6 昔話と語りの均質化
ある語りのグル−プがそのグル−プの特質を持てば持つほど、そのグル−プの語りは均質化されてくる。いくら自分の語りを守っていても、グル−プのお話し会、講習会、研究会などを通して無言のうちに均質化を要求してくるのである。
人は何であれグル−プの中で活動しようとする限り、均質化されたそのグル−プのやり方に入るしかない。
もし、その語りのグル−プが、語りは子どもに文学的体験を与え、想像力を養うと考えるならば、そこでは文学的体験、想像力の育成という視点で語りが均質化されてくる。
しかし、昔話は語り手が自分の内部を託して語り、聞き手が自分の内部を通して聞くのであって、子どもに文学的体験を与え、想像力を養うというものではない。ましてや語り手、聞き手の内部を均質化するものではない。
昔話には、ただ語り手自身と聞き手自身があるだけである。語り手も聞き手も共に孤独と言うほかはない。
(1990年10月) はじめに戻る