蕎麦女房

 昔、老夫婦と一人の息子が住んでいた。この息子は体は丈夫だが、頭はあまりよくない。ぐずぐずしているうちに二十なん歳かになり、老夫婦はこの息子に蕎麦という女房を娶らせた。

 やがて、老父母は病で死に、息子は亭主になって女房と二人だけになると、どうして暮らしていいかわからない、女房が賢いのでどうやら暮らしていたが、亭主は言われればやるが、言われなければ何もできず、一年ごとにだんだん暮らし向きが悪くなり、とうとう親が残してくれた馬にさえ“かいば”をやることができなくなってしまった。
 女房は「あんた、わたしたちは日ごとに貧乏になって、この馬も飼えないから明日、馬を市に持って行って、くつわをとって売ってください、もし買う人がお金を持っていなかったら、住所と名前を聞いて、何時お金を取りに来てくれといった日に取りに行けばいいから…わかった」 「うん、わかった」と亭主は答えた。

 翌朝、女房が作ったご飯を食べおわると亭主は市に馬を売りに出かけた。
 南村の韓露という秀才が市に来てこの馬を見て、脚のしっかりしたいい馬だと気に入り「あなた、この馬は売るのですか」と聞いた。「ああ、売りますよ」 「いくらですか」 「いくら、ああ……女房はわしに、くつわをとって馬を売れと言ったからくつわは売らない」と亭主が答えると、韓露は「いまお金を持っていないが、いくらですか」とまた聞くと 「金は今でなくてもいいよ、女房はわしに、買い手の名前と住所を書いてもらい、あとで取りに行けと言ったから」と亭主が言った。
 秀才の韓はすぐこの男の妻は頭のいい人に違いない、なんでもみんな亭主に教えていると分かり「わかりました、じゃあ、くつわをほどいてください、住所を書きます」と言って、住所を書いた紙を亭主に持たせて帰した。

 女房は亭主がくつわを持ってブラブラ帰って来たので、馬が売れたなと分かり「あ、お帰りなさい、馬は売れたの?」 「売れた」 「お金をくれた?」 「くれないが、紙をくれた」
 女房が見ると『南に十里、高い丘の上、道の南は青、北は穴、東はティンタンと音、西はガヤガヤと声』と書いてある。女房が読みおわると、亭主が「この野郎の所は、いったい何処なんだ」と言った。

 翌日、女房が「あんた、お金を貰ってきなさい」と言った「何処に行けばいいんだ」 「南に十里行った丘の上で、南が畑、北が井戸、東が鍛治屋で西に学校がある所に住んでいるのよ、分かった?」亭主は「分かった」と答えるとすぐ出かけた。
 十里歩いて行くと、本当に丘の上に家がある、上って行くと、道の南は青い野菜畑、家の後に井戸がある、西を見ると生徒たちが校庭で体操をしている、東側の鍛治屋では鉄を打っている。女房の言う通りだ。実は韓は馬鹿な男の女房がどのくらいわかるのか試したのだ。それが本当にこの馬鹿な亭主が来たので、すぐ「オ−、いらっしゃい、お金を取りに来たんですか、まあ、飯でも食べてください」と言って食事を出した、馬鹿な亭主が食べおわると、韓はお金を出して、すっかり払いを済ましてから「あなた、これを奥さんにあげてください、ただ帰り道で開けずに、家に帰って奥さんにじかに開けて貰ってください」と言うと、しっかりしばった大きな包みをくれた。

 亭主は金を持って喜んで家に帰ると女房はすぐ「お金を貰って来た?」と聞いた「貰って来た、金ばかりかお前に何かくれたぞ」 「何だって、わたしに何かくれたって、会ったこともないのに、出して、開けてみるわ」女房が開けると、花が一輪挿してある大きな瓜が入っていた、女房はすぐ、“これはわたしを愚か者に添う妻と笑っているのだ”と思い、急に愚かな亭主がうとましくなり、家にいるのが嫌になったが、昔から離婚は一番みっともないことと言われているから、離婚はしたくないが、心のけじめをつけようと実家に行くことにした。何日かして、亭主は何度も迎えに行ったが、女房は帰らなかった。近所の人々が心配して「あんないいお内儀さんなのに、あんたどうして迎えに行かないのだ」言うと、亭主は「迎えに行っても帰って来ないんだ」と答えた。

