張二の供え物
清の乾隆年間、白旗堡東營坊村に関帝廟があった。前と後ろに三層の大殿があり、正殿に関帝が祭られている。
この村に張二という親孝行な小作人がいた、三十を過ぎているがまだ結婚できず、老母と暮らしている。ある時、老母は冷えこんで全身が痛み起きられなくなった、医者に診せたくても金がない、どうしようと思っていると隣の李二の女房が、関帝廟の関公はご利益があり、貧乏人の願いを聞いてくれる、お前さん関公を拝んでおっかさんの病気がよくなるように助けて貰うといいと教えてくれた。
そこで張二は神にすがる気になり、翌朝、鶏が二回鳴くとすぐ関帝廟に行き、関公の像の前にひざまずき「関帝さま、張二はあなたさまに叩頭の礼を捧げます、どうか霊験あらたかなご利益で、わたくしの母の病気を治してください」と言って拝んだ。
張二は続けて母がよくなれば豚と羊をお供えしますと、言いかけたが貧乏でとても豚羊など用意できないと、慌てて口を閉じ、「関帝さま、もし本当にわたくしの母の病がよくなれば、わたくしはこの生首をお供えします」
と言った。
すると張二が家に帰っていく日もしないうちに母親の病気は日に日によくなった。だが張二は関帝廟での願かけが心配になってきて、ご飯も食べられず夜も眠れない、どうして自分の首を供えることができよう、供えなければ関帝の罰が恐ろしい、どうしょうと、さんざん考えたあげく、張二はいいことを思いついた。
夜になって、廟の和尚がよく寝ている間にそっと廟に忍び込み、関帝像の前にある供物台の下にもぐり、音のしないように小刀で台の真ん中に、ちょうど自分の首が下から台の上に出せるほどの丸い穴をあけておいた。
翌日、張二はまだ夜が明けないうちに廟に入り、供物台にもぐり、この穴の下から首を出し、「関帝さま、小人張二は願いの通り母親の病が治りましたので、関帝さまへ供え物に参りました、今日わたくしの生首を関帝さまにお供えします、どうぞお受けください」と言った。
関帝は張二の風変わりな供え物を面白がり、からかってやれと、「周倉、張二はまことにけなげだ、張二の生首をもって来い、酒の肴にする」と言いつけた。それを聞いた張二は驚き「関帝さま、これは酒の肴にはなりません、張二は供え物をさげます」と言うと頭をちぢめて逃げ出した。
沈陽市巻上 1996・2・1