皇帝と易者

 李自成の大軍が北京城を包囲して、いまや明朝の天下は崩壊しようとしていた。
 ある日、明の皇帝、祟禎は悶々として楽しまず、宮廷にいて心休まらず一介の官吏に変装して皇宮を出、北海のあたりを散歩した。しばらく行くと道端に露店の易者がいるので卦を立ててもらった。易者は祟禎の目をじっと見てから筆と紙をだして、文字で占うからと祟禎に字を書かせた。祟禎は筆と紙を渡されると、紙の上にすらりと“有”と書いた。
 易者はこれを見て、祟禎に「この字はある人にとっては吉、ある人にとっては凶です」と言った「どういう意味だ」易者は字を指でおさえながら「平民、大衆ならば吉、明朝の皇帝ならば凶です、ごらんなさい、“有”の字は大明国の半分をとった字です」
 祟禎はこれを聞くと、全身をふるわせ、また筆をとり紙の上に“友”と書いて易者に渡した、易者ははそれを見ると「これはもっと悪い、見なさい、“友”は“反”の字の頭がでた字です、明朝の天下はもたないかもしれない」と言った。
 祟禎はここまで聞くと、がっかりしたがまた筆をとって、紙に“朋”と書いて易者に見せた、易者はそれを見ると何も言わず頭を抱えて泣き出した。祟禎は驚き慌てて、「なぜ泣くのか」と聞くと、易者は涙をふきながら字をさして、 「“朋”の字は二つの月、日なく、無限の闇、明朝の時代は尽きたのです」と言った。

 祟禎はこれを聞くと、魂を失ったようになって、もう散歩する気にもならず、目に涙をため、首をたれ意気喪失して皇宮に帰った。
 その晩、李自成の兵は北京城を陥れ皇宮に進入した。祟禎皇帝は身を隠す間もなく、裏門から煤山の上に逃げ一本の木に首を吊って自殺した。

 この易者は誰だったのか、実は李自成の軍師牛金星だったのである。李自成の大軍が城を攻める前に城内に忍び込み、易を利用して明朝の官吏、兵士たちの士気を攪乱しようとしたのである。まさか祟禎皇帝が易を見に来るとは思わなかったのだが、結果的にはこの占いに祟禎皇帝は仰天して死んだのである。

         宋宗科故事集                                       1994・11・2

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