42 書承の語り手と昔話資料
書承の語り手は文字化された昔話を読み、それを自分の内に秘め、口承昔話として語る。だから書承の語り手は文字化されない口承昔話の語りを目指しながら、一方では文字化された昔話を読むという矛盾を常に抱えている。そうしなければ書承の語り手は自ら管理して語る昔話の数を増やすことができない。
だが、昔話の文字化は書承の語り手がそれをそのまま口承の昔話として語れるようになってはいない。研究資料の昔話は要約されているし、作家による再話は文芸になっている。また、方言のまま採話された昔話は書承の語り手には語りにくい。
昔話の文字化は口承昔話を後世に形として遺すことである。だが、昔話は語られなければ人の心を満たすことはできない。だからこそ伝承の語りが失われつつある時、文字化された昔話を語る書承の語りが望まれるのである。けれども文字化された昔話は口承の語りに移すのに適した資料とは言いにくい。書承の語り手が求めるのは文字化された昔話を口承の昔話に移し易い昔話資料である。
書承の語り手が文字化された昔話を自ら語る口承昔話に移すことは文字化された昔話を間違いなく覚えてそのまま声に出すことではない、語り手の心を通して昔話を声で聞き手の心に届けることである。だから書承の語り手が書承昔話を自ら語る昔話へ移すには文字化された昔話と文字化できない語り手の内面の声をどう繋げるかが重要になる。それがある一人の書承の語り手の個性的な語りを生み出すからである。
こう考えていくと書承の語り手にはより多くの文字化された昔話資料を探るとともに自身の内面の語り資料を豊かにしその二つをどう構築して語るかが問われてくる。それは文字化されない口承昔話の語りを目指しながら、一方では文字化された昔話を読むという矛盾を常に抱えた書承の語り手の絶えることなき課題である。 (04・5・18)