3  人の甘えを断って語る昔話     

 弟は兄によい芋を食べさせ、自分は屑芋を食べる。兄は弟が旨い芋を食べていると思い、弟の腹を裂く、腹の中は屑芋ばかりであった。兄は「ぽっと、さけたか」と泣いて時鳥になる。(時鳥兄弟)       
 母が背を掻いてくれと言うのに娘は掻いてやらない、やむなく母は崖に背をこすりつけるが谷川に落ちて死ぬ。娘は「かっこう、かっこう」と泣いて郭公となる。(郭公母子)      

 時鳥も郭公も托卵鳥である。時鳥は鶯など、郭公は百舌などの巣に卵を一つだけ生む。やがて孵った時鳥、郭公の雛は巣の中の鶯、百舌などの卵や雛を巣の外に無惨に落とす。「時鳥兄弟」「郭公母子」の昔話はこの時鳥と郭公の無惨さにかかわるのだろうか。       

 雛は親鳥に甘えて餌をせがむ、親鳥は雛に虫を運ぶ。人の子は親に甘え、親は子に愛を注ぐ。人は互いに愛を求めあって愛に生きると信じる。だが子は親の愛を断って成人し、親は子への愛着を断って老いるのではないか。 親子、夫婦、兄弟姉妹、世間と互いの甘え、愛を断ったむこうに死がある。人はみなあらゆる甘え、愛を断ち切った暗闇に死を迎える。       

 時鳥、郭公の昔話が母性を断ち切った托卵鳥の無惨さとかかわるのなら、この昔話は人の甘えを断って語らねばならぬ。それは昔話の伝承が子育てという母性を超えたもっと大きなものにつきうごかされていると思うからである。(1989年10月)                                          

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