蕎麦の由来

 優しい長者と意地悪な長者がいた。優しい長者は春、よそに食糧を貸す時はおおまかに一斗を量ってやり、秋、返しに来ると、一斗をきちんと量ってやった、これは長者が人に優しいからで、人々はこの長者を“量らず長者”と呼んでいた。
 意地悪な長者はこうではなく、升を豚の皮でつくり、春、よそに食糧を貸す時は、日に乾かして小さくし、秋、返しに来ると、豚の皮の升を水につけ皮を軟らかくして升を大きくした、それで人々はこの長者を“豚の升”というあだ名をつけていた。

 やがて、天帝がこのことを知って怒り、風のない穏やかな六月に九江八河五湖四海の竜王を呼んで「手下の兵を“量らず長者”の畑にやり二日間、恵みの雨を降らし、それから“豚の升”の畑に大風を吹かし雹を降らせ不作にしてやれ」と言った。
 竜王は天帝の命を息子の小白竜にやらせた。小白竜は軍勢を率いて海から出ると“量らず長者”の畑に行き恵みの雨を降らした。それから小白竜は雹を持って“豚の升”の畑に行き、雲を垂れ、雷と雹を降らせ狂風を吹かそうとした。

 ちょうどこの時、河べりで天女が古い衣を切って洗おうと鋏を持ってやって来た、見ると雲が垂れ、大風がうなり雹が降りそうだ、これは困ったと天女は鋏で空を切った、気をつけていなかった小白竜は、この鋏で三枚鱗を切られ「アッ」と叫び、一回転し、雹をみんな“量らず長者”の畑に撒いてしまった。この雹のために“量らず長者”の五穀の根は全部だめになってしまった。

 小白竜は海に帰ると、父親に「わたしは怪我をして、雹を“量らず長者”の畑にみんな撒いてしまい、今日の仕事は失敗しました」と言った、竜王はこれを聞くと身震いし、これは隠しておくことはできないと、急いで天宮へ行き、天帝に上奏した。天帝はわざとやったわけではないと、内侍の家来に「お前たち、方法を考えよ」と言った、家来は「半季でできる苗で埋め合わせてやりましょう」と答えた。

 一陣の黄土と同じような狂風が“量らず長者”の畑に吹き、種が撒かれた。ちょうど “量らず長者”が雹に降られどうしようと思っている時に、畑に沢山の種が撒かれ“量ら”ず長者”もどうしていいか分からなかった。すると雀の群れが飛んで来て餌だと思って種を啄み、はじき飛ばすと種は土に埋まり、すぐ芽をだした。

 雀が蒔いたからこの作物を人々は“雀埋(qiao mai)”と呼んだが後に“蕎麦(qiao mai)”というようになった。蕎麦は夏至の後で蒔いても、はじめ実は少ないが二伏(夏至の後の第四の庚の日)には多くなり、三伏(立秋の後の第一の庚の日)にはもっと多くなる、その後も日がたてばたつほど実は多くつき、立秋の後に蒔いた蕎麦でも実がついた。
 それから今でも農作物が雹に打たれると、人々はすぐ蕎麦を蒔く、それでも秋にはよい収穫をあげることができるからである。   

            撫順市巻上                                     1995・5・17

はじめに戻る