5  昔話を優しく語りたい       

金田一春彦は「お茶が入りました」という言葉を「平凡な言葉であるが、何と美しい言葉であるか」と言っている。(岩波新書<日本語>新版下)自分の行為をあなたのためにしてやったとは言はない優しい表現だと言うのである。        

 阪本一房(2001年3月14日亡くなられた)はこんな詩を書いている。        

 /俺たちは間違っても/街頭教育者などとは言うまい/他の仲間のショバは知らんが/俺のショバは/鼻たれ小僧がこの寒空に/汗の出るほど、五円玉握りしめて/「おっさん 購うたるわ」/こんなお客が、ありがたいうちは/街頭教育者などとは/口が曲がっても言うまい/まま子いぢめや/幽霊の出る紙芝居がウケルうちは/街頭教育者とか/教育紙芝居業者だとか言うまい/そんな奴には俺は/つばきでも引っかけてやりたい/    (関西児童文化史叢書 4 紙芝居屋の日記)        

 自分の行為(紙芝居業)を何かのためなどと/口が曲がっても言うまい/これを阪本の優しさとみるのは私だけであろうか。        

 昔話はただひたすらに生きる人の心から生まれた。昔話がたとえ残酷や無惨を語ろうともただひたすらに生きる人の心が昔話の優しさを生んだのである。昔話を何かのために語ろうとすれば昔話は優しさを失うに違いない。  

 私は昔話を自由に人の優しさで語りたい。(1990年8月2日 65歳の日に)