8 昔話は淋しいから語る
昔話を何故語ろうとし、何故聞こうとするのか。しかし、私を満足させる言葉はない。それが中国山東省済南市に来て見つかった。
済南市は淋しい街である。郊外の千仏山に登れば街は灰色に閉ざされている。山頂に一人立つ私も淋しい。だが私は中国山東省済南市山東大学外文学部日本語学科の学生に日本の昔話を語ると(1991年秋〜92年夏)この淋しさが消えるのである。
語り手は淋しいから語り、聞き手は淋しいから聞くのではないか。(1991年1月)
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