が止まった、これを対岸から見ていた兵士は「向こう岸に人が倒れているが死んでいるのだろう、でなければ、かささぎや烏がその体に止まる筈が無い、今日はどうも縁起がよくない」と言って、間もなく引き返して行った。
小罕子は兵士がいなくなったのを見ると起き上がり、二青馬を探してまた逃げた。やがて永陵街に着き、飯を食べようと店に入ったが、しばらくして呉貴が大青馬に乗ってまた追いかけて来た。二青馬は大青馬を見ると嘶いた、呉貴は「アッ、あそこだ、追いつめたぞ」と叫び、大青馬を杭に繋ぎ、小罕子を捕まえようと店に入って来た、小罕子は追っ手を見て店の裏から逃げ、大青馬を繋いだ縄を解くと、そのまま騎乗して逃げた。呉貴は小罕子が逃げたと知ると、すぐ店を出たが大青馬はの姿はすでになく、ただ二青馬が残っているだけであった。呉貴は小罕子逮捕に失敗し、その罰を恐れ自らの首をはねて死んだ。
後に罕王は皇帝になったが、昔を忘れず大青馬と二青馬に因み国号を“清”とした。また命を救ってくれた赤犬の恩を忘れなかった、だから今でも満族は犬の帽子をかぶらず、犬の肉を食べない。
また、かささぎと烏には毎年一石二斗の餌を与えた。そして喜蘭を “万人媽媽”として封じ、家々で永く祭られたが、やがて長い間に呼びなれ、後には“歪梨媽媽”と言うようになった。
付記 この罕王伝記は最も広く伝えられているが趙子陽の語りをもとに 相臣、高景全の語りを参照して整理した。
新賓県韓風が語った<小安脱険>は筋は同じだが、主人公が小罕ではなく小罕の父の小安である。
この外、撫順県肇大偉の採録した<満族人為什麼不吃狗肉>はこれとは異なる。小姓が皇帝の足を洗うと土踏まずに七個の痣がある、小姓が自分の土踏まずにも痣が九つあると皇帝に告げる。小姓が逃げて葦の原に入ると皇帝は火を放てと命じる、すると、天界の玉皇大帝が犬を下界へ遣わし小姓の周り四十里四方の葦を濡らし、小姓を助ける。
撫順市巻上 1996・2・27