27 昔話と死の受容
昔話の語り聞きは、昔ならそんなこともあったかも知れないという受容の世界だが、何時の間にか自分自身の意図的な自己表現や自己主張をそれにぶつけていたり、その中に取り込んでいたりしていると思うことがある。自己表現や自己主張は生きている証しであるが、昔話を語り聞く受容の世界とは別のものだと思う。
人は誰でも死を受容する。それと昔話の受容とは同じものではないが、昔話を死の受容につなぐことができれば、もっと素直に昔話を語り聞くことができるのではないかと思う。それは長生きすればできるのか。死ぬまでできないのか。
私は昔話を語り聞きながら自らの死を受容したいと思っている。(1992年10月)