賞金に当たったあと
珠渓は数百戸あまりの山村である。この村に素妹という娘がいた、今年28歳であるが何故かまだ嫁ぎ先がない。容姿が悪いのか、そうではない、すらりとした体で美人である。性格が鈍いのか、それも違う、彼女は聡明だし器用である。だから嫁入りの話も少なくはないのだが、男の方は彼女の家が貧乏だと聞くと、たちまち話をやめてしまうのである。
油麻嶺に麻承祥という青年がいた、今年30歳、しっかりした体で立派な人柄である。彼は素妹が気に入っていたが両親は同意してくれない。麻承祥は思い切って両親から離れ、三門に小さな仕立て屋を開き、そして結納金500元を持って素妹の父親に結婚を申し入れた、父親は「わしの家は貧乏で、嫁入り道具もない、結納金は1銭も受け取るわけにはいかない」と言ったが、麻承祥はそれでは気が済まないので煙草の“古松”を5ケ−ス贈った。父親は煙草を吸わないのでこれを仕入れ屋に1元値引きして売り、50元を得て珠渓営業所の賞金付き貯蓄券を1枚買い嫁入り支度にしてやった。
麻承祥はお茶と飴菓子などを買って、簡単な結婚式を挙げた、案内状も出したのだが、結婚式に出た人は少なかった。やっとと言うか、もうと言うか、正月二日になって、麻承祥は素妹を連れ、干し龍眼1斤、砂糖3斤を持って遠縁の親戚にいたるまで年始回りをしたが、誰も年始を受け取ってくれなかった、麻承祥は困惑して家に帰ると、素妹の父は白酒と老妻に作らせた肉の炒め料理を持って来て慰め、戸を閉めて二人で飲み始めた、麻承祥もそんな親戚のやり方を忘れ、気持ちよく飲んだり食べたりした。
突然門を叩く音が聞こえたが、聞こえない振りをして戸を開けに行かないでいたが、あまり戸を叩く音がやまないので仕方なく頭をかきながら行って戸を開けてみると、遠縁の親戚の者でも誰でもない珠渓営業所の職員であった。
素妹の父は若い時に幾つかの芝居の歌が歌えた、農村劇団で“梁山伯と祝英台”を演じた時は“四九”を演じたが芝居の中の妹の“銀心”が“四九兄さん”と呼ぶので、村人たちは彼を“四九兄さん”と呼ぶようになりその後、年をとるとともに村人たちは“四九おじさん”と呼び老人となった今は、彼を“四九公”と呼んでいる。四九公が賞金付き貯蓄券を買うと、番号がちょうど九が四個ならんだ9999であった。営業所の職員はここの土地の人で券を渡す時、番号が四九公の渾名と同じだったので「これはちょうどいい」と笑ってしまった。
三門で貯蓄券の抽選があって一等の当選番号が9999であったが、誰もなかなか賞金を取りに来ない、珠渓営業所の職員は9999は四九公だったと思い出して尋ねて来たのだ「四九公、おめでとうございます」と言うと四九公は「わしにいいことがあるって何だ」と聞いた「貯蓄券の一等が当りました、賞金は1万元です」 「わしじゃあないよ」 「あなたじゃない、では誰ですか」 「わしの娘だ」 「あなたでも娘さんでもわたしたちは構いません、明日賞金をとりに来てください」四九公は職員に酒をすすめたが彼は婉曲に断って帰った。
素妹はたちまち1万元の金持ちになり、話は羽が生えたように一軒々々の家に伝わった。
翌日、遠縁の親戚たちが家に押しかけて来て、麻承祥を取り囲み食事に連れ出そうとした、彼はどうしていいかわからず家の裏に逃げたが、みんなに追いかけられ溝に落ちて怪我してしまった、親戚の者は電話をかけて救急車を呼んだり、トラックを呼びに行ったり、オ−ト三輪を呼んだりした、ほどなく9台のトラック、9台の車、9台のオ−ト三輪、9台のモ−タ−バイクの4個の9が、四九公の家の回りを塞いでしまった。
四九公の家の前は交通の要所で、すぐ交通渋滞になり珠渓の派出所は驚いて、所長がこの車を走らせようとしたが、こっちの車は「人を助けるのだ」と言い、あっちの車は「人を助けるのは革命的人道主義の実行だ」と言い、誰も車を動かさない、両方から来る車はどんどん増えて二つの長蛇の列になってしまった。
四九公はとっさに頓智を働かせ、珠渓営業所の主任を探し、道路で何か主任に言うと、主任はうなずき、四九公の家の前に行った、四九公は木の椅子を持ち出して家の前に置くと主任はそれに乗って「みなさん、静かに静かに、私は営業所を代表して申し上げます、貯蓄券の一等は6666で9999ではありません。9999と言ったのは我々営業所の間違いです、みなさんわかりましたか、一等は四九公ではありません」人々は四九公が当たったのではないとわかると車を走らせて去った。
長い間の交通渋滞はやっと通れるようになり、派出所の所長はホットして、営業所の主任の手を握り「ありがとう、ありがとう」と何度も言った、主任は「いいや、私ではなくて四九さんに言って下さい」と言った。あとで人々はそれが車を「追い払う計略」だったことがわかり、また四九一家に押しかけようとしたが続いて、素妹夫婦が1万元を珠渓中学の建設に寄付したことが伝わり、親戚の者たちもとうとうあきらめた。
暫くして<三門湾>新聞の記者が素妹夫婦を訪ね「あなたがた二人が1万元を珠渓中学に寄付したのはどうしてですか」と聞きに来た、素妹は「人々に勉強して貰えば、文化が開けます」と答えたということである。
当代流伝故事選 1993・10・15