脛毛で寸志を表す
ある村に“食いだかり”と呼ばれる男がいた。なぜ“食いだかり”と呼ばれるかというと、この男は食べる飲むの食いしん坊で、他人にたかって自分の分の金をださないからである。
誰かの家に美味しい物があると聞くと誰の家でも構わず必ず行き、食べるまで帰らない、どこそこに来客があると聞くと食事の時間に見当をつけ、なんとか、かんとか言って押しかけ、その家でお世辞にでも入れれば遠慮なぞしない、入れなければ無理やりに入って席についてしまう。
もし誰それの家に祝儀、不祝儀、結婚、子供の誕生などがあれば、人は誰でもただでは行けない、金を持って祝いに行くか、贈物を持って気持ちを表すか、手ぶらでは行かない。“食いだかり”は口だけ。
村にこういう男がいると誰もお手上げだ、はっきりと言うこともでず、いい加減にあしらっておくしかない、いざこざをおこしても面倒だからである。
さて、村に関帝廟があり関帝と供奉する周倉と関平が祀られている。村の長老が廟に “聖賢愁”と三字の額を奉納した、この三字は“食いだかり”をあてこすったものだ。それは「村にこんな“食いだかり”がいるが文聖人、武聖人も目を丸くするだけでどうすることもできない」という意味である。
文聖人とは孔子のことで誰でも知っている、武聖人とは関帝を指し歴朝歴代の皇帝はみなこのように祀ったのである。
ある日、孔子がここを通りかかった時、関帝も廟での礼を受けに来ていて、孔子に「俺の廟で休んでいけよ」と言った、二人が廟の門に入ると、孔子は額を見ながら「なかなかいい香りですな、それに額も奉納されている」と言った、しかし、よく額を見ると“聖賢愁”とあるので孔子は「聖賢とはわしら二人ことで、光栄なことだがどうして愁の字があるのだろう?」と言った、関帝は何時もこの小さな村の小さな廟に来ないのでわからず周倉と関平に言いつけ、村の土地神にそのいきさつを問い質させた。
土地神は二人の聖人に会い本当の話をした「この村に一人の“食いだかり”がいまして、誰も招待しないのに家々に行き食べ回るのです。それで村人がこの額を奉納したのです、こういう奴には庶民ばかりか聖人も困るでしょう、食いだかりでは罪にもならないのですから」
孔子と関帝は土地神からこれを聞くと、一計を案じて「こうしょう、今日わしたちは酒の席を設けよう、“食いだかり”が来るか来ないか、来たらどんな食いだかりをするか見てやろう」と言った、二人の聖人は法術を使って直ぐ食卓に酒と料理を並べた、脂身の豚肉、鶏の笹身、魚やえびなど山海の珍味をそろえた、酒は天帝の聖酒まで持って来た。
“食いだかり”は一日中、今日は誰にたかって食べようか探しているので、この日も酒や肉の匂いを嗅ぎつけ方々探した、鼻が利くのでたちまち廟を嗅ぎつけた。廟の中に入ると食卓一杯の酒と料理、椅子が三つ並んでいて二人の老人が向かい合って飲んでいる、真ん中の席は空いている「アレ、これは俺のための席だな、遠慮しないよ」と言って“食いだかり”は座ると早速、酒壺から酒をつぎ箸をとって肉を食べた。
しばらくして孔子先生が「お若いの、ゆっくり食べろ、この酒と料理はわしら二人では食べ切れない、お前さん一人が増えても平気だが、この料理と酒を食べる者は何か芸をするのだ」“食いだかり”は「俺に何をしろと言うのだ」と言うと孔子先生は「みんなで回し飲みをしよう、一人ずつ芸をやってから酒を飲み料理を食べるのだ」と言った「それはいい、まずあんたからやれ」と“食いだかり”が言うと関帝が「見ろ、額に“聖賢愁”の三字があるだろう、一人ずつ一字について一句の四行詩を作るのだ」言った。
“食いだかり”が「よし、これはあんた方老人二人が言い出したのだからあんた方から始めてくれ」と言うと関帝が「よし、俺が頭の一字からやろう、『耳口王、耳口王、壺に酒あり我は飲む、卓上の料理少なく、鼻を殺いで食べる』どうだ」と剣を抜いて、「ヤアッ」と一声で鼻を殺いだ。“パアッ”と血が卓上に散ると関帝は酒を飲み料理を食べた。これを見た“食いだかり”は心の中で「アレ、これはまずい、何かしなければ食べられない酒席に今日ぶつかるとは思わなかった、これは身からでた錆びかな」と思った。
続いて孔子が「関帝が聖の字だから、わしは賢の字だ、『臣又貝、臣又貝、壺に酒あり、我酔わん、卓上の料理少なく、耳を切って食べる』どうかな」と言って孔子は関帝の剣を取って耳を殺ぎ、血の滴る耳を卓上に置き、酒を飲み料理を食べた。
最後に“食いだかり”の番になった。“食いだかり”は愁の字を見て本当に心配になってきた、心の中で「一人は鼻、一人は耳を殺いだ、俺は何を殺いだらいいのだ、頭を切れば飲み食いできなくなるし、殺ぐのは我身だし痛いだろうな」と思い、しばらく考えるとニッコリして「俺は愁の字だな、『禾火心、禾火心、壺に酒あり先ず注ぐ、卓上の少ない酒……菜……』……あった」とわざと区切りながら言い、裾を上げ脛を出すと“パアッ”と脛毛を抜いて食卓の上にのせ最後の一句『脛毛をぬいて寸志を表す』と言った。
関帝と孔子は怒って「わしらは一人は鼻を、一人は耳を殺いだのに、お前はどうして脛毛なぞで済まそうとするのだ」と言うと“食いだかり”は「脛毛でどうして悪い、俺はお二人さんだからだしたのだ、ほかの野郎だったら、俺は脛毛一本だって抜くものか」と言った。
李占春故事選 1994・8・4