米櫃を贈る

 清朝の時代、陳という書記官がいた、常州の知事であった三年の間に人民から搾取した財を蓄え、老いて平度城南関の故郷に帰った。
 帰るとまず旧家を壊し三棟の広間と二棟の母家の大邸宅を建て、人の襲撃を恐れて上に鉄ビシをつけた高い煉瓦塀と鉄をはった大きな門を築き、それでも安心できず人を雇って門を見張らせた。屋敷には常に馬や、かごに乗った客が出入りして、平度州の知事さえ義兄弟だと言っていた。それほど金も権力もあり、誰も陳の意に逆らうことはできなかった。

 ある日、陳は小さな孫にばあやをつけて町の北にある蓮花湾に遊びに行かせた。ところが孫が足を滑らし河に落ち、ばあやは驚いて大声で助けを求め、あたりで畑仕事をしていた農民が駆けつけ、冷たくて深い河もかまわずに飛び込み救い上げたが、すでに死んでいた。あとからかごに乗って来た陳は、孫が溺れて死んだのを見て、何も聞かずにすぐ、孫を救った七人の農民とばあやを捕らえ、だれもかれも四十の鞭打ちにかけ、おまけに七人の農民の家にあった品物を売って喪服を作らせ、それを着て孫の葬式をさせた。しかもこの農民とばあやを平度州の官に告発して、一年あまりの刑に服させた。

 この事件があってから三年たったある日、朝飯がおわった頃になって、道に人が集まりやがて何人かが大きな米櫃を担いで陳の屋敷の門前にやって来た。そして「陳の旦那への贈物です、陳の旦那が自分で開けてください」と言った、門番が中に入って伝えると、陳はゆうゆうと歩いて来て、封を切って蓋を開けようとすると、中から刀をさげた男が現れて、バッサリ陳の頭を切り落とした。

 この空の米櫃はあの陳の孫を助けた人たちが、逆に陳の圧力で一年あまりも牢に入れられたのを恨み、その仇を討つために考えたのである。この人たちは陳を殺害すると、用意してあった馬に乗り、タッタッと町から抜け出した。集まった人々は道を開け両側に立って、みんなこの大悪人を討ったことを大喜びで祝った。

  聊斉 * 子                                                   1994・5・3

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