36 昔話と世間話と生活譚
私は昔話を年長者から年少者へ語る形式ととらえている。だから 聞き手の中に年長者がいれば、私は礼を失してはならぬと心して語る。優れた伝承の語り手馬場マスノさんは「むかしあったてや」と語りだすが聞き手に目上の人がいれば「むかしあったてんがのう」 と語りだすものだと言っている(馬場マスノ昔話集…民話と文学の 会編)昔話は虚なるが故に慎み深く語り聞くのである。
「こんな話を知っているか」と話しだされる虚と実の入り混じっ た世間話にはこの慎み深さがないように思われる。
民話研究者が世間話とは言えぬ話者の個人的体験談を生活譚として採話する必要性を論じていることを聞いた(民話と文学の会第59 回例会…1994年11月19日)「江戸期から明治にかけて定着し固定化 した昔話は、遅かれ早かれ変容するか崩壊する運命にあり、これらの古い昔話に代わって、さらに直接的に真実を語るにふさわしい形式が、あらたな体験談や生活譚となって新しい時代に適応し、あらたな民話を創造し続けて行くのだろう」(瀬川拓男…民話=変身と抵抗の世界)と生活譚を評価するのである。
「これはこれ目前の事実なり」(遠野物語序文)とする「遠野物 語」の昔話はすでに「変容するか崩壊する運命」にあり、語り手、 聞き手の心をとらえることができず、世間話がマス・コミュニケ− ションとしてひろがり「真実を語るにふさわしい形式」たる生活譚が人間的内省をもたらすなら、昔話の語り手も聞き手も姿を消すしかない。 (1995年 1月)