趙匡胤豆腐を食べる
伝説によれば趙匡胤がまだ皇帝でなかった頃、流浪して平度城にあり、深夜に城隍寺に泊まった。その頃、昼間から博打が行われていた、負ければ飢えに遭うが勝てば何か食べ物が買えるからである。
しかし、この年は雨が降らずひどい凶作で、春になっても収穫はなく、みるみる人が死に、生きていくのがやっとで、博打をする者もなく、食べ物を売ってさえない。
趙匡胤は仕方なく乞食になったが、この凶年は乞食も物にありつけず、趙匡胤は飢えて目がチラチラした。ある日、城の東の馬家溝に物貰いに行くと孫という一人暮らし寡婦が、この男なら自分は一人だから世話してやろうとひきとめた。
この孫大娘がある日、山で摘んだ草の炒め豆腐を食べさせてくれた、趙匡胤はこんな旨い物を食べたことがなかった。
その後、趙匡胤は北宋の初代皇帝となり、毎日魚であれ肉であれ山海の珍味を食べたが長い間にどの料理にも飽きてきた。
ある日、することもなく、また馬家溝で食べた豆腐を思い出しすぐに料理人に作らせた。料理人はいい白菜を使い豆腐料理を作った、趙匡胤は一口食べたがまずい、直ちに料理人は殺された。また別の料理人が呼ばれた、この料理人はなんでも作れたが豆腐料理は作ったことがない。料理人は殺されると思い、驚いて逃げた。
それから料理人は逃げたり、殺されたりで、趙匡胤に料理を作る者がいなくなった。ある大臣が思いきって「皇帝、その孫大娘を捜し出して作らせたらどうですか」と言った。趙匡胤は人を遣わし孫大娘を捜させた、孫大娘はまた野草の炒め豆腐を作ってやった、趙匡胤が一口食べたが口あたりは悪いし、苦いしですぐ吐き出し、顔をゆがめて「違う、違う、作り方が悪い」と言うと孫大娘は「飽きれば蜜も甘くないが飢えれば糠も蜜のように甘いものだ」と答えたと伝えられている。
聊斉 * 子 1994・5・8