母の石

 昔むかし、輝山の麓の輝山村に寧という滿族の家があった。夫は寧福人、妻は戚氏、夫婦は畑仕事、山仕事に精をだし幸せな日を送っていた。夫婦はずっとおくれて、やっと女の子に恵まれたが、妻の戚氏はこれで男の子がいればもっと暮らしは楽しくなると、昼も夜も思い続けていた。すると本当に思いがかなってまた身籠もった。

 やがて五月五日にまるまる太った男の子が生れた。夫婦は大喜びでこの子に“可心”という名をつけた。ところが、七日たって不幸な事が起きた、可心が病気になって眠ったまま目を覚まさない、夫婦は腰をぬかして驚いたがその頃は何処にも医者はいない、母の戚氏は人参湯を煎じ、可心の口を開けて飲ませてみたが、夕方になって死んでしまった。夫婦は長い間、死ぬほど泣いてから昏々と眠り、同じ夢を見た。綺麗な女の人が現れて「いい夫婦よ、泣くのはおやめ、あしたの朝早く子どもを抱いて山の北の中腹に行き、そこにある大きな石に子どもをおけばすぐ子どもは生き返る」と言うと姿を消した。夫婦は目を覚ますと互いに同じこの夢を話し合って喜んだ。

 夜が明けると夫婦は可心を抱いてその大きな石のある所へ行った。よく見るとその大きな石は一丈あまりもあって、まるで一人の女性が西北に向かって静かに座っているようだった。髪を長く垂らし、豊かな胸に乳房が光り、両手を下げて膝の上においている。夫婦は可心をそっとそこにおいた。するとしばらくして可心は甦り、小さな目をパチパチさせると「ワ−ワ−」と泣き声をだした。夫婦は可心を抱いて家に帰り、会う人ごとに可心が助かったいきさつを話した。
それから、母の戚氏は毎年五月五日になると息子を連れて輝山の北の中腹にあるあの大きな救いの石の前に叩頭の礼を捧げた。

 こうしてこのあたり一帯の人々は輝山に登り、この石によい子が授かるようにと願ったり、子どもを連れて無事に育つようにと願ったりするようになった。
 とりわけ五月五日は大勢の人で賑わう。この事が世の中に広く伝わると、ある人があの大きな石はもとは天女で、天界で罪を犯し、その罰で下界に下り人間の苦難を救うようになったのだと言った。そうして後世の人々はこの大きな石を“母の石”と呼ぶようになった。  

           沈陽市巻上                                      1996・1・31

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