単辨郎
明代の末清代の初め、高密城から十里あまり離れた小さな村に李という兄弟が静かに暮らしていた。兄の李老大は農民で妻を娶り、15歳になる李柱という息子があり、弟の李二は瓦職人であった。
ある年、高密城の大地主単辨郎が客殿を新築しようとした、何とかいい客殿を作ろうとあれこれと考え、まず広く腕のいい職人を捜した、李二も熟練した瓦職人だったので選ばれた。建築が始まり、やがて屋根の瓦を葺く時になった。
職人は一日、三うねの瓦を葺き手間賃が払われたのにそのあとは、毎日二うねの瓦しか葺かず、また手間賃が払われると、こんどは一日一うねの瓦しか葺かない。
辨郎は怒り、用心棒に職人を殴らせて「同じ手間賃を払っているのにどうして葺くうねが少なくなるのだ」と怒鳴った。職人は「初めの日には屋根をならすから三うねの瓦に泥を打てない、そのあと、二うね葺いて一うね泥を打っていくから、最後に一うね泥を打つのだ」と言った、それを聞いて辨郎は殴るのをやめさせた。二三日して新しい客殿が出来上がって、辨郎は嬉しそうに職人に「俺の家の客殿はこの世で第一だろう、これよりいいものが出来るか」と言うと、職人は「お金があって、時間があればもっといいものが出来ますよ」とみんなで答えた、これを聞くと辨郎は職人たちをみんな水牢にいれて殺してしまった。
さて李老大は毎日、弟が帰って来るのを待っていた、もう麦の刈り入れが終わるのに何の音沙汰もない、李老大は心配になり高密城の町に行ってみることにした。翌日李老大は干し草を担いで行き、町で見かけた老人に単辨郎の客殿を新築した職人の行方を聞いたが、誰も知る者はいなかった。すると単辨郎の近所の老人が来て李老大を道の端に呼び、そっと「単辨郎の客殿を新築した職人はみんな水牢にいれられて死んだよ、お前さん誰にも言わないでくれ」と言った。
李老大はそれを聞くともう干し草を売る気もなく干し草を担いで単辨郎の屋敷の大門に行った、高楼の屋敷を見て悲しくなり転んでしまい担いだ干し草をひっくり返してしまった、用心棒がこれを見て李老大を殴り辨郎に告げた、辨郎は李老大の髭を切って「いい歳をして青石を敷いた俺の家の道に干し草を散らかしやがって」と文句を言った。
李老大は悔しくて涙を流し、ヨタヨタと家に帰った。息子の李柱は父が何か食べ物でも買って帰るかと、早くから村はずれで待っていたのに、父は口の周りに血を流して足をひきずりながら帰ってきた。そして息子を見ると涙を流し、しばらくしてからやっと、老二が殺されたこと、自分が酷い目にあったことを話し、髭を切られた話をする時は大声で泣いた。息子も泣き父をかばって家に帰った。
六、七日して、心と体に傷を負った李老大は薬も買えず、みるみる弱まり、息子を枕もとに呼び「お前、わしと老二の仇を忘れず、単辨郎を討ってくれ」こう言うと涙を流し、溜め息を二度して死んだ。
李柱は父を埋葬して母と暮らしながら武芸を学んだ。三、四年過ぎると李柱は体も力も強くなり武芸も上達した。ある晩、李柱は忍び着を着て短刀を持ち辨郎の屋敷に行った。辨郎は正妻や妾と客殿で歌や踊りの酒盛をしていた。翌日、高密城の町の人々は単辨郎が殺されたことを伝え聞いた。
聊斉 * 子 1994・5・13