37 伝承の語り手”と“ひとり語りの語り手”
昨年11月、昔話の語り手馬場マスノさんが亡くなった。
すでに「馬場マスノ昔話集」(民話と文学の会)は刊行されているし、その語りはご親族など親しい人々や、多くの聞き手の間に伝
承されているわけだが、それでも昔話の伝承ということを考えると寂しい気がする。
近頃、語り手の“ひとり語り”がしきりだが、それは昔話の伝承から離れているように思われる。さまざまな“ひとり語り”は語りを多様化したが、伝承の意図は薄めた。昔話の伝承とは昔話を多くの人が語り聞くことで、演技的な語り手の“ひとり語り”ではない。
大島広志さん(民話と文学の会)は“伝承の語り手”を「その地 域の伝承の形式を用いて、語りのリズムで語る人」(1995.1.17 奇 しくも阪神大震災発生の日の夜、東京芸術劇場小ホ−ルにて講演) としたが、私は昔話を語り伝えようとする語り手も“伝承の語り手” ではないかと思っている。そしてひとり語りをする語り手は“ひとり語りの語り手”と呼べばいいと思っている。
いまや、人は20世紀の出来事の何を記憶しどう伝承するか、問われている。昔話の伝承もまたその環のなかにあると言っては言い過ぎであろうか。(1995年 3月)