40 昔話とパソコン
わたしはほぼ十年がかりで読んだ中国の民間故事(昔話)500話をいろいろな人に読んで貰いたい、自由に語って貰いたいと思い、二年かけてパソコンホームページに載せた。
そもそもパソコン操作の覚束ないわたしがやったことだから、ただ中国の昔話が文字に綴られて表示されているだけで、校正漏れの誤りがあるかも知れず、まず読む意欲をそがれてしまう心配が始めからあった。それでもその後、“語り”とは直接かかわりのなさそうな個人・団体からホームページや雑誌に転載する許諾要請がいくつかあった。しかし、残念ながら昔話の語り手とおぼしき個人から500話のうちのある昔話を「語ってみた」という積極的な知らせは今もって受け取っていない。
もっともパソコンの世界は顔の見えない世界だから、何処かで誰かがどのように利用しているかは知る由もない。それは公開しているのだから仕方がない。昔話が悪用される恐れはないだろうから何処かで誰かが何かに役立ててくれていればそれでいいのである。それでも「読んでいる」「利用させて貰う」という知らせが来ればそれは“好意”と有り難く思っている。
昔話は語り聞きの口承が本来の姿で、今でも志ある人々により昔話採訪の活動が続けられている。しかし近来は昔話はそのほとんどが文字に印刷されて継承(書承)され、昔話の語りは録音され再生される。文字で昔話が継承されストーリテリングの手法で語られる。そのほか昔話の語りを電話で聞くテレホンサービス、日本昔話のテレビ番組などなど昔話伝播の様態はたった一つの口承からいくつもに広がった。そこへ今度は昔話の語りのインターネット継承というかたちが入り込んで来たのである。その意味ではわたしがホームページに載せた中国昔話500話は昔話のインターネット継承と言えるのかもしれない。やがて昔話口承に代わる昔話書承の可能性を通り越して昔話インターネット継承の可能性とその是非を論じる時が来るかも知れない。そうなると居ながらにして世界各地の民話・昔話を聞いたり読んだりすることができ、その民話と昔話の世界を映像としてさえ見ることができるようになり様々な出会いが生まれるかも知れない。 (03・09・22)