白子鳩が泣く

 

 ある30歳過ぎた夫婦にやっと男の子が生まれ、班久と名をつけた。
 誕生日が過ぎてから親戚や知人が来て祝いの酒を飲んだ。班久の叔母は班久に新しい着物を作ってくれた。ところが、それからしばらくして、班久の両親は流行り病にかかり死んでしまった。
 班久の叔母は泣きながら兄夫婦を埋葬し、班久を抱いて家に帰り育てることにした、班久の叔母の夫も善良な人で、子供がなかったから夫婦は班久をとても可愛がった。けれども家は貧乏で、劉黒子の家から畑を借りている小作人であった。それでも夫婦はいろいろ倹約して班久にひもじい思いはさせなかった。

 班久は10歳になった、利口で丈夫な子だった。班久の叔母は夫に「班久を劉黒子の牛飼いにさせよう、ゆくゆくお金をためて所帯を持たせたら、わたしたちも年をとって班久に頼らなければならないのだから」と言った。
 翌日、班久の叔母は班久を呼んで「班久や、地主さんの家の牛飼いになったら、気をつけて一生懸命に勤めるんだよ」と言いふくめると、叔母の夫が班久を劉黒子の家に連れて行った。劉黒子は丈夫そうな班久を見るとすぐ承知して、1年に3円で話がついた。
 しかしこの年は日照り続きで、河は涸れ、山に草はのびず、班久は一日中2頭の大牛をあちらこちらの山、あちらこちらの丘に放しても牛は腹一杯にならなかった、だから牛が山から戻り劉黒子が牛に草を投げると牛はまだ食べるのだった、すると食べさせ方が少ないと班久は劉黒子に殴られ青いあざ、紫のあざが絶えなかった。でも班久は叔母が「班久や、その顔はどうしたの」と聞いても、叔母に心配かけると思い、班久はつまずいて山の溝に落ちたのだと言った。

 秋になると、劉黒子は作柄に構わず、小作人に豊作の年と同じ年貢を要求し出さなければ役所に突き出した。班久の叔母の夫も年貢が出せず捕らえられてしまった。叔母は夫に会いに行くと夫はすでに獄中で死んでいた。
 そして叔母が堤防のない河辺を歩いて帰る途中で大雨となり、水が溢れ、波に流され叔母は溝に落ち這い上がれなくなり、河に流されてしまった。
 翌日、朝早く班久が牛をひいて山へ行こうとすると、叔母が洪水に流され、死体が下流の淵に浮いていると知らされた。
 班久は牛にかまっていられず、泣きながら走って行った。するともう叔母の死体は村人に岸に引き上げられていた。それを見るや班久は叔母の体に伏して「クウクウ、クウクウ」と泣いた、木の上にいた鳥の群れがこれを聞いて、涙を落とし「クウクウ、クウクウ」と班久について泣いた。
 すると劉黒子が後ろから来て銅を嵌め込んだ杖を持ち、早く牛を連れて行けと怒鳴った、班久が叔母から離れられずにいると、劉黒子は班久を殴り続けた、班久は痛くてころげ回り、しばらくすると地面に倒れたまま動かなくなった。劉黒子は班久が死んだと見ると、持った杖を振り振り行ってしまった。

 木の上の鳥はまだ「クウクウ、クウクウ」と泣いていた。村人はこの鳥が班久の死を悼んでいるのだと言った。これがいまの白子鳩である。   

         聊斎 * 子                                          1994・6・1

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