水死の幽霊

 昔、劉という気前のいい漁師がいた。ある日、とれた魚を売り、酒といくらかの肴を買い、夜になって船の中で一人酒をあけていた。すると王と名乗る品のある男が船に入って来て、俺にも飲ませてくれと言う、劉はこれはいい酒の相手ができたと一緒に飲んだ。やがて二人は意気投合して付き合いはじめ、義兄弟の約束を結び、劉は義兄、王は義弟となった。
 ある晩、二人は船で飲んでいたが、酒なかばで王は溜め息をつき「ああ、義兄貴、俺は明日行かなければ」と言った、劉は意味が分からず、すぐ「何と言ったのだ」と聞き返した。王は「義兄貴、本当のことを言おう、怖がらないでくれ、実は俺は数年前、船から河に落ちて水死した幽霊で、明日俺は新しい母の胎内に生れ変わる、正午に鉄鍋を被った者が河を渡るが、それが俺の身代わりになって死ぬのだ」と言った。これを聞いた劉は少しも恐れず、王の盃に酒をなみなみと注ぎ「この酒は義兄が義弟ために送る別れの酒だ」と言った。

 翌日の正午、黒い鍋を頭にのせた壮年の男が歩いて河を渡りはじめ、河の真ん中に来たところで、この男は鍋と一緒に河の中に沈んだが、すぐまた河の中から岸に上がると何事もなかったようにすたすた行ってしまった。晩になると王がまた船に酒を飲みに来たので、劉は「お前どうして今日行かなかったのだ」と聞くと、王は「今日、河を渡った男には妻や息子、娘それに病気の老母もいて、俺の身代わりにするのは忍びなかったのだ」と言った、劉はそれを聞いて「義弟よ、いいことをした、お前はいい奴だなあ」と感心した。

 またたくまに三年過ぎた。ある晩、王は「義兄貴、明日は本当に行かなければならない、明日の正午、喪服を着た母子が河を渡る、この母子が俺の身代わりだ」と言った。翌日の昼、果たして喪服を着た子供が母を助けながら河を渡った、母子は河の真ん中に来て水の中に一度は沈んだが、また二人は水から現れて、何事もなかったように行ってしまった。晩になって、また王は船にやって来た、劉は「今日もまた行かなかったのか」と聞くと、王は「今日の二人の命をとって俺の身代わりにするのは、とてもできなかったのだ、俺はずっと幽霊でいて、一人で地獄の罪を受けるより仕方がない」と言うと、劉は笑いながら「義弟、いいことをした、お前の優しい心はきっと報われる」と慰めた。

 また三年たった。ある晩、王は劉と酒を酌み交わしていて「義兄貴、明日は河西城の廟の神になって、今度こそ行く」と言った、劉はとても喜んで「これはお前が優しい心を持っていたからだ」と言い二人はまた盃を交わしてひと晩、飲みあかした。
 王が行ったあとも劉は魚を取って暮らしていたが楽ではなかった。劉は河西城の廟の神が義弟であることを思い出して、義弟に助けて貰うと思った。
 何日も歩いて河西城の廟に着くと、劉は夜そっと廟の中に入り線香をあげ「義弟よ、義兄は今日やっとお前の廟を訪ねることができた、実は暮らしが苦しく助けて貰いたいと思って来たのだ」と言うと、廟の神は「我ら義兄弟は肉親のような間であったから、義兄の暮らしが苦しいのなら助けてあげたいが、わたしは慈悲を施すだけでお金の蓄えはない。しかしここに“灰子”の金があるからそれを貸そう、あとで“灰子”に必ず返してくれ」と言って大金を渡した。劉はそれを聞くととても喜び必ずそうすると答えた、義兄弟は夜が明けるまで話し名残を惜しんで別れた。
 劉は自分の家に帰ると、その金で土地と家を買い、妻を迎え、だんだん暮らしが楽になり、何年もしないうちに名のある長者になった。

 劉長者は常に貧しい者へ施しをするので、人々は長者を“劉善人”と呼んだ。劉善人は幸せな暮らしをしていたが、一つ気ががりなことがあった。
 ある日、劉善人は妻に「わたしたちに今日があるのは“灰子”のお金のおかげだ。だが“灰子”が何処にいるのか分からないのが気がかりだ」と言った。
 そこへ門の外に飢饉の難を逃れて乞食になった夫婦が宿を求めて来た、劉善人は夫婦を台所で休ませたが乞食の女房が臨月だとは知らなかった。乞食の女房は台所で赤子を生んだ、乞食の亭主は済まないと謝ったが劉善人は「心配するな、おかみさんと赤子をゆっくり部屋で休ませなさい」と言って雇人に言いつけ、乞食の女房に卵と粟粥を作らせた。

 劉善人は「生まれた赤子に名前をつけなければ」と言うと、乞食の亭主は「この子は台所の灰の中で生まれたから“灰子”とします」と言った。劉善人はこれを聞くと「恩人が来た、“灰子”をやっと捜した」と大喜びした。劉善人は何年も前の事を乞食の亭主に話すと亭主は「それこそこの子の福分です」と喜んだ。

 劉善人は財産の半分を“灰子”に与え心のつかえを遂にかなえることができた。

         中国民間文学集成遼寧巻沈陽巻(中)                        1995・1・15

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