宝の瓢箪
昔、こんな怠け者の男がいた。男は尻を太陽に晒したままグウグウ寝て昼すぎに目を覚ました、腹が空いた、飯を作ろうと、水瓶を見ると一滴の水もない、納屋を見ると薪は一本もない。もう動くのが面倒だと納屋の前でまたグウグウ眠てしまい、やっと夕方になって目を覚ました。
さすがに腹が空いて、水を汲み薪を拾いに行くしかないのだが、根が怠け者で水桶があるのに鍋に水を入れて戻って来た。男は「一荷の水を担ぐのは疲れる」と言い、山に柴がいくらあっても、何本か数えるほどしか取って来ない「一回飯を作るだけでいい、沢山とっても疲れるだけだ」と言うのだ。こんなその日暮らしの男の名は王九。
ある日、王九が米の瓶を見ると「アレ、瓶の中には一粒の米もない、そうだ、昨日で食べつくしたのだ、どうしょう、水がないから水を汲んだ、薪がないから薪を拾った、だが米がない、米は何処へ取りに行けばいいのだ。しょうがない、腹を空かして寝てるしかない」
翌日、王九は村人に村からあまり遠くない瓢箪山の上に瓢箪廟が有り、そこに瓢箪道士がいる、この瓢箪道士が持っている不思議な宝の瓢箪は逆さにすると、いくらでも米が出ると言う話を聞いた。王九は大喜び、その宝の瓢箪があればもう心配はないと考えた。
王九は瓢箪山に登り、瓢箪廟を訪ね瓢箪道士に「道士さま、どうかあなた様の宝の瓢箪をわたしにください」とお願いした。すると瓢箪道士は「確かに宝の瓢箪はあるが、お前さんには使えないよ」と宝の瓢箪を見せ、逆さにして米を出し「お前さん試してごらん」と言った。
宝の瓢箪を渡された王九が瓢箪をどう逆さにしても米は出てこない。瓢箪道士は 「自分で作った宝の瓢箪でなければ米はでないのだ、だからお前さんにはこの瓢箪は使えない。種をやるから自分で植えてごらん、宝の瓢箪の欲しい人たちにも種をやって植えさせたらいい」と言った。
王九は「わかりました、村のみんなと瓢箪を植えます」と答え、ほかの村人たちと山の麓へ行き、土地を選んで瓢箪の種を植えた。村人たちはみんな土を耕し丁寧に種を植えたが、王九は怠け者だから、種を石ころの隙間に植えておわりだ。
やがて、不思議、不思議、植えた種から芽がでてきた、王九の植えた種からも芽がでた。村人が「王九、水をやれよ」と言うと「くたびれる」と言って王九はやらない、村人が「土をすいて草を刈れ」と言うと「くたびれる」と言ってやらない。
一日、一日と日がたつと不思議、不思議、村人たちの植えた瓢箪の蔓が伸びて瓢箪がなり、王九の蔓にも瓢箪がなった。王九の瓢箪は村人たちの瓢箪に比べて少しも小さくはない。王九は喜んで、「見ろ、お前さんたちは、水をやるは、土をすいて草をとるはで腰も背中も痛くなったろう、俺はどうだ、何もしない、それでも瓢箪はなった」と得意になった。
やがて瓢箪が大きく育つと、瓢箪道士は人々に瓢箪をもぎ採らせて試させた。人々はみんな瓢箪を逆さにすると米が出てきた。ところが王九はいくら逆さにしても何も出てこない。王九は慌てて瓢箪を強く揺すぶり、揺すぶりすると中から小さな虫が這い出してきた。「道士さま、道士さま、これはどういうことです、小さな虫が……」瓢箪道士は「これは怠け虫だ、人々はみんな苦労して育てただから米が出てきた、お前さんは怠け者、だから怠け虫が出たのだ」と言った。
中国幼児故事精選 1995・5・5