 ある日、亭主が町を歩き回っていると、馬に乗って来た韓に出会った「お元気ですか」 「ああ、元気だよ」 「奥さんは」 「女房は実家に帰ってしまったんだ」 「迎えに行かないんですか」 「何回も迎えに行ったんだが帰らないんだ」 「じゃあ、こうしなさい、わたしが家に帰ってこの馬に二つ鞍をつけて来ますから、この馬に乗って行けば、きっと帰って来ますよ」と言った。韓が馬に二つ鞍をつけて戻って来ると、馬鹿な亭主はその馬をひいて女房の実家へ行った。

 実は女房も亭主は家に一人でどうしているかと、窓から外を眺めて思い出していると、どうしたのか売ったはずのあの馬を亭主が曳いて来た、それに二つ鞍をつけている、ああ、“良馬は二つ鞍をつけず、貞女は二夫にまみえず”と言う諺だ、そうだ、あたしは韓露を好きになってはいけない、馬鹿な亭主でもいまの亭主に添っていかなければ不貞な女になってしまう。
 女房は心を決めて、亭主と帰ることにしたが、途中まで来ると韓に出会った。韓は馬鹿な亭主の女房が戻るか戻らないかわざわざ見定めに来たのだ。見ると亭主は馬をひいて前に立ち、女房は後ろから包みを抱えて来る。「奥さん、お帰りなるのですか、馬は二つの下鞍をつけていないし、馬もまだ帰って草を食べていません」と韓が言うと、女房はまた韓露が恨めしくなり、心の中で“韓露や韓露、あなたは、あなたは、わたしを苦しめ、前にも後ろにも行けなくするの、わたしは今、またこの亭主と一緒に帰ろうとしているのに、あなたはわたしを悩ませ、わたしを戻れなくする”と思い、村に入ると「お前さん、先に帰って、わたしはあとから行く」と言った、馬鹿な亭主は「いいよ、俺は村の内儀さんたちに、あんたが帰って来たと言っておくよ」と言った。

 亭主が行ったのを見ると、女房は井戸に“ドボン”と飛び込んでしまった。馬鹿な亭主はそれを知らず家に帰り、村の女たちが「お前のお内儀さんはまた帰って来ないのかい」と聞くと「帰ってきたよ」答えた、「何処にいるの」 「あとから来る」 「それはよかった」と女たちが言った。だがしばらく待っても女房は帰って来ない、男たちは亭主に「お前さん、どうしてまだ帰らないのか見てきたほうがいい」と言って男たちも捜しに行った、しかし、何処を捜してみても人の影も見えない、最後に村人たちが井戸を覗くと女房はすでに井戸の中で死んでいた。みんなはこんないい女房がこんな死に方をして可哀相だ、棺桶が買えないから、思いきって井戸で死んだんだろうと哀れみ、村人たちは井戸を土で埋め井戸を蕎麦の墓にした。

 翌年は景気も五穀の成長も悪く、人々は饑餓を心配していた。果たして秋になると作物の収穫は全くなかった、だがこの井戸の蕎麦の墓のまわりの草には実が鈴生りになった。村人はこの実をとり、石臼でひくと粉になった。そのうえ実を刈りとっても翌日はまたもとにように実がついた。村人はみんなこの粉を食べて飢をしのぎ、飢えることはなかった。人々は 「これは何という草だろう、そうだ蕎麦の墓の周りに生えた草だから蕎麦と呼ぼう」と言った。そして村人はその実を翌年も畑のへりに植えるとよく育った、湿地であればもっとよく育った。

 ある日、韓露がここに来て、人々がこのことを話すのを聞き“ああ、わたしはすまないことをした”と心に思い、井戸のわきにあった木に首を吊って死んだ。それから寒露の前に蕎麦を刈るようになったのである。
 二十四節気に寒露(10月8日、9日)があるが、蕎麦は必ず寒露の前に刈り取らなければならない、もし寒露を過ぎれば蕎麦はただの草になり、何の役にも立たない。  

          中国民間文学集成遼寧巻撫順市巻上                    1995年5月11日

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