38 わたしの1000回昔話語り

 わたしは1977年から、昔話を“いつ、どこで、何を語ったか”を記録してきた。しかし、伝承昔話に対する書承昔話の貧困さに気づき、82年に“いつか、どこかで何かの本を読んで覚えた昔話はもうしない”と覚悟した。それでもなお、中国昔話を読み、図書館、保育園で書承昔話を悩みながらも語り続け、2003年7月7日、わたしの1000回目の語りの集いを開くことができた。今までわたしの語りに耳を傾けられた多くの聞き手のお蔭である。

 昔話を文字で読み、そのあとで語るのは昔話の直接的な口頭伝承が困難になりつつあるからである。そう考えると、昔話の文字化は昔話を書承して語る語り手にとっては重い意味がある。その文体はある文学者による昔話再話の文体とも、昔話研究者が採用する昔話資料の文体とも違うはずである。だから書承昔話の語り手は書承昔話を口承昔話へ移すための昔話の文字化に積極的に関与したほうがいい。それは口承昔話を継承していない語り手の語りへの執念の問題であり、書承昔話のことばの問題である。(2003年7月)